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3月30日(木)ながい待ち合わせ

長男が友達の家にお泊まりで、いつもより少しだけ静かな夜。久しぶりに妻と話した。
噛み合わない言葉のやりとり、うまく伝わらない気持ちに苛立ちながらも、自分のなかに詰まり、こびりついているものを少しずつ吐き出していく。

「どうすればいい?」「どうして欲しい?」「解決策はなんですか?」「最善の方法を決めましょう」そういうあなたの言葉、あなたのスタンスが、僕をひとりぼっちにするということ。とても辛いということ。でも、妻にそうした態度をとらせてしまっているのは僕の方で、本当はそうじゃない妻をそんなふうに強いてきたのは僕自身だ。でも、僕は少なくとも2年前の僕とは違う。僕は、あなたとそんな話がしたいわけじゃない。解決策やルールなんてどうだっていい。僕はただ、僕の話を、僕の声をあなたに聞いて欲しいだけなんだ。

ぽつり、ぽつりと言葉を途切らせながら、
僕は糸を手繰るようにして、そんな話をした。

妻は、的を射ない僕の言葉に初めは困惑していた様子だったけれど、どこかの時点で彼女なりのコード、チャンネルを見つけたのが僕にもわかった。

波と風にさらわれて届かなかった漂流者の声が、かすかに届いた瞬間。


これまで僕は妻の前で弱さを見せてこなかった。
裏を返せば、弱さをみせることが怖かったのだ。
一家の主人として、夫として、父として「強くあらねば」という意識が、どこかにあったのだと思う。

僕は妻の前で、初めて自分の「弱さ」を見せた気がする。
自虐ではない本当の「弱さ」。本当の自分。

この2年間、僕はサナギだった。殻の中は混沌とした液体。
僕はまだそのなかにいる。

いままで生きてきて絡まっているものが、なぜこの2年間で異常として表象してきているのか、そしていま僕はどこにいるのか。

いまある僕なりの見解を僕は思いつくままに話す。
妻は「そこまで自分のことを言語化できているあなたは凄い。」と言ってくれた。僕はなんだか救われた気がした。

僕はのたうち回りながらも、このnoteの上に自分自身でもわけのわからないものをとにかく吐き出そうとしてきた。そして、アツ氏とジュンさんに定点観者がいることで、なんとか自分のいる場所を確認できている。


たった一回話をしただけで、これまですれ違っていたものが万事上手くいくなんて思ってはいない。それだけ、僕らはすれ違ってきたし、僕自身は漂流したままだ。

ただ、僕の声がかすかにでも届いたということは、漂流者としての僕のことも、いつか見つけ出してくれるかもしれない。

だから僕は、声を出しづづけようと思う。

僕らは、ほんの少しだけながい待ち合わせの途中なんだ。

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