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5月のこと

5月が終わる。
今月はコメダにあんまり行かなかったな
盛清六開いたらいっしょに行こう

溶けにくい氷、らぶ
身体はうごかないけど、さ


五月の最初の週は気力体力が沈んでいた。同じ速度で進めないから、どこかで思い切りブレーキがかかる。でも、力が沈んでいるだけで、そのことに困惑したり気分ごと沈んだりということがなかった。今年に入ってからのことだ。2年くらいずっと坂口恭平のやることと言葉を追いつづけていて、そこで働かせているコンセプチュアルな操作が見えてきたのが一年前くらい。だけど、そのときはまだ彼の言葉尻に囚われていた。彼がその全体について語っているようにみえるものを、そのとおりに受け取っていたのだ。語っているようにみえるものも、ただの部分であり、やることすべてが一つの全体としてはじめて力を持つ。すなわち、全体は部分の寄せ集めではない。そこには方法がない。
方法は問題のためにある。問題は分節された部分に存在する。他方、心とは統一体entityであり、部分がない。すると、心に生じているのは問題ではないことになる。

音楽を聴いている。やたら長い時間聴いている。
朝、家を出るまでの数時間にはいろいろやっておきたいことがあるけど、音楽に閉じ込められたいという感覚からは逃れがたい。身体を起こしたら、聴きたい曲がなんとなく頭に流れている。朝起きてからの数時間は朦朧が消えず、朦朧が帯びている甘美が、似た甘美の曲を呼んでいるらしい。その数曲は聴かずにはいられない。3月も4月も、カネコアヤノがよくやって来た。目ざめる前の数時間にもよく鳴っていた気がする。5月もはじめはカネコアヤノの力が強かった。特にアーケードとスイミング。中盤くらいから折坂悠太が多かっただろうか。小池が坂道を弾き語ってくれたのを聴いたり、ふたりで話したりしたからかな。久しぶりにしっかり出会い直せてよかったと思う。小池、ありがとう。

意外とみんな聴いてないね

週七日のうち四日くらいは、昼の12時までほんとうに何もしてない。曲に閉じ込められたまま、朦朧を維持しつつ、昨日のことを思い出したり明日のことを想像したりするだけ。これ、何なんだろうってずっと思ってたし、もっと頑張れる感じがして嫌な気持ちになったこともあるけど、今は、僕はキャパシティが小さいんじゃなくて、輪郭がくっきりしないんだと思っている。記憶を持ち、社会的に考えかたを構成され、何らかの立場を与えられあるいは求められている、ふくだりょうという存在、あるいは人格が、この目ざめたての身体と朦朧と同じであるということが、難しい。受け入れられないというより、一人でいるとどんどんその存在が遠ざかっていくので、朦朧を相手に暇つぶしするしかない。まあ、半分は暇つぶしで、もう半分は、朦朧を大事にしたいというのがあるだろう。人格というくっきりしたものをやっているときに散っていく、よくわからない何かをかき集めるために、沈みこむ必要がある。以前はそれを「一時間だけにしよう」とか思って、11時からはふくだりょうとして課題やったり本読んだりするぞ、とか無理してたけど、最近は自分のために沈む、沈んだままでいることを覚えたから、楽だ。

喫茶店に行くのも、この輪郭のくっきりしないのが理由だと思う。課題とかやりたいことがあるとき、わざわざ10分くらいかけてコメダに行ったり、あるいは夜散歩しながら外灯を頼りに本を読んだりする。家にいると輪郭が無いから、何かをやるなんてことは難しい。逆に、人が行きかったり、座って喋ったりしているところだと、その人たちがいてはじめて僕が象られる。あるいは、街があって道が凸凹していて、そこを足で確かめることによって、はじめて僕が象られる。だから何かをやり始められるし、本が何かを言っている感じがわかる。あと、オールナイトで映画を観ているとき、なぜ僕が寝ないって、友だちが僕を象っているからだと思う。象られているときは僕は何かをしているし、象ってくれている人に何らかのかたちで報いようとしている。眠れるのは輪郭がないモードになった時だけだ。逆に、ほかの人はこういう感じじゃないらしいな。家では好きなことを好きなだけやる、そしてその好きなことっていうのが、本を読むことだったり、ギターを弾くことだったりするのは、僕にとってはよくわからない、ということが、これを読んだらなんとなくわかってもらえるかな

