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1月のこと2:家事

2024年1月のこと。
国事と家事について。
こちらの記事では家事について。

1日(月)

年越しのときは「demolition」(2015)を観ながら新聞を切り抜いていた。「demolition」は高校のころから好きな映画で何度も何度も観ているもの。
「本当は見えてたのかも 興味がなかっただけで どういうわけかすべてが象徴になった」「(子供の頃)病気になると母親の膝枕で頭をなでてもらって まぶたにキスをしてもらうと気分がよくなった」「もう手遅れかな」台詞を書き抜く。
12月31日の新聞にはその年の主な出来事が一覧できる表がかならず付いている。一面にはガザ侵攻の総合的な記事。「イスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘により双方の市民が苦しんでいる」との注意書きで〈イスラエルの国防省前の人質の解放を訴える人々・ヨルダン川西岸地区ラマラのデモ隊〉の二つ割りの写真。ぼんやりとした反戦って感じだ。戦争に中立なしとの言を思い出す。人と人との対立ならともかくとして、国家と国家との対立にホッブズ的な契約は存在せずしたがって平等や公平は自明でない。これは戦争ではなく虐殺であるという意見の方がわかるけれど、ともかく。

2日(火)

兄弟三人、母方の祖父母宅にてご飯を頂いた。祖母は僕らが食べているあいだじゅう、料理やお茶をつくっては入れ替えて、僕らがなにか調味料を欲しがればすぐにもってきてくれて、休まないしじぶんは食べない。祖父は、僕らを眺めながら食べていて、うまいと言うほかはしずかにしている。祖母が最後に落ち着いて息をつく段になって気づくまで祖父はじぶんにご飯がよそわれていないことを黙っていて、今からよそおうかと言われてもうたくさん食べたよと言った。
二人の間だけの労り方や敬意の表明があるのだと思っていつもうれしい。

3日(水)

心斎橋まで「ゴーストワールド」(2001)を観にいく。面白かった。大抵の人はきっかけさえあれば簡単に変わっていくし無根拠な(しかし危うい)自信や肥大した理想を捨てられる。実のところほんとうの意味で変われないのは「この私だけ」なのだ、という感覚。
でも僕たちは街を出ることができる。そのあと生きていかなければならないのだとしても、とにかく。この街をいつでも出ていくことができるのだ。出て行って住み着いた街でもまったく同じだ。僕だって似たようなものだ。ただ大学に合格したという言い訳を備えているだけで。
あほ丸出しの美術の先生のくだりが何回見てもむかつくし笑えた。芸術をつくるときの「芸術的な意図」に目がくらんで現実をさっぱり見つめることのできない残念な人。

映画館を出たところでガチャガチャを回して蚊のぬいぐるみをゲットした。二回回して二回とも蚊が出たので、とてもうれしい。こうやってゆるく遊んで、遊んだことすべてが占いみたいになっていくのが好きだ。「にっこリーノ 苦手な虫のぬいぐるみ」ってやつで、ほかにクモ、ムカデ、ナメクジ、アオムシがある。ムカデはオレンジでけっこうかわいい。

そのあとお酒を飲んで日記帳を買って帰った。

4日(木)

「ピアニスト」(2001)観る。ひとはなぜ、いとも簡単に他人のことを病気だとか異常だとか言えるのか。わたしが、わたしの家庭が病的であるとして、病的でないとはどういう状態を言うのか、そんなものがありうるのか。
私のすべては恋人にしか明かせない。しかしその恋人とは誰なのかは少しも自明でないどころか、場合によっては誰でもない。私の思うところの実際の恋人のことかもしれず、母のことかもしれず、父のことかもしれず、あるいは、その全員のことかもしれず。

5日(金)

大阪の狭山池にある博物館に行った。安藤忠雄が設計したという建物。入口すぐ入ったところに、狭山池龍神社に祭られる「善女龍王鎮守」の説明が貼ってある。韓国の軍人が神格化され日本に渡り水の守り神となったものらしい。辰の神。金庚信墓(韓国)の護石の辰神像。のち明治維新の廃仏毀釈の際、水分大神へと改められた。

6日(土)

いつもしんどい苦しいって言っているけれど、いつも、泣きそうなくらいたのしくやっている。

7日(日)

母とタルトを食べた。ブルーベリーのタルト。
タルトってある種のうれしさでケーキを完璧に打ち負かしている気がする。どのへんだろうか、タルトの外周が城の外堀みたいでかっこよく、しかも食感もしっかりしているところとか?

