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10月のこと

近づけ。

去年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻は今なお続く。去年7月の、元首相暗殺のテロをきっかけとして統一教会への解散命令の請求がなされた。ジャニー喜多川の名前はさる芸能事務所から取り除かれ、親族が会社の立場から「喜多川氏の痕跡をこの世から消し去る」と言った。遠く、ガザ地区には爆弾が降り注ぎ、地上戦が始まるとさえ推測されている。YouTubeグループ・東海オンエアは「一時休憩」を宣言し、誕生日を迎えたリーダーてつやは、「一旦崩壊しました」とはっきり述べた。

近づこうとしてみたらいい。どれか一つでもいいから、真剣に。どれも触れられたとしたら無事では済まないだろうが、どれも遠くて、近づくことすらできない。体験できない。理解できない。しかし情報としてはいつまでも降り注いでいる。それを止めることもまたできない。

Twitterは失われた。変わって「X」になったというのは、別のものになったというより、名前というもの自体をそのプラットフォームから大きく剥奪したように感じられる。
目につくところではそこだろう。そして、いくつかのあるニュースが、ただの数あるトピックの一つとして消費されたことでTwitterは終わったとも言える。今年5月の原発運転期間の「実質延長」の決定と8月の「処理水」の放出。Twitterは2011年3月に、届かないはずの声が発せられ届けられる場所として始まったはずで、呟くという言葉が、そのかすかな存在が拾われるということを意味していたはずだった。今や、それはポストであり、ポストとは声ではなく情報だ。情報が回され続けるために電気が供給され続け、そのために発電され続けることがほとんど決まったのだろうと思う。突然の被ばくを想定外という計画に織り込んで僕らは迷惑な人を叩いたり政治議論に熱くなったり死にたい旨をタイムラインに並べたりするのだ。

10月末の渋谷には「【注意】渋谷はハロウィーンイベントの会場ではありません NO EVENTS FOR HALLOWEEN ON SHIBUYA STREETS」という大看板が掲げられ物々しい警戒態勢が敷かれている。そんな当たり前のことを知らなかった人はいない。だからこの文言は冗談であるとしか言いようがないのだが、どうやら路上で騒ぎ飲酒するという冗談みたいな言動を許さないことを明示するためのステートメントであるらしい。冗談を制するときに唱えられるのはあくまで冗談のような本気の提案なのだろうか。この「あくまで」の挿入を自分で付け足すのに要する数秒の困惑は、2020年4月、小池百合子が「密です」という台詞を連呼して報道陣に注意喚起を行ったこと、それがネットミーム化した時のこと、そしてそのスピード感に対して感じた困惑を連想させる。

どうやら全員が本気で、どうやらすべての出来事が本当であるらしい。冗談のような本当と本当のような冗談が入り乱れて、そこでダサくないようにいるために、僕らには一人ひとりが等身大を追求するということが選択肢として用意され=強制されているのだろうと思う。そういう体制のなかに僕らはかろうじて生きることを許されているように感じる。「9月のこと」ではその体制を正面から捉えたいと思って書いた。



等身大であるというところに追い詰められる/逃げ込むのは嫌だと思う。たしかにそれで守られる部分はあるし、逃げ込んでみてようやく、どれほど追い詰められた場所にいるのかもはじめてわかった。でも、僕の個人史としては、「ようやく話せること」をひとしきり話し終わったのではないか、という気がしている。僕の懸念をはっきり述べるとこうなる。最小の歴史としての生活に閉じこもることを選んだとして、果たして僕らは10年20年ものあいだ、「ちゃんと生きたいと思ってる」とか「大丈夫」とか「くるしいね」とか言って、そのポストにいいねをつけあって、それで今のかわいさや文化的な反応力を失ってなお、やっていく覚悟はあるのかということだ。どうせChat-GPT程度の環境変化に煽られて僕らはバラバラになっていくだけだろう。要するに、僕らの「身体」や「暮らし」や「サブカル」といったような合意点だけだと、掛け金としてショボすぎる。それよりかもっと猛スピードで自分を使い果たしていくような「死にたい」ひとたちと比べて、「生きたい」ひとたちは何ができるというのか。どちらも仕組まれたスケールのなかでそれぞれ手に取った中毒をそれしかなかったものとして愛している点で同質だ。同質だがつながれない、今後もっとつながれなくなっていくというのは厳しいことだ。