家では朦朧を生きていて、友だちといるときは友だちに象られ、友だちに報いようとしている。そして、喫茶店や散歩のときはそのどちらでもなく、ざわめきや街に象られて、朦朧としての僕と報いようとする僕との翻訳をしているような気でいる。いずれも必要な時間だな、と思う。

いちばんかっこいい友だち


最近、恋人っていう言い方、言及の仕方をよく聞く。いいな、と思う。
聞かされている僕たちは「恋人」を知らない。言及されたその人を知っていても、その人はその人でしかなく、恋人ではない。そしてこの言及の仕方は、恋人が何であるかを知らせる気がない。そしてその知らせる気がないことだけを僕たちに知らせてくれている。この感じが、彼女とか彼氏とかいう言い方では全くしないのは、なんだろうな。彼女とかだと、話したがっている感じがどうもする。「恋人」には恋バナ的な気配を完璧に拒絶する力があるようだ。
そこに存在することだけしかわからないものが僕らの正気を支えているという面がある。一方では語られないことが重要で、他方では語らないことで耐えられるという、何か。そしてより崇高なのは、もし語りうるとしたらそれは誰なのかさえもはっきりしない場合だろう。たとえば革命後の世界。たとえば神の国。

僕は親友という言葉を使おうかな

これは後輩

***

0504
自転車がパンクしてから4日ほど経っている。予定の埋まり具合と気力の消耗具合のせいで、まだ修理に赴いておらず、今日はバイト先まで20分近くかけて歩いた。昨日と一昨日はつくば美術館まで歩いた。こうしていると、僕の訪れる、僕の用のある場所が、どこも地続きであるという当たり前のことを実感する。歩いていけば、どれほど遠かろうとあなたの部屋までたどり着ける。大阪まで歩くこともできる。このことを、最近は深く信じることができていなかったかもしれない。

ちょうど千円札一枚あった

0508
孫の写真って、すばらしいんだろうな
孫が欲しいとは思わないけど、孫の写真は欲しいな

不意に来る漠然とした不幸感のことを考えていると、来た。
月に十日ほどある全能感たっぷりの日にぼんやり思い焦がれながら、鬱々と残りの二十日を過ごす。そのことが、すこしだけみえるときがある。そんなとき、来る。

意味のない徹夜をしないこと、コーヒーを飲まないこと。この二つを守れば胃は健やかに保たれる。
一時半を過ぎたくらいからアイスコーヒーを飲みだして、借りた本を読んでいた。空腹を無視しながら一時間弱くらい、椅子に座ってそうしていると、ようやく夜中に椅子に座っている自分を発見した。ベッドに移ることにする。ここまでは、コーヒー以外いつもの夜と変わらないが、一体どのタイミングで眠るのを諦めたのだろうか。そこから、日記を書くのと、小便に行くのと、カネコアヤノを聴くのを、20分くらいかけて、ぜんぶないがしろにしながらこなして、二時半を過ぎただろうか。目が開いてきた。妙に白けてきて音楽が聴けなくなる。起き上がって「日々のクオリア」を読むことにする。
なぜ眠れないのだろう。そしてなぜ明るくなってから、もう眠れるけれど眠らないことを決めるのだろう。こういう日はどこか、大きなものを待つ力が衰えている気がする。あらゆる種類の感動的なことから、遠ざかりたいという気持ちだけが大きくなって、夜明けの無為に引き寄せられていくのだろうか。感情の起伏をすこし離れて見ている自分がいつのまにかいなくなっていることに気づく。
一か月分くらい流し読みしてパソコンを閉じた。一首も覚えていない。グールドを聴きながらネット将棋をして6時頃に起き上がった。

