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2000年

0602
六月が来てしまった。
この一二週間くらい、すごい頑張っていた。なんでこんな言い方をするかっていうと、めちゃくちゃ頑張れる感じじゃないのに、頑張ったから。

これってけっこう僕のなかではすごいこと。いつも、エネルギーぶっ放せる10日くらい、みたいなのが毎月あって、その間に何もかもの辻褄を合わせるようにして暮らしている。短歌のことだったり、生活のことだったり、授業の課題だったり、人に言わずに考えていることだったり、すべて。その期間は、頑張るのが気持ちがいいから頑張っていて、疲れていっているのを気づかないからどんどん進む。それ以外の日々はぱっとしなさとなんとなく付き合ったり突き放したりして、もう嫌だなと思ったか、わりと前から嫌だなと思ってたなと気づいたら、動きたいと思うまで倒れている。要は、全体として気持ちがいいことを探している。

この一二週間は5月全体の中でも元気があるわけじゃなかった。ベースとしてはずっと疲れていたし、気分も上がらなかったけど、最初の何回か、なんとなく頑張ってみたら、やれた。自分の中の頑張ってる感じと、頑張る量、頑張れる時間ってセットで規定されちゃってるから、それをちょっと外してみるのがおもしろかったというのもある。とにかく気持ちよくないけど頑張ってみる、というのを続けて、疲れすぎてるかもって感じになればやめた。やめてるあいだも心は楽しくて、じぶんの本当の体力(幻視)と、やらなければならないものの順序とかをこねこねしてた。身体が回復すればそれをなんとなくなぞる。

身体は休ませれば動く。ちょっと休ませるだけでまた動くようになる。これはけっこう大きな発見だった。疲れてても気分が上がらなくても頑張れる。でも、頑張れるとき必ず頑張るのは違う気がしてて、たぶんどっかで発狂するか壊れると思う。そういうシーソーで生きるのは根本で向いていないし疲れてしまうと思う。そこで壊れない人もいて、はじめからそういう考え方と生き方なんだろうな、という人が周りに数人いる。すごい。偉い。僕も目指すだけならできると思う、今の僕なら。それを始めたときに、メイクとかネイルとかの「気分が何となくあがる」がわかるんだろう、とか思っている。

7時ごろにアラームに起こされて、まどろみながらそんなことを考えていた。頑張れるとき必ず頑張るのは違う。一限、出るのやめようと思った。今のところ毎回出てるし。いつもの僕ありがとう。昨日までめちゃくちゃ動いてたし。とどめのバイト辛かったなあ。今の僕は頑張れるけど、それはみんなのために頑張れるわけであって、契約の履行のためだと苦しすぎる。大学の授業も苦しいけど、母のためにも頑張れるし、友だちと一緒に卒業するためにも頑張れる。でも、バイトのあの感じって何?レジでジャンプしながら先輩にほんとにもうだめなんですよって話聞いてもらってたら、終わり際社員さんに「ふくだくん疲れてるみたいです」って呆れた感じで言って、そしたら「何?疲れてるの?それなら早く帰りな?」って最後のレジ閉めのときに早めに帰してくれた。ありがとうございますありがとうございます。飛んで帰った。僕がゴキゲンすぎてロッカーですれ違う時に先輩が「なんだこいつ」って言ってくれた。めっちゃ笑った。〈笑ってます〉を見せるっていう側面が最小限の笑いが出た。生きてる感じが違うなあ、違うよねって示そうっていう努力いつもなんとなくしちゃってたけど本当に要らないや。とっくにバレてる。

いつもとっくにバレてる。バレてるつもりがなくて、〈ちょっとずつバラしていって仲良くならないとなあ〉って思っている人が「ふくだくんって変わった人だよね」って言ってるのを伝え聞いたりして、最近もがっくりきた。どこが変わってるのか一度説明を尽くしてほしい、ほんとに。

11時半ごろ目覚めた。そういえば、12時15分までのオンデマンドのレポートをやっていない。今日の一限出た後にやるつもりだったやつ。今まで全部出してるからもういっか、と思ったけど、食パンかじりながら残り15分くらいで書いた。そうそう、こういうこと。僕はどんどん生き延びる技術を身につけていく。

雨音を聴きながらぼんやり映画を観ていた。けど、30分くらいでやめてしまった。ウォン・カーウァイの「いますぐ抱きしめたい」(1988)。ビリヤード台の間をみんなで駆けていくところよかったな。ビリヤード場長いなー、広いなー。このあいだ「天使の涙」(1995)も観たし、この無性に寂しい感じの映画好きなんだけど、いくら観たって仕方がない感じはしてる。この寂しさはもうずっとこの50年くらい僕らの社会にあって、それを引っ張って生きようとする意識は特別に必要じゃない。僕だってこの仕方がない感じは知ってるから。でも意識とか言ってるのは僕が感覚だけは文化を百年分も引っ張ってきているからで、みんな引っ張って生きないから同じなのかな。最近は戦後すぐくらいの由緒正しいピカレスクとか、ヤクザ映画とか観たい。

