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鹿

川の瀬で鹿の頭が見つかった
猟師は焚き火の前に ごろんと大きな塊を置いた
真っ黒い眼がちらちらと火に照らされている
首から下はなかったのだという
衰弱した鹿は川へ向かうそうだ
鹿は水の流れる場所を知っている

残雪の山路 行く手の先に鹿を見た
茂みから茂みに 路を横切る一瞬
鹿は静かに此方を見た
私と鹿の間逢い もうひとつの時間が流れる
後ろをついて歩いていた息子に呼ばれたときには
もう鹿の姿はなかった
息子は鹿を見なかったという

夕食は鹿だった
牛や豚を食うときよりも
いくぶん丁寧に肉を咀嚼し
私と鹿の境界線を曖昧にしていく
私は鹿を食い 鹿は私に食われた
ただそれだけのこと
私は鹿に生かされた

鹿が最後に見た景色を眼に虚し
鹿が最後に聞いた尾途を辿り
水面に消えた亡き声に耳を澄まし
黒曜石の瞳が映した世界のなか
私は水の流れる場所を探して歩く

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