生産的な徹夜ができるようになるのは一体いつだろうか

0520
昨日から実家に帰っている。昨日は5,6限さぼって帰ったから20時くらいにはついた。
6時間弱寝て、起きてしばらくしてからアイスコーヒーを一杯飲んだ。ぜんぶまちがったなって感じがする。
昨日読み切れるとは思えなくて閉じた「ローマ信徒への手紙」が意外とはやく終わる。

愛犬の散歩に行く。
住宅街を抜けて、川沿いに出る。田畑も、公園の桜も、川沿いの茂みも無くなって、コンクリートと砂利ばかりになった。昨日降った雨と曇り空でどんよりしている。柵で囲われた送電鉄塔の周りのいちばん広かった畑はコメダ珈琲と薬局と電気屋とスーパーになっている。僕が大阪を出るころに工事が始まっていたものだ。コメダ珈琲には帰ってきたときに何度か行った。店内のつくりがどこか間抜けな感じのする店だ。とくにトイレの辺りなんかは。

これに行くために帰ってきた↓

去年GWに帰ったとき、偶然見つけて行ってすごくよかったイベント。碧海祐人&草田一駿・塩塚モエカ・奇妙礼太郎・青葉市子・岸田繁の出演だった。青葉市子のこと、ほんとうにすごいと思った。以前から、アルバムを何度も聴きながら「なにやらとんでもないな」と思っていたけど、その日は慄いていたというのに近かった。遠出してもいいから、今年も聴きたい。岸田繁を聴けたのもうれしかった。男の子と女の子、言葉はさんかくこころは四角、pray、ああ。

チケットの番号が24番25番だったから最前真ん中で観られた。
開場時間を数分過ぎるくらいで到着して、ちょうど24番が呼ばれるのを聞いた。自分ひとりだとこんな「ちょうどいい」はできない。映画だって、最初の予告が10分はあるだろうに、いつも早めに喫茶店を出てしまうから

五月の服部緑地野外音楽堂は本当に気持ちがよかった。最初の一時間は曇っていて、風が時折吹いた。その後は日が照ってきて、首がほんのりあたたかかった。合間の時間にアイスコーヒーを持って、芝生をいじりながらぼんやり座っていると、何も言葉が出てこなかった。一緒に行った子とは久しぶりに会ったのに、ろくな話をしなかったのが、ぜんぶうれしかった。日焼けと日焼け止めの話ばかりしていた気がする。
Lotus music & book caféというイベントなので、客席を後ろから囲むかたちで古本屋とコーヒー屋が並んでいる。花やスパイスの香るビールも売っていた。出演者が選書した本が並び、それについてトークする時間もあって、なかなかにうろちょろしがいがある。去年は塩塚モエカと奇妙礼太郎の話をふむふむ、と聞きながら服部みれいの本を買った覚えがある。

本はあんまりそそられなかったなー。とはいえ、『百年後 嵐のように恋がしたいとあなたは言い 実際嵐になった すべてがこわれわたしたちはそれを見た』が置いてあって買いかけた。けど、コーヒーもう一杯飲みたい気持ちが勝った。
ステッカー一つだけ買った。なにこれ

今月はこういうのに簡単にほだされてるな


音楽の話は、いいや。一言だけ言うと、Gotchがアンコールでめっちゃ生と詞の話をして、しつこいくらいになってきたあとに、「これ俺が書いた歌詞じゃないんだよな」と言ってソラニンをやって終わったくだり、めっちゃ愛おしいなと思った。

方法①「ミルクを入れる」らしい
あほか

***

人にはそれぞれ、いろんな事情がある
それは他人には伝わらないし、自分にもわからない。事と情との結びの捻じれや、事情と事情との結びの捻じれは、見えた時には、すでにちがうあり方をしている。それは、自分自身は事のほうだけはすべて知っている、というような誤魔化し方は許されていないということでもある。そして、伝わらないから伝えるようとするのは意味がないだとか、誰かに思いきりわかってほしい、とかいうのも、どちらもあまり意味がない。

このあいだの年齢確認のときの店員さん、(年齢確認を、私は、しますよ?)という感じの顔と声だった

ペンを、すごい勢いで、いくつも失くして、ごめんね、と思う

ボカロを久しぶりに聴いた。中学の時に聴いていたのを聴き返すのはしばしばだったけど、新しいのは久しぶり。歌詞が聴き取れたり聴き取れなかったりで、目の前がきらきらして、なんというか、触覚が疼く。いい。

