見出し画像

恣意的な旬:右体12

2月1日から10日までのこと。

1日(木)

授業が4コマ。教室にずっとつめたい風が吹いていて、コートを着、手袋をつけた状態でちぢこまって話をきく。くるぶしと膝が冷えて冷えて、じっとしていられなくなった。休み時間に図書館のソファに座って一息ついて、もう1コマ受けるのはもう耐えられないなと半ば諦めながら教室に戻ると暖房がついてあたたかくなっていて、話も神道の知らない単語ばかりだったのもあって、いつのまにか眠っていた。マイクで大きくなった先生の声すらまったく気にならない、落ちたような眠りだった。目覚めもすごくよくて後味が何にもなかった。

高校の授業中に眠ってばかりだったのを思い出す。騒いでも怒らずむしろ喜ぶ先生の授業は騒いで、(しずかにしとけよ)の圧があるが本を読んでも何も言わないでいてくれる授業では本を読んで疲れたら眠って、起きたら読んでを繰り返していた。本を読めない授業はひたすら眠っていた。いつもパリパリと乾いて心地のわるい眠りだった覚えがある。ボリュームが上下しつつもずっと先生の声や教室の気配が影になっていて、背中や首や腕のしびれに追われて、何だろう、と思う。チャイムが鳴ると何が起こっているかがわかるのだけれど、その前に、先生が生徒に脱力を許すときには不思議と気づくことがほとんどだった。ああ、終わるんだなと感じて目が覚めてしまうのだ。

2日(金)

授業の後、夕食に、イーアスのフードコートで丸亀製麺を食べる。釜揚げうどん(大)と大きな山菜の天ぷら。座った席のすぐ目前に映画の予告編が絶えず流れるディスプレイが設置されていて目が泳ぐので、うどんの量が半分減ったあたりでそれに背を向けて座りなおした。すると目前には母子、母のが先ほどまでの僕のように予告編に時折目を奪われては我に返っているのがよく見えた。

3日(土)

集中授業二回目。「近代日本における新プラトン主義の受容」のテーマで田辺元の論文を引き続き読んでいく。毎時間のリアクションペーパーをけっこうしっかり書いた。頑張ったと思う。
時折参照される明治から戦前までにかけての人物相関図からわかるのは、政治保守と宗教保守とが微妙かつ密接なつながりをもっていたということで、それは現在の日本の性格にも引き継がれていると言える。そのつながりはたとえば、主に思想的出自としては間違いなく宗教的でありながら表層では非宗教を装う、というスタンスとしてあらわれる。インドヨーガやアメリカ新宗教由来の身体操法が、「健康法」やビジネスマン的な「人生攻略法」として紹介されるのがそれ。これはいくつかの絡まった要因をもつだろうと言える。宗教と哲学、政治(が要請する道徳)、そして科学との関係。
一、プロテスタント≒思想的宗教に偏って「religion=宗教」概念が受容された。
二、国家主義的傾向のもとで「宗教」や宗教的習俗は抑圧されるか排斥され、かつ、国家神道が超宗教的に推奨された。
三、哲学者の系譜を除いて、多くの知識人が形而上学や宗教に対する実証科学の優位を前提するようになった。

4日(日)

ゴダールの映画を6本観た。たくさん話せたし、あいだにたくさん遊べた。
政治的野次が多方向に炸裂し映像を外から彩っていて、元気があるうちはそれをメモしていて忙しかった。『彼女について私が知っている二、三の事柄』に「報道写真で世界を殺す作業に ーーはもはや不要だ」という台詞があって、ーーを一度味わったあと再度味わう前に消えてもう思い出せなかった。今ではその最初の感触も消えた。テキスト付きの映像を眺めるのが好きなのか、映像つきのテキストを読むのが好きなのか、判然しない。今日はどちらかと言うと後者の趣が強かったか。

会話の中で先輩が「もう少し散文的に考えなきゃな・・・」と呟いていて笑ってしまった。詩的に対処しすぎてしまうし、できてしまうから、やってしまう、という場所にいるのかな。僕は逆に散文的に考えすぎていて、というかそれはデフォルトで、その中を駆けずり回ってどんな散文性がふさわしいかばかりを考えている気がする。普通の人はそのどちらでもなくて、一言で言うと散文でもなく詩でもなく定型文リストで考えている、ということになるだろうか。詩派が「そんな言い方はないだろ」と反発し、散文派が「それで何か考えられているということになるのか?」と反発するところはこの定型文に対してあって、定型文派は、「これで伝わっているし実際動いているじゃんか」と一蹴する。いずれにせよ、僕にはそもそも、その確固たる実践性がなくて実在のレベルと認識のレベル、そして実践のレベルとが奇妙に重なり合ってお互いの明晰さに欠いている。その欠点が命取りになったことはまだない。

5日(月)

授業が昼間に一つだけあってそれを受けて、図書館に行くつもりだったけど雪がこんこんと降っているのであきらめて帰る。雪に濡れることよりも空気の鋭い冷たさに慄いてしまった感じだった。冬休みに入るまえ、すでに読み終わった『遊びと人間』をなぜだか持っていたくなった。ので返却期限をすでに過ぎた状態で大阪にも持って帰って、帰ってきてから返すと、超過のペナルティで次に借りられるのは2/4からですと言われて愕然としたのだった。まだ時が前に進まない。

