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7月のこと

すごく広いところに行きたい。不安になるくらい広いところへ

***


夏が好きだ。夏が来るたびに夏が好きな理由をぼんやり考えるのも好きだ。身体はすぐに冷えてしまうし、冷えると動かなくなるが、外に出たりクーラーを切ったりすればすぐに僕の身体は戻ってくる。それがわかりやすくて、うれしいのかもしれない。それがこの夏に思いついた理由一つ目。

盛清六が再開した。今週だけで二度行った。一度は親友と行ってラーメンを食べ、もう一度は夜中に一人で行ってチャーハンを食べた。僕がやたらとこのラーメン屋の話をするのをよく聞いていた人はどう思っていたのか知らないが、びっくりするほどおいしいとかそういうわけではない。僕は、ラーメン屋および中華屋は、「ちょうどいい」ことだけが大事だと思っている。家からの距離がちょうどいいというのもあるが、それは枝葉。ラーメン、チャーハン、餃子、担々麺などの主なメニューのあいだの関係に、中心/周縁が生じていないということが大切で、それがあると、一つがどれほどおいしくても、なぜかうれしくない。びっくりするくらいうれしくない。なんというか、すごくかなしくなる。浅いところでとてもしつこいかなしさがやってくるので、そういう中華屋にはあまり行きたくない。
そこまで偏りがある店がよくあるわけではないが、なんとなくそういうことを感じることが多いから、ふと行きたいのは決まって盛清六だ。帰ってきてくれてありがとう。

ねぎがないことも稀にある。そうすると大盛にしてくれる



***

7月はたくさん文章を書こうと思っていたけれど、結局書かなかった。書きたくてたまらなくなる事柄は、すこし僕から遠いところにある。すなわち、書くには僕が足りない。それを書くから、僕が変わっていく契機になる、というのはそうだし、だからこそ書くのは面白いわけだけれど、一方では書きたくないことがたくさんあるということにも気づいた。これはけっこう大きな気づきだった。書きたくないことはそれとしてあるのではなく、書く自分から隠されてある。隠すのは誰かと言うとそれも自分だ。ふと、(そういうことは書きたくない)がよぎるような気配がする。それを少し追いかけて壊してみる=書いてみるのは、書けるかわからない事柄を書いてみるのと同じくらい自分のあり方を変えうる。潜在的な書きたくなさ・やりたくなさを、完全に力を抜いて壊してみる、壊して見せること。自分に対して都度見せつけることで少しずつ自分のゆがみに気づいていくのだろう。

これが
こうなって
こう


***

0720
疲れた。どこを休ませたらいいのかわからない。
いま、この場所で、どこが休まっているのか、どこが擦り減っているのかもさっぱりわからない。そもそも、休まるというのはどういうことだろう。疲れていて休みたいと感じられるのは、休まなければ死ぬからであって、どんな時も死すなわち回復不可能な疲労に近づいている。近づいてもまだ簡単に帰ってこられるときは疲れていないときで、帰ってくるのが面倒になりかけているとき、あるいは難しくなりかけているときは疲れているときだ。僕はこの境界を見定めるのが下手で、簡単に帰ってこられないことが人よりも多い。そうすると、休むとか休まるということがよくわからず、このような面倒な道を通って考えなければならない羽目になる。どんなことでもそうかもしれない。
以上は身体の話だ。心の話になるともっとややこしい。
ややこしいから、ここで正面から書くのはやめにする。

ひとりで電車かバスに乗って遠くに行きたくなった。
ひとり。一人。独り。
今の僕はひとりではない。呼びかければ応答してくれる人がたくさんいて、それが僕の昨日と今日と明日を確かにしている。その関係そのものから受ける力で僕はよくわからない契約をこなし、すこしずつやれることを増やしている。すべてはすこしずつしか変わっていかない。それが耐えられなくなることもある。すべてを同じフィールドに乗せておいて対処するのには限界があるからだ。
大切な人に僕が報いることで回復するわけではない。そのこと自体にはとてつもなくエネルギーが必要で、与え与えられるという関係があることの確かさが僕を根本的に回復させる。回復は継続的でない。ただ単に、確かさを感じる契機が予感なくやってくる。そこで僕は回復する。だから途中で僕の力は切れそうになる。それが難しく、苦しい。