〈終日禁煙です〉が消えないうちに、つまり、言うまでもないことになってしまわないうちに、はやく吸い始めないとな、という焦りが最近でてきた。
言うまでもないことですよね?の範囲がどんどん広がっていくし、そのことを別に説明するような次元の主体を社会は用意してくれてない。だから、自分で用意して、そいつにどんどん文句を言っていかないと、社会がどうとかじゃなくて、自分が変わってしまいそうだ。変わってもいいんだけど、終わりやすくなるような変わり方は、よくないので
まあ、どっちでもいいけどさ。どっちでもいいから、言ってんだけど

言いたいかもしれないことを、すべて言うことはできない。そして、言えたことだけが言いたかったことになる。だから、頭を賑わせている多くの言葉の断片には、言いたいことと結びつかないまま、諦めて死んでもらうしかない。でも、供養の仕方によっては、違った形ではあれど僕の中で生きてゆくだろうとも思っている。供養の仕方を模索している。
方法①
とんでもなくたくさん意味のある話をした夜は、一つ一つの話を追って広げることはできないので、「あのことだ」とわかるような言葉だけを書きつけてから寝て、次の日はそれを抱いて昨日を想起=想像する。無理に広げて書いてみようとしない。寝る前に書いたものは、独立させて置いておく。日記で無理に言及もしない。日記ではいかに言葉にできないかを表現できていればそれでいい。
方法②
safariで調べたものはその場では消さない。その場で何かに書き写したりするのも無理にしなくてもいい。ただ、タブを増やしていく。週に一度くらい、自分でそのブラウザの見出しを書き出して、ふーん、と思って、全部消す。そこで、詳しく調べたいと思ったことがあれば、調べればいい
こんなふうに↓
福沢諭吉
黄鉄鉱
くらんぷとん
初電 ハツイナビカリ
薊 アザミ
ビリー・ワイルダー
性交同意年齢
カール・バルト
売春防止法
もっと上手く資本主義を使え
「歌とテクストの相克」三上春海
ポール・オトレ
タルコット・パーソンズ
フリードリヒ・シュライアマハー
ジル・ケペル
デヴィッド・グレーバー
第三波フェミニズム
レベラーズ
こうやっておけば、つぎの週には何かが見いだせたりはっきりしたりすることも多い。福沢諭吉が生まれた年とトクヴィルが『アメリカの民主政治』第一巻を書いた年が同じ1835年であることとか、タルコット・パーソンズとニコラス・ルーマンのシステム論の相違とか。ピンとくるときは来るし、来ない時は来ない。そのタイミングを待ってあげればいい。


どうしてもバイトに行きたくない日があって、ぎりぎりになって電話することにした。
どうしよう?体調不良で言い訳するのは、なんだか気持ち悪い。熱の温度を供述するあたりから電話口で二人とも鼻で笑ってるような雰囲気が出てきて、「いや、嘘です、今日マジでだるくて」と言いたくなってしまう。
考えてるうちに、「やんごとなき事情でつくばにいない」というセリフで押し切るのが名案な気がしてきた。これなら、言いたくないんです、言えないんです、で突っ張れば、「あ…そう…明日は来れるのね?」と法事か法事級だと言質なしに勝手に推し量ってくれるだろう。
掛けてみると、実際はぜんぜん違った。
〈やんごとなき〉を繰り出したら、「(は?)」っていう空気がむにゅっとはみ出してきて、社員はマネージャーに言いに行った。そしたら、「やんごとなき事情ォ⤴?」っていう声が聞こえて、「もうちょっと詳しく教えてもらえるかな???」と来た。心配されることしか想像してなかったから、あわてて、問い詰められたとおりに〈大学の授業の関係でつくばを出ていて、その予定が延びてしまった〉というよくわからない言い訳をしてしまった。
せめて、二言目に「いや、大学じゃなくて、家族のことで…すみませんこれ以上言えないです」といえばよかったな。防波堤は二つ要る。
僕は職場に想像力を期待していたけど、想像力が必要だったのはこちらのほうだった。実務性がどのように貫徹されるのか、ということをもっと僕が想像すべきだった。
まあ、何がやんごとないかは僕が決めることで、言いたくないから言わないのも僕が決めることで、感じは悪いけどそれですっきりするじゃないか、と思ったけど、そういうわけでもなかった。