予定や用事がこまごまと降って湧いてせわしない。授業は少ないのにどんどん身動きが取れないでいておかしいなと思う。しかしどうしようもない。見えない葛藤のなかにいて遠くのものが羨ましくなっているだけだ。サンボマスターとOKAMOTO'Sを繰り返し聴いてしばらくすると気分が鎮まる。大音量にして踊ったので耳がすこし変になって元に戻るまでにすこし時間がかかった。そうやってそこから始まった夜は楽しくて、短歌を5首つくりnoteも書けた。

6日(火)

足を濡らしながら図書館まで歩いた。スタバのコーヒーを頼んで借りた本を読んでいたら友だちが通りかかってカラフルな服を着てきてよかったなと思う。向かいに座ってながいことしゃべった。何を飲んでいるんですかと言われて、たしかに何なのだろうこれはと思いながらコーヒーだよブラックコーヒー、と言ったら何・読んでるん・ですかと繰り返してくれた。たしかに何を読んでいるんだろう、ああ何か政党史?日本の自民党の政治の本。

図書館のセミナー室を借りて「わが星」をスクリーンで観た。僕らの文化だとこんなに曲がりくねらないと生命のことや永遠としての現在について話すことができないのかとびっくりしながらも感動していた。たしかにすべては一瞬のことでそれがたまらなくいとおしくなるときがいつかやってくるだろう。

7日(水)

親友と弁当屋で弁当を買って公園で食べる。弁当を待つあいだ、前のベンチに座ったり立ったりしながら、目前の道路で切られている木を眺めていた。電柱の上部をいじるときに使う高所作業車に二人が乗ってチェーンソーで枝を少しずつ落としていく。車や歩行者が来れば下の一人が合図をしてそれをやめさせる。なかなか弁当が出来上がらなくて、チェーンソーの音がどんどん身体になじんでくるのを感じた。

昼頃電話をして今から家に行くと言って行くとありがとうこれでやっと片づけられたと言われたのだった。確かに人がいないとできないことがある。その到底できなさって不思議だな、と話す。これくらいのこと、バイトの時ならもっと丁寧にやるのに、自分の部屋ってどうなってんだろう、と首をかしげながらクイックルワイパーをかけているのを眺める。きっと時間の流れ方が違うんだよと言ってみて悪くない答えだと思った。

8日(木)

僕くらい暇な人ととても忙しそうな人の三人で遊んだ。
揃う面々のぶんだけ話したいことが別々にある。それはいつだってそうだけど、段々と準備できる時間は減りつつあって遠くから目配せするしかなくなってきた。それにしても今日こうやって三人で予定を立てられたのは偉い。半年分頑張ったことがちゃんと実を結んだなと思う。僕だって直感で動けるようになってきたってことだ。

帰り道コンビニで飲み物を買って駐車場で揺れながら明日早いんですかと聞いたりしながら最後に喋る。今だ、と思って撮るよ!って言って、一人だけの写真三通りと、二人並んでの写真三通りをお互いに撮った。これでちゃんと後から見返してお、と思える。

9日(金)

ぱっとしなかった。たくさん友だちに会えたのについていけなかったから歯がゆかった。先生の研究室に伺って話をしてもらってそれがとてもクリアなので、僕のなかの知識って全然明瞭じゃないなと思う。一つや二つの知識それ自体でどこかに向かおうとしていてそれって不真面目だろう。待てない、待つ力がない。期待しすぎる。僕が抱えているのはいつも不当な期待ばかりだ。

友だちと四人でごはん食べたあとに、ハンバーガーを食べたい話を小一時間できたのはよかった。この四人だとぜんぜんしずかにしていられて不思議で、今日みたいに調子が悪くてもすこしうるさいくらいで止められるのはすごいことだと思う。

朝日新聞のニュースレターのトップの記事がしょうもなさすぎて話題にするほかなかった。兵庫県高砂市立の中学校長が「コンビニコーヒー量増し」で懲戒免職になったらしい。うっかりして(M)のカップコーヒーにも(L)のコーヒーが入ることに気づいてから7回くらいやってしまったと言う。どこからツッコんでいけばいいかわからず懲戒免職が重すぎるだろうという引っ掛かりは雲散霧消したけれど、記事はちゃんと、専門家に取材して「重すぎ」の指摘っていうチャプターをつくっていてさすがだった。スクール・コンプライアンスが専門の専門家?

10日(土)

手がしびれて起きる。帰ってお茶を淹れて二口飲んですぐ寝落ちしたみたいだ。会社みたいな研究室みたいな工場みたいな鉄っぽい建物に行かないといけないんだけど、反対方向の電車に乗って、それってけっこう僕のせいみたいだった。そうだな僕っていろいろもう終わりかもなって数日うっすら感じている。楽しいことばっかりあるせいで忘れてるだけで。着いた駅はきれいな円形のドームみたいな施設でたのしげだったけれど、僕は更衣室を探し回っていてまだ時間に間に合わせようという気があるみたいだった。手が痺れているといやな夢もちょっとだけ軽くできる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?