言うまでもないことだが、僕らのこれからの生は撤退戦でも延長戦でもないし、そもそも、自分たちを位置づけるのは自分たち自身ではない。ほんとうにシンプルに、だらっと続いていくのだ。それだけはまったく冗談ではない。ここから眺めればすべてがドラマティックに見えて、かつ、何も出来事は起きていない。「良い人」にも「日本人」にも「男」にも「女」にもなってはいけないが、「ただの人」にもなってはいけない。僕はここにいる。それを自分に気付かせるのがいちばん難しいのだが、等身大という体制はとりわけ巧妙に自分から自分を隠してしまうように思われる。


「神様なんていないよ」


***


スペインの映画監督・ビクトル・エリセの三本の長編をつづけて観た。光や人の息づかいの描き方に、かつてないほど感動したのだが、それが冷めてくると気になったのは、あまり親しみを感じたことのない妙な開放感だった。天井が抜けていてぱっと青空が見えているような感じ。僕が観てきた映画のなかではいつも、「もの」「ひと」が露わになる瞬間があってそれは開放ではなく「解放」だった。いつでも閉じていた、開くことなど考えもしなかった天井が吹き飛ばされる、といったような。僕はその瞬間を、ドラマ的なものと非ドラマ的なものの葛藤に働いていて、映像へのフェティシズムがそれを内側から破壊するダイナミズムとして理解していた。「神、死、性を追求し、西欧的自我の危機感を描く」ことで評判の(?)イングマール・ベルイマンの『鏡の中の女』(1975)を観て、それこそ「私が存在しているということに気づけない」みたいな台詞がありこれが典型だと思ったのだが、もっと軽いモチーフの作家にも潜在しているだろうと思う。というか、エリセにそうした気配が全くないことに驚くことによってそう気づいたと言えばいいだろうか。

鬱々としたダイナミズムがまったくなく静であると言っていいと思う。それを目撃しながら、エリセという人以上にスペインという場所を思わずにはいられなかった。今までまったく注目してこなかった、国としての「スペイン」。すぐ思いだせるスペイン人は、スペイン戦争ののち独裁体制を築き上げ長らく維持したフランコだけで、ピカソでさえも「ゲルニカ」が作品タイトルと地名として結びついて出てきただけで、スペイン人としては把握していなかった。20世紀の人物なら哲学者のオルテガがいる。僕は彼を20世紀のスペインの人物としてではなく、哲学史の一部としてしか考えたことが無かったので、彼の「大衆」も「貴族」も「民主主義」も、その思索の意図が伝わるはずがなかったことに気づいて愕然とした。

スペイン人は長い間コンプレックスに悩まされてきた。英仏独などヨーロッパ先進諸国のたどった近代化の道筋から自分たちが「逸脱している」という劣等感である。20世紀初頭、スペインを代表する哲学者オルテガは「スペインが問題、ヨーロッパがその解答だ」と述べ、スペインがその後進性から脱却するために、ヨーロッパをモデルとして政治社会の刷新を押し進めることが肝要だと主張した。ヨーロッパからの疎外感は、その後も一種の強迫観念のようにスペイン人にまとわりついた。

八嶋由香利編『スペイン 危機の二〇世紀:内戦・独裁・民主化の時代を生きる』「はじめに」(2023年、慶応義塾大学出版会)*noteで「はじめに」を読むことができる(https://note.com/keioup/n/n03b801f3b918
)。