身の回りの服の何がつまらないって、脱ぐのも着るのも簡単なところかもしれない。僕が持ってる服全部に飽きながら同じ袴を二つ揃えて毎日履いているのは、含まれている、求められている手順が面倒だからだ。排泄や性交をできるだけ知らないふりをしている服がいいんだろうな。

300円で諦めた ごめん

会話をしているとき、なんらかの次元で僕のことをボコボコにしてくれる人じゃないと、僕はどこかの階で泣いていて、(もうすでに今の遊びや出会いをドタキャンしたんだな、)とすぐにわかる。

狂ったようにあかるく生きたいと思う。狂ったように正しく生きたいと思う。僕なりの出発点は、みんなの言うものが文明だというのなら、僕は死んだほうがマシだ、というところにある。そして、僕は死にたくないから、もっと明るくて正しい文明がかつてはあったはずだとはじめから思い込んでいる。最近は、それが開き直りでもハッタリでもないように感じる。二十年生きないとそれもわからなかった。
みんなうっすら暗いのに、そのことに気づかずに、開き直りの言葉をつかって裏では幻想を維持したり、ハッタリの言葉をつかって裏では断念を維持したりして、それでいて健康を維持している。僕はその錯誤をみて、僕と同じようにどうしようもなくなってるんだな、と思い込んで近づいたり僕なりに報いようとしたりしてきたけど、みんなの妄想はどうにも破綻していない。どこかで僕は気づく。この人は、自分自身に、そして僕に禁止したものを、いとも簡単に破ることができるような次元を持っている。僕にはその次元が見えない。お互い呪いをかけあっているようなのに、呪いが溜まり固まっていくのは僕の側だけだ。

実家に帰った日の風呂あがり、親がみていたニュース番組をぼんやりみていたら、気付いたときにはぐちゃぐちゃになっていた。政治、有名人の自殺、性暴力の告発などを材料に、それらをもっとも蔑んだやり方でおとぼけをやりつづけていた。たとえば、〈こちらがゼレンスキー大統領の宿泊しているホテルです〉という、ホテルの外観の映しと、〈ゼレンスキーは笑顔をみせなかった〉という表情実況で10分くらい時間を潰していた。もっとぐちゃぐちゃになっちゃったのは後ろの二つの切り取り方のせいだったけど、もういい
僕はかつて、教室でこういう〈笑えなさすぎるおとぼけ〉しかやらない奴らにたいして、キレてあげていた。教室がとんでもなくダサくなって終わるのを止めるために。
というていをつくってその実、そいつらを遠ざけようとしてきたのは、そいつらが実は本気で言っている、ということを信じたくなさすぎたからだと思う。たまには、なあふざけんなよって教室が凍りつくくらいの温度でそいつらに言ってやりたかった。そうしているつもりの日もあった。でも、それもふくだりょうがいつもよりうるさくて意地悪いだけに過ぎなかった、そいつらにとっては。
ここ半年に通底している感想が 生きてるといろんなことわかるなー だったけど、そんなことないな、って思う。そんな当たり前のことばかりではない。僕がそう感じていることへの観察としては正しいけど、人びとへの観察としてはまったく間違いだな、と。