8日(月)

成人式。たのしかった。

9日(火)

大阪からつくばへ戻る。
乗り物に乗っているあいだじゅうノートに何か書くかぼんやり考えるかしていた。コンテンツが流入してこないという意味での孤独な時間をもっと設けようと思った。今年からは「一年の抱負」は立てない。立てても、一年という単位に呪われないように。そんなことはみんな知っててやっていることかもしれないけれど。当分の方針は、「自分で自分の数を数えること」。

10日(水)

定型歌会。今年一回目の歌会。
休み明けの歌会はいつも手ごたえがない。「決めすぎてない」ってどういうことだろうって思いながらみんなふわふわその言葉使ってる。
ずいぶんながい夢をみた。三場面だけ思い出せた。
いまだに小学校の時のサッカークラブの夢をみる。だいたいいつもサーカスみたいな変な試合がすでに始まっていて、僕はそれにどう参加したらいいのかさっぱりわからなくて途方に暮れる。

11日(木)

やたら風が冷たい。手袋を忘れて家を出て、身体を縮ませながら歩いた。
ハネケの「白いリボン」(2009)を観終わった。30分ほどを少し前にみて、それから今日に一気に。目指される理想が高潔であればあるほど、挫折としての邪悪や卑劣は生き生きとする。最高の神を見上げようとするとき同時に、最低の悪魔に取りつかれているのだろう。村を出られないどうにもな不自由感から、いつくらいの話だろうと思ったらちょうど終りあたりで第一次大戦が始まったとある。なるほどと思った。

「私は去年、娘の髪に白いリボンを結びつけた。白とはもちろん純潔を表す色だ。リボンはクララの助けになる。罪、わがまま、妬み、無礼、嘘、怠惰を避けるために。今年になって娘は十分成長した、リボンは要らないとうっかり信じてしまった」

子はうまく話せないというよりも、話せないようにさせられ続けるのだと思った。

12日(金)

もうできるはずのない人と仲直りする夢をみた。起きてからとてもかなしかったけれど、夢の中ではとてもとてもうれしかった。二人とも笑っていて、その人は僕の顔をちゃんと見てくれていて、僕がカスみたいな会話しかできなかった過去が嘘みたいだった。でも嘘じゃない。ぜんぶ本当のことだ、と日記に書きながら確かめた。

13日(土)

初雪が降った。
たまにしか会えない人たちと一緒にいて、店を出たところはすっかり暗くなって夜で、ぱらぱらと雪が舞っていた。建物に風が阻まれて舞い方は穏やかだった。徹夜で北野武の映画を7本観た。これで映画会11回目。

14日(日)

夜中にコンビニまで出てコーヒー牛乳を買った。帰り道にすぐ飲むと冷たくてのどが心地よかった。これでいいと思った。

15日(月)

体芸図書館入って左のフリースペースでドイツ語の予習をした。「排除アート」のキャプションで教科書に載りそうな椅子に座って。あかるい赤色で丸く、体重の移動に合わせてぐにゃり、ぐにゃり、と動く。たぶん「健康器具」「健康家具」の類。〈普段は使えない筋肉を使うことができます〉という発見の主張にすこしばかり居心地が悪くなるのはなぜだろう。健康器具と排除アートとが似るのはなぜだろう。
昼過ぎからはサンマルクで作業したのだが、そこで座ったのがマクドナルドの「回転率を上げる固いイス」に見た目そっくりで、でもべつに、座り心地は悪くなかった。

16日(火)