こうしてみると、僕が考えてきたものとはまったく異質な[ヨーロッパに対する]「辺境性」が見えてくる。カトリックであり、「宗主国」として出発しながらほとんどその支配を英仏独に明け渡してきたという、シンプルな後続性-辺境性。これに照り返して考えると、日本の「辺境性」はかなり屈折した歴史と事情のもとに形成されていることがあきらかであり、それぞれ考える「ヨーロッパ」「民主主義」はまったく違ってくる。「戦後民主主義」をめぐる僕らの葛藤などがまさに屈折を映す最たるもので、スペインの辺境性に対比するなら、今の日本の状況は閉塞性と呼んだ方がずっと適切なのだろうと思う。

要は、それぞれの「辺境国」は、それぞれの辺境から中心の像を作り上げるわけで、当然お互いを辺境としてすら把握しない。それが僕=日本人が、アメリカ人イギリス人フランス人ドイツ人を大勢知っているのにスペイン人をフランコしか挙げられない理由だ。僕は日本人なのだ(!)。

もっとも、今の多くの日本人の「辺境性」はほとんどアングロサクソン-英語圏文化と韓国文化の照りかえしだろうと思うけれど(TOEIC、ハリウッド的なもの、古着?スニーカー?、K-POPアイドル&韓国メイク)、僕みたいに人文(笑)を選んで大学に入った人は、哲学(主にドイツ・フランス)や批評(主にフランス)や宗教(プロテスタント的な信仰)の欠落に目がいって自-他の空間を設計している人が多いのだろうと思う。そこにたとえばスペインやイタリアが入る余地はあまりにも少ない。このあいだ会った哲学コースの先輩は忙殺されてガザ地区の問題をほとんど知らないと言っていて、ほかの話題を話していてもほんとうに「カントを知っているだけ」であるように思えた(思考空間においてカントのテクスト=西洋哲学が自律している感じ)。この視野狭窄がもたらしているつまらなさはめちゃくちゃ大きいと思う。日本人特有のオリエンタリズムの分析が要る。こうしたことにぼんやりと気づき始めて、進むべきは哲学「ではない」んだな、とだけ考えているところ。

僕は人文野郎ではあるがそれ以上にサブカル野郎であり教室の子であるという点で、「(日本)戦後的なるもの」の体制の閉塞性に目がいく。だからカントよりもTohjiが気になるし、そのときの焦点は「Tohjiはどこから来たのか?ーーお前と同じだ。教室であり、コンビニの駐車場であり、ショッピングモールだ」というところなのだ。96年、ロンドン、横浜ニュータウン、麻布学園(=学園闘争の残り香)、SoundCloud、引きこもり、武蔵野美大、AbemaTV、文春オンライン。キーワードだけでもはっきりとその背負うものの幅がわかる。21世紀日本とインターネット。

信仰という問題の全体性についてながらく考えていたのだが、知識と権力との問題の全体性にトピックは移りつつある。

生まれたところやひふや目の色の同じぼくらでうたう青空

伊舎堂仁「炭酸七拍子」(『トントングラム』)

スペインの空、日本の空、そして光(すべての場所の)
「見えるものだけがすべてじゃないよ」とか言ってられないだろう



(↑僕が行ったワンマンの横浜のほうのフル。気分で消すかもだって)


***


封鎖は占領と同様、「構造的暴力」である。直接的暴力である戦争と異なり、一時に大量に人が殺されたり建物が破壊されたりするわけではないので、その暴力性はにわかには分かりづらい。だが実に巧妙に、今すぐ人が大量に死ぬことなく(だから世界の注目を集めることもなく)、しかし封鎖に起因するさまざまな否定的な影響が長期間にわたり持続、蓄積し、それらすべてが複雑に撚り合わさって、直接的暴力に勝るとも劣らぬ致命的な暴力となって社会と人間を内側から破壊する。ソシオサイド(社会の扼殺)である。
(中略)
ヨハン・ガルトゥングが構造的暴力という概念を提唱するまで、平和とは戦争という直接的暴力のない状態のことだとされた。だがガルトゥングは、それは消極的平和に過ぎないとし、真の平和とは構造的暴力のない状態だとした。

