北辺から北辺へ

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 知床の、ヒグマを観光する船からの映像がニュースで流れている。国内北辺域にある秘境を沿岸より観光できるサービスがあるとの由。

 つい先日そこで消息を絶った船があり、現在11名のかたの遺体が回収されている。他の方々についても、その生死は不明だが、海流や潮流によって遠くに行ってしまっているかもしれず、捜索は難航しているとの由。そこで政府は捜査範囲が北方領土周辺にまで拡大する可能性を見越してロシアとの調整を進めているとの由。

 ことが統治の圏外にことが及びかねない事態にあたって、ようやく辺境のロマンたるものがその基層に血生臭さを抱いていることを、はたと感じさせられる。


 僕らの北辺意識は、生活においてはまさに稚内や知床などにある。観光によって、ないし国内旅行であり得る光景であるという認識によって、形作られていて、間違いなくそれは実効支配地域によって規定されている。(そして殊に日本においては至極単純に、日本語が使用されている範囲と一致する。)

 それは「日本にもこんなところが!」という感覚を惹起する。これは「世界にはこんなところが!」という感覚とは、どうしても違うと思う。この言語領域でこの法が及ぶ、1億3000万人でGDP世界3位の、島国の…と何を冠しても一向に変わらない、国というものの意識と比べられて成り立つ感慨であると思うのだ。

 しかし、これの感覚は1945年以前であれば、もっと遠くに適用可能であった。千島列島および南樺太だ。当時のロマンは樺太の密林にも及び得る。そして帝国としては南方は沖縄にとどまらず台湾、赤道以北のニューギニアまで至り、北西は朝鮮である。内地外地の違いはあれども朝鮮・台湾の鉄道の起点は東京駅であったことが個人的には象徴的であるように思われる。

 そして植民地や委任統治領のことに触れると、古傷に触れたようなヒヤリとする感覚が去来し、眉を渋くし、目を細めてしまう。


 しかし、知床も、そして石垣島も、そうやって国に組み込んで血肉化したからこそ我々にロマンを供給し続けているのだ。東北の雪深い風景も、鹿児島南西諸島の密林も、遡れはそうである。そしてヤマトに併合された琉球王国も与那国島や奄美群島を征服した王国であった。むしろそうして確立されている琉球を併合したわけであるからアイデンティティ上の緊張が潜んでいるのも無理はない。蝦夷地のように漠然とした共同体を征服する方がよほど容易であったに違いない。

 戦前史を俯瞰すると、蝦夷に広大な耕作地を、琉球および南洋諸島に製糖産業を獲得できたというこの単線的な拡張傾向を自明なものと考えているように見える。帝国日本の侵略主義、という政治的なフォーカスはその点であまり正しくない。日本人はずっと周辺を征服し続けてきたのである。そしてその営みそのものの善悪は問いえない。しかしながら、もう20世紀以降は"他国の主権を排し、領土を侵すが如きは"、絶対的に悪いし、それ以前であっても、アメリカ政府がネイティブアメリカンに部分的にそうしているように、謝罪や補償をしなければならない出来事はいくらでもあるし、今後も調停されなければならない。

 カスター将軍の評は逆転したが、大伴家持を、坂上田村麻呂を裁けるか。新疆を弾圧する中国は全くもって犯罪的だが、ハワイ王国を滅ぼしたアメリカ合衆国はどうか。与那国を征服した琉球王国は日本に併合され、ウクライナを侵略するロシアは絶対悪である。という目眩のするような事態の複合と積層の上に、知床の風景がある。

 ただしかし、そうして僕らは、征服者を先祖に持つ者として、美しい流氷やヒグマを休暇に観光できるのだ。そして同時に、少し北に漂えばロシアとの調整が必要になるのだ。

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