ドイツ語の授業。Weihnachten、すなわちクリスマスがくるまでの期間のことをアドベントと言って、ドイツ語だとAdventzeitと言うらしいんだけど、日本語ではこれは何ですか?と正答を期待する声色で先生が聞いた。
誰も答えなくて、先生は首をかしげながら黒板に書いた。「待降節(たいこうせつ)」。なるほど。
僕に受け答えの順番が回ってきて、いちばん有名なサッカー選手を答えろ、ときた。選手の名前がひとつも浮かばずぼけっとしていると、次第に、いつかのW杯の予選?オーストラリア戦でPKを蹴る本田圭佑が再生されてきた。名前だけは一向に出てこなくて、先生が「メッシとかロナウドとか。みとま……とか。いるでしょ」と言ったので、三苫薫で例文をつくった。

17日(水)

9人でごはんを食べに行くとなって、僕ともうひとりだけで先に店に入った。9人用に繋げられたテーブルを二人で眺めながら、引っ越しの際にはちょっとびっくりするくらい大きなテーブルが欲しい、という話をした。

18日(木)

ペンをいくつか、いつのまにか失くしている。一瞬が濃く火花のような夢が連日続いている。皆、見えない石を視界の真ん中に置くことによって、血を、肉を、声を支えているのだと、最近しきりに考える。
いい傾向だ。

19日(金)

ずっと仲良くしている子が美容院で髪を切った際、写真を撮ってもいいですかと言われ承諾した。その写真がインスタグラムに投稿されていたらしい。撮ってもいいよ、とは言ったけれど。言い方の問題ってこと?
その投稿の並びが、なんというか言い方は難しいけど「選んでるな」って感じがしてちょっとしんどかった。

愛を探して探しすぎて今は一人ぼっちになったキミへ

THE 2「スプートニク」

ーー「は??? ありがとう」ってなった。

20日(土)

友だちとポレポレ東中野へ『王国、あるいはその家について』(150分バージョン、2018)を観にいく。誰とであれ二人で映画館まで映画を観にいく、という体験は僕にとって、どうしてもかけがえがない。

21日(日)

新宿の反戦デモへ。
スマホメモをもたつきながら読み上げて「心底の怒り」を表明する左派市民の頭上では、巨大な映像広告が流れ続けていた。大きな猫が何かの棚に腰かけておりどこかへ飛ぼうとする、というモーションがしばしば挟み込まれる。もっとも威勢があって声も出ている演説者のときに「不適切にもほどがある!」というドラマの広告が流れていて、(夢かと思った)という感じ方には意味がないなと思う。だって夢じゃないからだ。
「デフォルメされた想定外=不適切なドタバタ」を「時勢&普遍としてのコンプラ&恋愛」とドッキングさせるシナリオなのだろう、と数秒眺めて考えた。

22日(月)

コメダへ。コメダでもついにQR読み込みの注文が始まっているようだ。ふつうに声をかければ注文取ってくれるが。夕方に飲むホットコーヒーはおいしかったけれど、カツパンとの相性はあまりよくなかった。
帰り、病院前を歩いて、木にまとわりついた電飾を眺めながら、これは一年中あるものなのか、冬にだけあるものなのか、わからなかった。なぜそんなことも分からないのか、それとも案外考える余地のあることなのかもしれないとも考えた。最近の僕は、かなしみや無力感に溺れることがなくなった代わりに、いつでも葛藤の種を探しているような気がする。

23日(火)

友だちと鍋をする。
好きに音楽を流して聴いているときにふと、僕が最近音楽をあまり聴かなくなってきたのは、生きるのがそれほど嫌じゃなくなったからではないかと思う。生きるのがうっすら嫌いで、それでも嫌いなわけがない、嫌いでいいわけがないとも思う状態から逃れるために、僕は音楽をあれこれ探し求めて、音楽に不当な期待を寄せていたように思う。今月は、なぜこんな気づきばかりやってくるのだろうか。まだ体験していないはずの晩年がフラッシュバックしてくるみたいな気分にたびたびなる。

24日(水)

22時過ぎ、誘われて散歩へ。外へ出た瞬間、一年でいちばん寒い日だと思う。トライアルまで行って電球を買い求めて、いろいろ見て回る間にもまったく身体があたたまらなかったので、たまらずイートインで70円のレモネードを買った。部屋に着いても震えが止まらなかった。