その関係とは遠いところで、僕には僕自身だけと共に過ごす時間が必要で、そのことは「5月のこと」の冒頭にも触れた。すなわち、朦朧とした自分、消しかすにしか過ぎない自分を発見する時間だ。心にいかなるイメージも人も感情も映さない。できるだけバラバラでいる。
だが最近、ひとりでいてもそれがうまくいかない。ひとりでいる時間が少ないというのもあるし、喫茶店に行くのが課題をやらないとっていう場面ばかりだったというのもある。でもそれより、バラバラになるまでいかなくて、呼びかけられる手前の自分、の時間が長くなっている。つねに何かが、誰かがちらついている。そうして呼びかけられるのを待っている。どうしてかはわからない。いろんなことがうまく動き始めていて、もっとよくできそうだから焦っているのかもしれない。何も映さない時間のためにもう少し真剣になってもいいし、その必要がある時期だと思う。


とにかく時間がなかった。


だから、ひとりで電車かバスに乗って遠くに行くことにした。
バスの時間を調べなかったから、平砂のバス停でしばらく座って待った。すこしずつ人が集まってくるのをぼんやりと見ていた。新しく誰も来なくなって、そろそろバスが来るのかな、と思ってからもうしばらくかかる。そうしてバスが来る。たぶんすこし遅れて来たのだろう。いつものことだ。3月で定期が切れて以来、初めてバスに乗る。降りるときに新五百円玉を入れたら機械が対応していなかったみたいで、運転手が面倒そうに手動でお釣りを出してくれた。操作に合わせて、ひとつずつ硬貨が音を立てて落ちてくる。それを運転手と後ろの一人と一緒に見守った。変な会釈をしてロータリーに出る。
ミスタードーナツが食べたかったので買って持っていくことにする。途中のファミリーマートに掛かっていた時計を確認する。13時5分過ぎ。携帯も時計も持ってこなかったから、バスや電車の時間がわからなくてどうしようかと思っていた。意外と時計って無い。バスを降りるときに前の人の腕時計をのぞいたら6時30分だった。6時30分?こちらに背を向けている・左手に時計を巻いている・手が後ろに引かれたときに見えた、から…そうするとどうなる?面倒だったから考えなかった。
ロータリーをぐるっと回って、どれに乗るかを考えてみた。筑波山に行こうと思ったけど、シャトルバスは00分にしかないからこれは相当待つ。土浦方面のやつにはいっぱい人が並んでいて興味を惹かれたけど、土浦に何があるのかイメージがつかなかったからやめた。


「筑波山口行き」が20分以内に来るっぽいからこれにした。時刻表の下に小さく注意書き。

*終点「筑波山口」は山のふもとです。

山のふもとをうろうろして夕方に帰ってくることにしよう。
バスの中でいいタイミングでドーナツを取り出そうとか思っていたけど、バスを待っている間にベンチで全部食べてしまった。ポンデリングとハニーチュロと、オールドファッションの表面がちょっと変わってるやつ。名前を想像しながら食べたけど思いつかなかった。ちょっとだけプロテインみたいな味と香りがした。水筒に水を入れてきたのはかなりイケてる。携帯を置いてきたのもかなりイケてる。楽しくなりそうな一日だ。