ちゃんみなのライブ映像なんとなく開いて観たら、かっこよくて涙がにじんだ。かっこいい。

ラッパーの語彙がしっくり来なくて、本気で生きている感じが他のどの形式よりも伝わるなーっていう感覚が来るときしかヒップホップを聴けない。何が引っかかるかと言うと、やっぱり僕は20世紀を思いきり引っ張ってて、苦悩とか開き直りのバリエーションはけっこう体感しているから、わかりやすく映る生の肯定をああ、って思ってしまってた。苦悩だけじゃなくて、僕らの欲望がどんな荒れ地に帰結するかってことを100年200年の規模で予言している学者とかいっぱいいて、それに当てはまりすぎることを言っちゃうのは苦しいなって思う。だから冗談、ほんとの冗談が、それだけがエンタメの中でしっくり来てて見られた。だけど、冗談を回し続けるのは何よりも空虚だと最近は体感でわかる。面白いことを言う、って、ずっと嫌いだったって気づいた。今は人がそれをしてるのはそこまで嫌じゃないけど、僕が言おうとして面白いことを言うのは辞めている。かっこいいほうがかっこいいから。

もうとっくに言い当てられているような形式を生きるのはぜんぜんカッコ悪くない。だって21世紀だよ。2000年はもうとっくに存在しないことになっている。誰もみんなの記憶なんて持ってない。2000年の視座で見て何かに致命的に絡めとられている、なんてこともない。僕らには僕ら一人ひとりの個人史だけがあって、それをどれくらい真剣に生きることができていて、そして、諦めかたを間違えていないか。それだけなんだなって最近は確信している。でも、僕は2000年を諦めないけどね。僕は2000年と僕の生とを僕なりのセンスで絡めて一つの線にする。見ていてほしい。僕は本気だよ

2000年のこと、もっと上手く言えるように考えておくね。今もう一言だけ、言う。歴史を持ってきて、君は今ここにいるね、と言う行為は、今ではキュレーション扱いになっていると思う。東京や大阪や、NYではこういうのが流行っているけど、いま広島のシーンではこれがおもろい!というのと同じ。歴史が不可逆であること、そしてついこの間生まれた僕らは、情熱と信念さえあれば2000年の分厚さを生きられるということは、忘れられて、もう二度と思い出されることはなく、僕ときみが必ずいつか死ぬことだけが残っている。だから、君は選ばれてここにいる、という指摘はありえなくて、歴史はただの空間的把握に還元されてしまう。僕は歴史が、文化が不可逆だということを信じているから、僕と君は今選ばれてここにいる、と言うのを辞めないけれど。

***

4限は休講で5限の宗教学に出る。雨と風のなかを傘をさして歩いて行った。傘が途中で壊れた。接吻をやたら口笛で吹いていい気持だった。
授業は、最初の40分くらい、みんなが「こういうことが興味深いと思った」というのを自由に書いたのをこれはいい視点ですねーって適当にほめながらべらべら喋るだけだから、ほとんど聴いてなかったけど、〈好きなタイプをサークルでみんなが答えていくノリがあって、異性愛が前提されてよくないとおもった〉みたいなレポートがあったのを、おーっとおもった。僕はこんなにも全員を疎外するひどい場に大学で遭遇していないのでラッキーなんだな、というのはありつつ、これってナイスポエムのお題なんじゃないの?って思った。恋バナって〈己を開示せよ〉じゃなくて、ナイスポエムをみんなでやろうっていう風にとらえ直して差し支えないなあーっていう。「手が冷たい人」というのが僕のベストだった。

授業終わり、すごい雨風で、折れた傘をさそうとしていると、同じ授業の人が、折り畳み傘も持ってるから、この傘使っていいよ、って言ってくれて、傘さして芸術棟まで一緒に歩いた。なんか声に覚えあるなーと思ってたけどわからなかった。帰ってから、去年の哲学通論で聴いた声だろうなって思い当たった。雨も悪いことばかりではない。それにしても、敬語つかうのいやだなあ、特に初対面の人と

帰ってパスタ食べながら久しぶりに祖母と電話した。
笠智衆の話できた。僕も誰かと笠智衆の話できたよ!!!
それから、東京物語の途中で小池にたまらずしゃべった、SFなんて題材を選んじゃうのがいかにいろいろ貧しいか、という話が祖母から出てきて、すごくうれしかった。そうなんだよねえ

小池、日記ありがと。めっちゃいいよ
やっぱり小池はかっこいい、だれよりも
アンサーみたいな感じで短歌について書きたいと思ってこれ書き始めたのに今日は力尽きてだめだ、日記から短歌のほうまでずーっと行けると思ったけど朝が来る!

じゃあね


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