25日(木)

ここ一週間くらい気が休まらなかったからか、身体がとてつもなく沈んで、15時間くらい眠った。血が流れる夢が4つほどあった。

26日(金)

朝、髪を切りに美容院まで出て、そのまま授業の時間まで大学にいようと思った。お腹もすいていたし喉も乾いていたところ、魔がさしてスタバで550円もするサンドウィッチを食べてしまう。コメダみたいにデカいわけでもないふつうのサンドウィッチ。コーヒーと併せて900円弱、クレジットで払う。馬鹿になりたいときがある。みんなあるのだろうけれど、僕の場合は未来とか労働とかお金といったものを著しく見ないふりをすることを伴って。もうどうでもいい。どう考えてもお金がないけれどもうどうでもいい。

夜、ぐずぐずしていると1時前になってしまったのでそのまま霜降り明星のANNを久しぶりに聴いた。収集30に書いたように、僕はお笑いが好きだったり好きな漫才師がいたりするけれど、霜降り明星に対してはなぜかそういうカテゴリーを超えての信頼をもっている。せいやはまちがいなく天才で、この場合で言う天才って、人、人と人にまつわる致命的な才覚(と欠陥)で、この才覚がたまたまあるジャンルで拾われることによって、5年後10年後、「超ジャンル的に活躍するトップの人」になると思う。そういう天才。結婚して子供が生まれているのとか、僕の全体的な展望としてすごく励ましになっている。あとは三原勇希。彼女が結婚して子育てしてるってだけでうれしいしどきどきする。ありがとう、ありがとう。

27日(土)

部屋から出られなかった。少し前までこういう日が毎月2日か3日はあったけれど、ずいぶんと久しぶりのことだった。昼過ぎまでアラームを鳴らしながらうとうとして、目が開いたあとは、再アップされているM1の決勝のネタを観る。敗者復活戦のヘンダーリンのネタを繰り返し観る。面白く感じられなくてどんどん疲れていく。僕の身体と目がどんどん沈んでいった。やっとのことでスマホを投げてもう一度眠った。

免許合宿で相部屋だった子とあのちゃんの三人で、夜中のすき家に行く夢だった。最初は知っている誰か女の子だったのが、いつのまにかあのちゃんになっていた。すき家は、渋谷とか新宿の喫茶店にありがちな細長い建物の階段を上って行った先に店のある形で、その階段に列ができていた。並ぶ。二人は注文が決まっているらしくずっとしゃべっていて、僕は話を合わせながら決められなくてずっと焦っていた。やっとで店に入ったところで、すき家の赤黒いタイルが膨張して見えて、僕は固まった。と思ったらすでに注文は終わっていて店の外に出てきていた。テイクアウトらしかった。あのちゃんは仕草や声色がとんでもなくかわいかった。僕は、これくらい才覚がないと映像越しには人を惹きつけることはできないのかと奇妙に感心した。実際の溢れる感じがそこにあった。

目覚めてもうまく動けない。数日前みたいにベッドから出られないということはなくて、ベッドと机椅子のあいだをちゃんと移動しているし、片付けたりすこしご飯を食べたりというくらいのことはできる。でもなにもかも嘘っぽかった。昨日眠る前に聴いたキリンジの「3」のアルバムを流しながら、歌集をぱらぱらとめくっていた。コーヒーの飲めるところで作業するために家を出ようと本気で思っていて、なぜかそれが絶対にできないのだった。15時が過ぎて16時が過ぎた。イヤホンの曲はのんのエイリアンズのカバーへ移り、秦基博のカバーに移り、サニーデイのライブ盤に移り、サカナクションのremix盤に移った。歌集も二冊のあいだを行き来した。日本人霊歌は半分まで行った。今すぐにでも眠りたかった。

pop yoursの配信がyoutubeであったので聴いた。guca owl、watsonと聴いて、IOが二曲やったところで切った。なんとなく腹立たしいのでピアスを4,5か月ぶりに外した。少し引っかかって怖くなったけれどそのあとはなめらかに抜けた。もう一度眠った。目覚めて上着だけ探して家を出た。19時40分だった。5C棟二階のフリースペースに座って深呼吸した。手帳を出して、「私は今ひどく混乱している」と書いた。次の行に「そうだよ。そうだよ?」とゆっくりと書き足す。言葉と言葉の間に休憩を置きつつ3分くらいかけてその二行を書いた。冷気に耐えられなかったので荷物をまとめて家へ戻った。