バスに乗る。座れなかった。一冊だけ持ってきた本をすこしずつ読み進めながら、聞いたことのない停留所の名前を都度頭に留め置いた。「高エネルギー加速器研究機構」で大勢が降りて、その次ぐらいでおばさんと小学生と僕の3人だけになった。スーツを着た十数人の連れが髪の白い、黒い、あるいは短い、長い、あるいは少ない のさまざまで、みんなちょっとだけたのしそうだったが、多分その印象は気のせいなんだろうと思った。単に僕の目にたのしいばらばら具合なだけだ。いろんなことを混ぜて感じている。今日はそれでいい。「つくばウェルネスパーク」と「筑波交流センター」であとの二人も降りて、そこからは僕ひとりだった。緑の田んぼのなかを通って行って、小刻みに停留所を通過した。田中東とか大貫とか。田中東の傍に薬膳そばの店があって、もうちょっと醒めていたら停車ボタンを押していただろうと思うが、押すにはぼーっとしすぎていた。田んぼの真ん中に「国際ペット専門学校」があって、国道沿いの趣味の悪いレンタカー屋みたいな外装の建物だった。中くらいの大きさのトラックが並んで売られていて、あれくらいの大きさだと思いつくものは全部載せて出かけられるからいいなとおもった。ぜんぶ中古で200万くらい。むりだね。中高校生がふたり、歩いていた。食堂とか中古車屋とかスナックとかJAとか、僕には種類や色のあれこれが目にたのしいけれど、彼らにはそうでないであろうことをぼんやりと思った。女の子は真っ白のイヤホンをつけていた。

平地を抜けて、今度はどんどん上っていく。これくらいの田舎に来ることはかなり稀だ。夏や秋に母方の墓参りで奈良の御所に行くときくらい。山沿いの風景がすごく似ている。でもこんなに平地は広くない。茨城の地理の大きさ。
読んでいるのは『内村鑑三聖書注解全集』。期末テストで一度中断してついこの間再開した。やっと創世記が終盤。「洪水以前記」はほとんど一行一行追って詳説してあって読書ノートみたいな感じ。なかなか読むに退屈なところもあった。それが終わって「アブラハム伝の研究」に入り、面白い。やっと一人ひとりの人物に光が当たって、歴史の中での役割を考えながら読める。アブラハムとその甥ロトのくだりあたりで閉じた。

坂の街、といった感じの所に停留所・筑波山口はあった。降りて少し登っていくと、理髪店・美容院ばかりの通りがあって、どこも閉まっているような静けさだった。観光案内所の前に車が停まって制服の女の人が降りてきて、そこのおじいさんと会話を交わした。二人の表情が浮きあがってくるぐらい他に人の気配というものが無かった。「筑波山神社まで2.8km」との看板があったので、神社まで歩いていこうと思う。大きな家々と畑の間の、私道なのか公道なのかわからないところを縫って登って行く。坂がきつい。これ以上ペースを上げると汗が吹き出すなと思いながら、平地でも遅くないと言えるくらいの速度で歩いて行った。道は住宅で完結していたので、そこから先は車道のみの曲がりくねった道を歩く。これは長くなるなと思ったあたりで、細い道が分かれていたのでそこを行った。壊れかけで人の住んでいなさそうな家がいくつもある。その道は、しばらくの間一軒の大きな家とその庭に沿って続いた。その家は後ろに竹林と社のようなものを備えていて、社の周りは大きなスペースがあった。社かどうかは考えてもわからないし、近づいてわかるというものでもない。いつもの感覚とは違う。長い道だったのにそれ以上のことを思いつかなかった。

もう一度車道に合流するところで古民家の和食屋があったから入った。筑膳っていう店だった。まだしばらく神社に着きそうになくて、身体が追いつかなかったからゆっくりしようと思った。あれば間食の類でもいいかなと思ったが、無かったので野菜天ざるにした。すでにドーナツを三つ食っているのでお腹いっぱいになった。それでもいろんな野菜があったから、食べられてよかった。

僕の「いちばん好きな食べ物は?」「最後の晩餐は?」の答えはいずれも天ざるだ。そばが好きだ。天ぷらが好きだ。他にもいろんな好きがあるけれど、一つだけと言われるとこの二つを両取りしたくなる。この店は野菜の天ぷらがすごく豊富だった。
さつまいも、にんじん、なす、ごぼう、ピーマン。ここまではわりとよくある。加えて、ゴーヤ、ズッキーニ、みょうががあって、この三つがびっくりするくらいおいしかった。僕はとても野菜が好きだったんだな、と意外に思った。祖母の家でご飯を食べるとき、よく天ぷらをしてくれる。大皿の野菜が、魚が、海老が、順番に食卓に運ばれる。そうして天ぷらだけでお腹いっぱいになるのが、僕にとっての典型的な御馳走の一つだ。天ざるだと天ぷらだけでたらふく、まではいかないけど、そのときの気持ちを思い出せるからすごく好きだ。帰ったらゴーヤとみょうが、それににんじんとなすをリクエストしてみよう。僕はずっとなすが食べられないと思われているけれど、最近とても好きだから。

