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【畑の生活】当たり前の奇跡

玉ねぎの苗を植えてから1週間。気温もぐっと下がり、シャーマンロードはうっすら紅く色づき始めている。彼方と此方をつなぐこの道を僕はこれから何往復もするだろう。でも、一瞬も同じ風景にとどまることはない。風景はつねに変化している。色、温度、風、どれもが少しずつ変わっていく。すべてが息づく永遠の中の一瞬を僕は往復する。

畑に到着し、長靴に履き替える。スニーカーが汚れるから履き替えるのではない。土を踏むための靴。別の世界に足を踏み入れるための靴。これは一つの儀式だ。長靴を履くようになってスニーカーは平らに均された平面を歩くための靴だということがよくわかる。大地を埋めて覆い隠してしまっているアスファルトの上で、僕の足はスニーカーに包まれ保護されている。アスファルトの上を歩いていると「僕は一体どこを歩いているのだろう。」そんな感覚になるときがある。それでも人は歩く。空間を移動する。僕らは獣なのだから。薄っぺらい長靴の感触が好きだ。ゴソゴソと不安定に歩きながら、土の感触が伝わってくる。でこぼこの土の上でバランスをとりながら歩く。右に左に揺れる僕の身体のなかで、獣が寝息を立てている。

4本の畝のうち、2本の畝は春先に夏野菜を植えるため、引き渡してもらったそのままの状態で寝かせてある。その2本の畝の表面に小さな草が生え出している。なんにもしていないのに、むしろなんにもしていないから、草は生えてくる。土が生きている証拠だ。夏野菜の種を蒔く頃には抜いてしまわないといけないだろうが、それまでしっかりこの土の上にいてほしいと思う。土に草が生えることで、虫があつまり、土を肥してくれる。実際どうなのかは知らない。そんな気がするだけだ。来年の春まで、この雑草や虫やバクテリアたちが土をほぐして準備をしてくれているような気がする。

スナップエンドウの畝にかけておいた不織布をめくる。丸く穴を開けたマルチの上には、保温保湿のために籾殻を一握りかけてある。別にしなくてもいいみたいだが、長老は「見栄えがいいだろ。」と言っていた。僕もそう思う。長老は「好きなだけ使え」と籾殻の袋を僕にくれた。その籾殻の真ん中から、小さな緑色の葉っぱがちょこんと顔を出している。発芽している。至ってシンプルで当たり前のことに、僕は震えた。当たり前のことが、当たり前に起こっている。あの小さなターコイズのような、そらいろのたねは生きている。その事実が僕の目の前で現実として空間を立ち上げている。僕は奇跡のように思えた。

他の畝も見てみると「サラダ王国」エリアにはびっしり芽が出ている。ベビーリーフのベビーといった感じで、すでに美味しそうな雰囲気。このままドレッシングをかけてかぶりつこうかと思うくらいだが、まだまだここからだ。「ちいさなかぶ」エリアの、カブとはつか大根も、「葉物三銃士」エリアの、チンゲンサイ、小松菜、ほうれん草も、しっかり発芽している。長老がやって来て、ほうれん草がピンピンに発芽しているのに驚いていた。長老もほうれん草を秋の初めに植えたそうだが、発芽しなかったそうだ。とても羨ましそうに発芽したほうれん草を眺めている。僕はほうれん草ができたら、長老に食べてもらいたいと思った。それが僕の長老に対する敬意だ。

この日は、冬支度としてバインダーと呼ばれる棒をアーチ状に曲げ、ちいさなビニールハウスをつくった。数本のバインダーを土に刺し、アーチをつくってビニールをかけてペグで固定する。さらにビニールの上からもバインダーで固定すれば完成。意外と簡単だ。僕は畝を分割するときに適当に区切ったので、ハウスとハウスの間が少し狭く通りずらい。ビニールをかけることを想定して畝を分割しておけば、作業がしやすくなる。来年はそういった経験も踏まえて畑をデザインしよう。いよいよ畑らしくなって来た。

長老はいつも、絶対の決まりはないと言う。冬に備えて保温するためのこのビニールの他にも、マルチの穴に支柱を刺し、稲藁で風除けをつくる方法もあると言う。効果はさほど変わらないそうだ。ビニールが一番手軽で簡単だからとりあえず、この方法を僕に教えてくれた。「どの方法を使うかは、どんな畑を作りたいかだ。」と長老は言う。僕が稲藁の風除けもつくってみたいと話すと、長老は「畑って感じがするだろ。」と笑った。時機に他の畑でも、稲藁の風除けを立てるところが出てくるそうだ。長老は簡単だからそれを見てやってみればいいと教えてくれた。他の畑はその畑ごとに色がある。見ていると面白い。畑ごとに違った音楽を鳴らしている。かっちりクラシックな音楽を鳴らしているところもあれば、素朴な民謡みたいな音楽の畑もある。同じ敷地面積のはずなのに空間の印象も畑によって違う。長老の畑は雑然としているがとっても力強い。パンクだ。畑には人柄が出ると長老は言っていた。僕は畑のうえに僕自身をみつけるのかもしれない。「見てみろ。」長老が指さす。さっきかぶせたばかりのビニールの内側がほんのりくもりっている。土は今この瞬間も呼吸してる。

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