湯豆腐を作ってゆっくり食べると気分が良くなった。パクチーの香りがするトムヤムクンのカップヌードルをむせながら食べて、「コンパートメントno.6」(2021)を見始める。殺伐も感傷も許さないまともなトーンだった。もっと傷つけたほうがいいのに僕は有害なほどに優しすぎるとか、恋人に「重い」という呪いをかけた奴は誰だろう今の気分なら殺せるのにとか、恋愛のことがしきりに頭に浮かぶ。頭の霧はずいぶん晴れてきた。食器を片付けてやりたいことを全部やろうと思った。煙草を吸って部屋を臭くして、乾かす時間を長めに取りながらネイルを塗るとそれだけで映画は終わった。女が私の絵を描いてほしいと言うと男がそれを拒み急に不機嫌になって食堂を出て行ってしまうシーンがとてもよかった。不調和ってぜんぜん悲しくない。むしろすべてが準備された喜びのようだ。乾いたか定かでない指でブラウザを閉じた。

28日(日)

10時から18時まで集中授業を受けていた。近代日本における新プラトン主義の受容について。「プラトニズムの自己超越と福音信仰」という論文における田辺元のプラトン読解をひたすら追った。田辺は、華々しく、また中心的に受容されることの多い『国家』『饗宴』などの中期プラトンよりも、明快さに欠き枯れた印象のある『法律』などの後期プラトンを評価する。それにはいくつも要因が考えられるらしい。

一、後期プラトンでは、ディアレクティケーが展開される。これはヘーゲル的な弁証法とイコールではないのだが、田辺的な「絶対弁証法」はこれを継承するものであるから。

二、『国家』が理想的な国家と政治を説いたのに対し、『法律』ではそのビジョンが現実的に修正されている。(「現実の国家は、最善でなく次善にとどまる。」との文句が『法律』第5巻に見えるように)。田辺思想では自己と国家の両方の革新が重んじられるが、『国家』はその意味で実践性に欠くから。

三、イデアよりもコーラへの関心が強い。コーラとは、存在と生成から区別される存在の受容者=場であり、規定上「捉えどころのないもの」。『ティマイオス』に見いだされる「無秩序の動」「錯動原理」。弁証法的なダイナミズムがこうした動性や否定性から生じる点でコーラを評価するから。

29日(月)

昼からドイツ語の授業を受けたあと、図書館でずっと文章を書いていた。建物の外のことをあまり感じなかった。17時まで、朝から食パン一枚しか食べていないことに気がつかなかった。
母と電話してガザ侵攻の話をした。

30日(火)

一日遊んだ。一日中。
車に乗って茨城空港へ遊びに行った。空港でしか見られない大きさの空とか建物とか飛行機や、そこにしかいない人びとを見たかったから。僕は特にだだっ広いロビーがとても好きだ。が、空港は思ったより小さく、ロビーは市の美術館か博物館のそれの大きさだった。飛行機は一日に三本しか飛ばないらしく人の出入りは少なかったが、展望台にはたくさんの人が何をするでもなく、しずかで大きな空の下で佇んでいた。いい時間が流れていた。我々もそこで佇んだ。下のコンビニで買ったベルギー産のビールを開けながら、帰りも運転よろしくねと友だちに言った。

やがてヘリコプターが目前まで移動してきて浮き上がって飛んだ。ヘリコプターがやがて点になり、点が無になるまでをそこにいる人たち全員で眺めた。

とてもよい遠出だった。

31日(水)

春からの専攻を希望する書類を提出した。宗教学をやる。
思想的宗教と宗教的思想、宗教的哲学と哲学的宗教などの対が近代日本でどう連続しているか、といったことが少しわかればいいなと思う。


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