会計のときに尋ねてみると、筑波山神社までは歩きでまだ30分くらいあるみたいだった。住宅もないからS字の車道がずっと上まで続いているだけだった。そこをゆっくりと歩いていく。あんまり車は通らない。高校卒業の春休みの自転車旅行を思い出した。二つか三つ県境を越えたが、どこも車道しか無く、トラックばかりが轟音とともに越していくから、かなり心を削られたのだった。あんな思いはもう二度としたくない。
平野に向かって開けて明るい道と、左右に草木が生い茂って暗い道を何度も繰り返した。道沿いにあったのは、一つ小さな民営の老人ホームを除けばホテルばかりだった。半分草木に埋もれた「休憩〇円~/宿泊〇円~ あと〇分」の看板を数個過ぎたら、当のホテルが現れる。当のホテルも草木に埋もれていて、くすんでいて、斜めの道に立っている。最後のホテルだけはちゃんと平地に立っていて、駐車場も平ら。クリーム色のレンガのちゃんとした建物で、街が近づいているのがわかった。
開けた道沿いに紫陽花がいくつか咲いていた。色の落ちて黄色くなりすでに乾ききった紫陽花。この夏にみられる紫陽花は残りいくつくらいだろうか。この日帰ってきたとき、追越共用棟前の紫陽花はすでに無くなって、その下にはびっしりと鳥の糞が落ちていた。思わず上を見上げた。

やっと街に出る。温泉付きのホテルや、お土産屋、閉まっていて何なのかわからない店などが続いている。やたら蛙の置物が売っている。「陣中油」の旗もいっぱい立っているけど、何だろう。結局お土産は買わずじまいになってしまった。寺と神社両方があるようで、行くのはなんとなく神社だけにしておいた。神社は、正面から行くと駐車場超えてすぐのところで思いきり工事をやっていてびっくりした。何段にもわたって赤土が剥き出しになっていて、小回りの利きそうなショベルカーが5台くらい。わき道をさらに登って、横から神社に入った。手と口を清める。日陰でぼんやりしていると、家族連れや登山服の男女なんかが正面の階段から登ってきて参拝していった。どうやらほんとうの正面はさっきの方とは別にあるらしかった。そこを一度下ってみて、また上ってくる。下りたところの正面のお土産屋ではおじいさんが表の椅子で、おばあさんが中の椅子で眠っていた。麩菓子や飴や、せんべいがあって、どれもわるくなかったが、どれもよくなかった。日本酒があったから買って帰ってもよかったかもしれない。

だれもいなくなったから賽銭を投げて祈った。

神社でいつも何に祈っているのかは、知らない。墓だと、祈るというよりも、僕につながるまでの、僕が知らない、しかし僕の生を決定的に規定した人がいること、いたことを想う。知らないけれど、知っているようにして思い出そうとする。そういう幻視的な時間から、未来まで想像してみたりする。たとえば、僕が茨城に越したことでありえなくなった生というものがあり、逆にありうるようになった生というものがあるだろう。それらはある。それらはあるが、僕にはみえないし、それで僕の行動は変わることもない。そんなことをいつも考える。
神社ではどうだろうか。どうなりたいとか、どういう未来が欲しいということはまったく考えない。それよりも、上のような想像を絶する複雑さを有する一つの血脈が、他のそれと絡まり合って、それでもなお危うげなく今この現実があるようにみえることを、想ってみる。あるいはその危うさを想ってみる。


ところで、今何時だろうか?