トマス・アクィナスやアリストテレスの人間-動物観を〈そういう時代もあった〉スライドにし、ピーターシンガーの1975年を〈今日〉スライドにして、
考えさせられるような気持ちになりますね
理性とは何なんでしょうね、考えさせられます
みたいなことを言いつづける授業が一限にあり、くるしい
みんな小綺麗になって、アングロサクソン感を適当にいいねいいねって言って、未来を伝統にして、本当にぜんぶが終った時には、「我々は最善を尽くして、人類として倫理的に暮らしました。でも間に合わなかった」とか真剣な顔をするのかな。〈どんな平等も決定的な不平等のもとに成り立つ〉のを諸般の事情により忘れたことにして、〈平等〉っていうイメージにみんなで倫理的に疎外されにいって、弱いやつと弱くないやつがいるだけで、自分のターンが終ればおつかれさまでしたって言って退場していく。もう外部なんて永遠にやってこないのかもな
僕は頭が悪いから示唆を多種多様に頂戴してもわからないものはわからない。科学が今どうなってるかは知らないけどそんなことはどうでもよくて、認識は進歩するわけがないだろうが。ただ見えていなかったものが見えるようになり、見えていたものが見えなくなる。そうやって交代してくだけだろ

僕は生き延びるだろうな
僕のほんとうに足りないところや、馬鹿すぎるところを分かってくれている人がみんな死んでしまって、さみしかったりする?って言ってくれる人もいなくなって、はははって言って、死ぬのを待つだろう。そして死ぬ

***

僕がずっと追いかけることをやめず、美と呼んでいたものは、もしかすると崇高だったのかもしれない。この呼び間違いのせいで、芸術しかないと思ってきたし、じゃあ、美への接続は罪かな、苦かな、イロニーかな、真実かな、とアポリアを練り歩く羽目になったと思う。
久しぶりに勇気を出して三島由紀夫の『金閣寺』を開いてみた。そこで出会われ、蠢いているのはまちがいなく崇高なんだけど、ずっとそれは金閣と呼ばれ、美と呼ばれていた。僕はこれをずっと真に受けていたらしかった。ほんとうに根深い誤解だった。
小説では崇高が働かない。あるとすれば、崇高に直面する私と、その真剣さ(!)が冗長に展開されるだけだ。そのまなざしはつねにすでに遅すぎる。詩に限っては、定型という異物と意味とのあいだで、特殊な崇高が現れてくることがある。それを僕は待っていたのだと思う。

特殊でない崇高なら、どこにでもあったろう。それも今やどこにもない。
どうして特殊であらざるを得ないか。ずっと、マックス・ウェーバーのことを考えていた。彼の予言の根底は何だったんだろうか、ということを。それはこうじゃないだろうか。「近代は奇怪な病理だけを残して去るだろう」。
まず最初に、大っぴらに神が放擲され、次に、人が人を殺すということが巧妙に遠ざけられ、やがて、人が死ぬということもゼリーのように塗り固められて、裏に回った。みんなが不平等というイメージを押し付けられる形で平等化され、最後には、性愛も無毒化されつつある。やがて、され尽くす。

妄想というもの、すなわち、今日、主観とか自己満足とか伝統とか正義とか宗教とか陰謀とか呼ばれているものは、破られ続けなければならない。それには方法があるわけではない。破るのはつねに外部からやって来るものだ。それが、神、人が人を殺すということ、性愛だった。そして、歴史から投げかけられる法だった。
そのいずれもが、〈克服された妄想〉として処理されつつある。なぜなら、そのいずれもエビデンスがなくて、不平等で、ノットエシカルだからだ。
だがそんなことは当たり前だろう。そんな〈確かな価値観〉という妄想では測れないからこそ外部は外部なのだ。
傷つかないで済むなら、別れないで済むなら、死なないで済むなら、殺し合わないで済むなら、もちろんそのほうがいい。でも、問題は認識だ。ものごとには必ず良い面と悪い面がある。善意が災いし、悪意が幸いし、平和主義の興隆が戦争を準備する。悪が善の、善が悪の礎を築く。それはいつでも僕たちが、真実と正義とはたった一つであり、かつ多面的であることを忘れてしまうからだ。

ただ生き延びるのではなくて、僕は生きたいと思う。それだけ。
優しくしてもしなくても、暴力をつかってもつかわなくても、そんな現象のレベルじゃなくて、ただ、いちばんグロくなってしまうのを避けたいだけ。単にグロさを避けようとすることで、いかにグロくなってしまうか、ということを、考えてほしい。あんまり、自分たちの喜びの複雑さや、世界の途方もない広さや、妄想の深さを舐めすぎないでほしい、と思う

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