社会という一般性のもとで日本に目を移してみる。

幼児虐待、児童虐待、家庭内暴力、教育虐待、校内いじめ、部活いじめ、高齢者虐待、高齢者ドライバー事故、オレオレ詐欺、ワンクリック詐欺、引きこもり、ゲーム依存、ネット依存、ギャンブル依存、インセル、ホス狂、未成年淫行、レイプ、リベンジポルノ、セックスレス、離婚、心療内科数か月待ち、薬物依存、オーバードーズ、リストカット、推し活、恋愛禁止の女性アイドル、性犯罪者の言いなりにならざるをえない男性アイドル、自分で何も決められないアメカジ野郎、暴露系YouTuber、迷惑系YouTuber、淫夢厨、学歴厨、園児に教育勅語を朗唱させる幼稚園長、フェミニストを名乗る差別主義者、歴史修正主義者、陰謀論者、不適切発言で辞任する大臣、政見放送で放送禁止用語を連呼する人、選挙で金儲け、無党派層、非正規雇用、ワーキングプア、老後破産、シングルマザー家庭の貧困、ブラック企業、ブラックバイト、障害者大量殺傷、カルト宗教、テロリズム、自殺、孤独死。

いろんなグラデーションで書き出してみたが、まあいろいろある。いろいろありすぎる。自殺者だけで2,3万人、死ぬまではいかないがはっきり破壊的な中毒や依存に滞留しているのはその10倍と見積もるのは小さすぎるだろうか、大きすぎるだろうか。いずれにせよ内戦や紛争より暴力的でないと言い切るにはあまりに苦しみが多様でそのつながりが複雑だ。何が起きても不思議ではないのだ。

誰からも人として扱われたことのない人が明日僕を刺し殺したとして、僕のまわりの人は、その時初めてその人を人として扱うだろう。「どうしてこんなことをしたのか!!!」と。これはその人に訪れた比類なき幸いではないだろうか。

「人権の彼岸」とは、たとえばこうした幸いを言うだろう。「人権」も「社会」も「国家」も「宗教」も、その一般性に含まれるのは歴史に選ばれてきた個物だけだ。先行する原理や一般性には歴史と体験が必ず密輸入されている。ただの人間も一般的な人間もどこにもおらず、誰もが固有の歴史と体験を引き受けさせられた異形の怪物であるのに、だ。「公正」を発見しその追求を始めた誰かは、怪物であることを辞めて「良い人」になることができる。正しさに照らして自分の行いを顧みるようになる。人にやさしくできるようになる。しかし彼が怪物を辞めることで彼の集団の他なる怪物性を許容する力は急速に奪われていく。そこに変化を、衝撃を与えることができるのは画一的な抑圧の通用しないよほどの怪物だけだ。その出会いは悲劇でありつつ幸いであると思える。それは怪物にとってでもあり、その集団にとってもだ。「我々も昔怪物であったところから、どうしてそれを辞めてしまったのか」と問う機会になるかもしれないからだ。

しかしたいがい、「もう後戻りはできないから」というそれだけの理由で、その怪物は殺されてしまう。集団は保存される。公正は保存される。「歴史」は続いていく。声なき声がどこかに届けられることなく。


***


こわばった身体から出てくる力というのは知れている。力のこもったパンチではなく、力をこめなくても弱くないパンチを繰り出す必要があるのだろうと思う。そこに柔らかな身体のまま体重が乗れば考えられないような吹っ飛ばし方ができる。しかしそのときの敵の輪郭とパンチの威力とはじぶんに感じられるとは限らない。一見何でもないようなところに質的な変化がある。なんでもないように思える自分の一言が、あるいは数十分の会話が、その場の誰かにとって決定的なものになるということもある。それを想定する、自分の手ごたえに寄りかからない。他人を自分の問題に引きずり込まず、ただその場が動いていくままにする。投影や共感を超えていく。一年余の歌会で学んだのは主にこういうことだ。

そうすると問題になってくるのは、身体の柔らかさと機会/コンテンツのボリュームだ。

ラジオを始めた。

「何か言」いたくなった。

身体を柔らかくする。そして等身大なんていうつまらないものを超えていく。それをいろんな角度から試してみるつもり。


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