***

水筒にアイスコーヒーを入れて持ち歩くと、冷たいのがいつでも飲めて心底うれしいが、飲みすぎてしまって胃がグツグツする

部屋で一緒に映画を三本観たら、親友が朦朧としていた。もう一本観る予定だったが、やめて福建餃子に行った。食べ終わってもまだ朦朧としていた。コンビニでアイスを買って食べているあたりでようやく口数が戻ってきた。

飛んだバイトのロッカーの鍵を、誰にも見つからないようにこっそりと返しに行く夢をみた。ロッカーの鍵穴に差して帰ってきた。文具屋じゃなくてどこか知らない飛行場だった。ロッカーはかなり錆びていて身体がぶつかるとおもいっきり響いた。

***

七月は日記がよく滞った。どうにも、寝る前の数時間、日記の存在が近づいてこなかったし、日記を開いてみても、ばらばらで乾いた言葉を落とすことしかできなかった。それどころか、日々がどうしても捉えどころのない散逸としてしか感じられないことも多かった。今日や昨日が実体的に把握できず宙に浮いていた。ぼんやりとした息苦しさが続いた。
今の日記を書き始めて半年が過ぎた。今の段階は、何かとさまざまな見えない困難やトラブルが渦巻いているようでもある。そして今月は、他の二、三の事柄においても、そうしたフェーズに否応なく突入している気がする。妙に焦っている。こんな鬱屈は前にもあったろうが、晴れてしまえばすべてが壊れて新しく建つので、すっかり忘れて過去の自分をいぶかしむことになる。どうしてもっと上手くやれなかったのだろう、と。すべては全く軽いもので、笑い飛ばしてしまっていいものだが、今のことについては、やはりそうは思えない。僕は今を生きるのに必死であるらしい。とはいえ、焦らなくていい。じっと待つ。重要なことをできるだけ手放さずにともかく歩き続けてみる。
自分を抑えつけないで言うならば、とにかく、しずかに元の場所の穏やかさに戻るのを待ちたいと思っているし、一方では同時に、わかりやすく壊れてしまった方が楽ではないかとも思う。でも、どちらも違うだろうということはわかっている。変わらないか壊れるかという、わかりやすい二つしか浮かばないのは、根底のところで自分を許せていないからだ。憎んでいるからだ。どのみちいろんなものが変わっていくし、かつ、自分のなかのもっとも愚かしい中心、あるいは深いところにある岩盤は、まったく不変のままだ。これをまったく逆に捉えて、些末な表象のうちの一つにこだわって開き直ってみたり、進化的に総括される時代に合わせて自分も変わったように振る舞ってしまったりするのが僕らをつねに追いかける誤謬の型だ。この典型的な誤謬を逃れるには、変わらないでいようとするのも壊れるのも、変わろうとするのも見当違いだ。僕は誰かになれないし、それでいて僕のままでもない。僕は誰でもない誰かになるのだ。その誰かのために生きるのみであって、それ以外の生き方は間違っている。僕であるところの僕のために生きるのも、僕がなりたいところのあなたのために生きるのも、どちらも他者を自分のために使っている。この二つの隷属を、支配を、途方もなくたくさん目撃してきて、そのつまらなさと悲惨さにどれほど慄いてきただろうか。つまるところ、消えたいという気持ちとあなたになりたいという気持ちを区別できずに、死ぬか殺すかのどちらかなのだ。僕はもうそんなのはうんざりだと思う。だから自分を許すのだ。自分がもっとも避けているような見方で自分を見て、絶対に自分が自分から隠してしまうような自分を見て、自分を許すのだ。それには勇気も確信も忍耐も無際限に必要で、ながいながい修練の日々をただ生きて死ぬことになるだろう。それでいい。いや、それしかないのだ。とにかく、これまで自分がやってきたことに、あるいはこれからやっていくことに納得したい。みんなに見ていてほしい。僕が僕を裏切らないように見ていてほしい。

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たとえば、この夏、思いきり沈み込んでしまってもいい。人と会いたくないなら会わなくてもいい。去年よりもずっと沈み込んでもいい。もっともっと、深いところで自分を許したらいい。もし本当に自分を許す気があるならば。



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時間はたっぷりある

無垢な季節。これを聴くと、いつも必ず四年前の十数分間のことを思い出す。
ちょうど今くらいの蒸し暑い夕方だった。


過去を越えつつ、過去にまで遡行する。
どちらも、誰も真剣にはやろうとしない。誰もが、過去にとらわれつつ、かつ、過去を抉り出そうとしていない。誰もその労苦に駆り立てられるほどの強力な憧憬を持ってはいない。僕には人よりはあるだろうと思う。それを素質と呼ぶか、あるいは、弱点と呼ぶか。それはどちらでもよい。

***

0724
ロピアの前のソファに座ってぼーっとしていると声をかけられて、現実に戻ってくると、買い物に来た親友だった。カレーの材料を買うらしく、スーパーを一周するのについて行った。
こうして外で会うと、お互い暮らしているのだな、などと感じて二人で変に面白がっていた。いつも隣に住んで、トイレに行ったり料理をしたりシャワーを浴びたりするのを見ているのに、だ。いわゆる人のプライベート、あるいは生に深くかかわる部分と言ってもよいが、それについては、隣人かつ親友のそれであってもよく知らない。住まい周辺のそれも、あくまでプライベートの一つの断面に過ぎなくて、他の断面がこうして偶然現れてきたのがうれしかったし驚きだった。親しい人とは、どれだけ親しくなっても、共有するこの断面は一つしかないと思う。そしてその断面と彼(女)の人となりとに合わせて、僕が現れてくる。実に複雑なことをやっているなと思う。だからこそいろんなことが平気じゃないのだなと思う。そこにはきっぱりとした断念が必要で、それが何に関する断念であるのかということまで見える場面というものが時折あり、僕にとって、それはほとんど性愛にまつわる気づきと一緒になっているのだけれど、今回はそうではなかった。

***

僕には見えないことを教えてくれる人を大切にしたい。
みんな素敵だよ みんな役目を果たしているよ だから焦らなくていい
だけれど、時間が圧倒的に足りないということも、一方ではほんとうのことだ

お金を持たずお寿司を食べた卑劣漢の顔

最近、思いついたことを思い出す時間が取れていない。
漂白剤を買いたいと思い始めてすくなくとも3か月は経つし、クーラーで冷えるから室内用の上着を持って出かけた方がいいと思いながら1か月授業を受け続けた。


すじがとおることしかいわないのは、すじがとおらない

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短歌が好きかというとまだよくわからないが、歌会が好きだ。もうじき歌会が無ければやっていけなくなるだろうというくらいに、好きになっている。
短歌はどこか、妙だ。僕は、何かを問われているわけでもなく、問うわけでもなく、立たされている。そのことに困惑するから、いつも壁打ちしている。この壁を、「これが短歌である」ということにして、ボールを打つ。そしてどのように返ってくるのかを考える。そしてまた打つ。二度目の打ち方がどのようにありうるかを考えて打つ。三度目か四度目かには、かならず、僕がどこに立っているのかも、壁の位置も、壁との距離もわからなくなって、おかしくなってしまうので、投げ出してしまう。
歌会に出ると、壁がたくさん生えたり枯れたりする。一つ一つの壁は特殊な模様をしており、模様もまた生じては消えていく。模様は動いていて、壁そのものも動いていて、壁らしくない。僕の言葉では壁である、という限りにおいて壁であるにすぎないということがはっきりしてくる。いつもその道を辿るのがたのしい。

短歌というのは、僕は、ずっと、誰か一人に向けて放たれた言葉であるような気がしている。言葉は、言語的存在者総体に向けられる。が、それは発話者にとって、時に開かれすぎている。息が通りすぎてかえって息苦しいというような状態。可能性として無限に開かれているということは、現実的な形態を取っていないということでもあって、そこには特殊で確固たる耐えられなさがある。耐えられないので、僕は誰かへ宛てようとする。宛てられていいはずだという、仄かな疑いもある。それは確信かもしれないが、僕はそう断言するに必要な覚悟を持たない。
誰かに宛てるが、その誰かは見えない。誰かに届くとしてもそれは何かに媒介されて届く。僕はずっとその媒介のさまを想像している。わかるといっていいほどうまく利用し切ることができるような媒介もあるし、まったく太刀打ちできないそれもある。僕にとっての想像力とはこれのことだ。技術とはこれのことだ。
4か月に渡って続けてきたこの記事も、この媒介を想像するために書いている。これは単なる日記ではない。明確に誰かに宛てている。その都度違うが、一人の大切な人に宛てた手紙だし、同時に、すべての大切な人に宛てられている。必ず読んでくれる人も、読んでくれるはずのない人も含めて、僕が死んでほしくないと思った人全員に伝わるように書いている。こうして、重ねて宛てることでできることがあるはずだと考え続けている。

重ねて宛てる。
大切な人全員に重ねて宛てる。その先に、可能的読者全員に宛てるという事態があるのだろう。僕はそこまでつなげるために、読みつつ書いている。ずっと先でつながっていることを信じて読みつつ書いている。

***

暑い日の暮れが好きだ。どんな季節のどんな時間より好きだ。


***

デ(略)は僕の親友へ


友だちが、この夏、遠くの地方第一巨大都市に越す。彼は僕に『おやすみプンプン』をくれた。漫画というものを、ほとんど初めて読んだ。一週間くらいで読み終えた。読みながら考えたことを。

子供のころに間に合わなかったことは、今でも間に合わないし、何度やり直せたとしても同じことだ。誰もが、あまりにも似ている。
平気であるふりをしたほうが、愛しい人は安心するし、目の前のことがうまく進んでいくような気がする。だから、のめり込んでいく。いつからか、ほんとうに平気であるつもりになっている。背後に無数の傷を受けて、それでも、それを知らないふりをして、大真面目に笑おうとする。
誰もが、あまりにも似ている。
どこかで、今までまったく平気じゃなかったことに、致命的に気づく。気づいて、今まで失ってきたものを知ろうとする、探ろうとする、取り戻そうとする。しかしもう失ってしまったからこそ、犠牲にしてきたからこそ、僕はここまで進んで来られたのだ。だからわからない。これからどうしていけばいいのかも、さっぱりわからない。
これは生の表と裏だ。一方を表として生きるときは他方は裏で、両者は実のところ同じ顔をしている。自己欺瞞も自己憐憫もたいして変わらない自己否定なのに、気の遠くなるような時間をかけて、消耗と回復を繰り返しながら、反復横跳びをしている。

誰もが、あまりにも似ている。

もうひとつ。
「ここには神なんていないんだろう?」という問いかけがしつこく出てきた。そして最後まで神は出てこなかった。
当たり前じゃないか、と思った。
なぜか。
人は神に似ている(かもしれない)。しかし、神はまったく人に似ていない。それを知らないから、それだけを知らないから、その問いかけがいつもやって来る。神は人に似ていないし、ここにいない。ここにいるならば、あるいは、私に似て理解できるならば、それは神ではない。
神にとって人の生死はどうでもいい、と言えば言い過ぎかもしれないが、神の目的は神であって、人ではない。したがって、少なくとも、私の生死の問題を救ってくれる、どうにかしてくれると私に感じられるものは、神ではない。神を自分の生死に、幸福に利用することなどできるはずがない。
神とは私が呼びかけることのできる存在ではないから、神なんていう「呼び名」はいらないかもしれない、という考え方もできる。あると上のような誤解を生きて死ぬことになる奴がいるから。しかし、神を呼ばないとしても、何かを呼ばざるをえない。人は呼べるものを呼ぶのだ。自分に捧げられるものを自分に捧げるのだ。

「神様なんていない」/と思ってる奴らにはいない でも/「神様はいる」/と思っている奴らにもいない たぶん

「かみさま」/PSG

神に呼び名があるほうがましだと考えたのがキリスト教で、ない方がましだと考えたのが仏教だ、と言えるだろうか。仏教は、神と呼べる存在なんていないという現実を空と呼んだが、仏教は空教とは呼ばれないし、人はただの人を、「仏」と名付けて呼びかける。どちらがましだろうか?どっちもどっちだろう。

果たして、神はいるし、神はいない。

***

ちょっとまじめに書きすぎたかな、今月は。
それもいい。あと数回でこの形式も終えるだろうし。

どこからやってきたのかわからないリズムとメロディで、僕は、今日も口ずさみ、口笛を吹き、読み、書き、話し、笑い、食べて、眠る。
僕は選ばれてここにいる。

僕たちは選ばれてここにいる。


***

らぶゆ

僕にはできないことをきみがして歳をとる そのあとのわらいかた

7/25サイゼリヤ吟行にて


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