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5月15日(月)P-FUNKファミリーの世代と継承。

ビルボードライブ大阪で、George Clinton & PARLIAMENT FUNKADELIC(以下、P-Funk)の大阪公演を観た。
開演前に隣の席の外国人のおじさまに「どこでダンスすんの?」みたいなこと聞かれたから「ここでいいよ。」って答えたけど、オープニングから客席総立ちで場内はまさにダンスフロア状態。ぐいぐい押してくるファンクなビートと、おじさまのキレキレなステップに誘われて僕も踊りまくった。

同じ阿呆なら踊りゃな損。

コロナ禍以降、久しぶりにライブで飛び跳ねた。
馬鹿みたいな感想だけど、本当に楽しかった。音楽はこうでなくちゃ。

恥ずかしいとか、どう観られてるとか、どんな風に踊るかとか、そんなことはどうだっていい。僕らの日常はすこしばかり「賢く」なりすぎてる。論理、秩序、理知、最適解、効果、根拠、、そういった重力から解放されて、僕はもっと「馬鹿」になりたい。そこに僕の「時間」は立ち上がる。

ジョージ・クリントン師匠を含めて、ヴォーカル、ラッパー、コーラス、鍵盤、ギター、ベース、ドラム、ホーン、総勢18名からなるステージには、オレンジのアフロに蛍光イエローの全身タイツ(コーラス、ダンサーを務めるジョージの娘、スコッティ。セクシーでチャーミング!)もいれば、光るサングラスのドレッド(ギャレットa.k.aスターチャイルドJr)もいるし、革ベストにバンダナのイカしたバイカースタイル(あの時代のP-Funkの音を今に伝えるベテラン組ギタリスト、マイケル・ハンプトン!)もいれば、ラフな格好のやつ(13は、最高に愛嬌のあるフロントマン!)もいる。服装、髪型、肌の色もバラバラで、それぞれが無秩序に存在し、ひとつのステージをつくってる。ステージ上のどこを切り取っても常に何かが起きている。すべてが限りなく自由でありながら、すべては関係している。世界そのものがそこにあり、僕もその一部なんだと感じさせてくる。それが僕の大好きなP-Funkであり、ファンクするってことなんだと思う。

P-Funkは、ご存知の通りジョージ・クリントンを総帥としパーラメント、ファンカデリック、この2つのバンド(メンバーはほぼ同じだったり)を中心にその他の派生バンドも含めた軍団の総称だ。この時点でP-Funk というものがバンドでありながら、概念であるとも考えられるのが面白い。50年以上に渡って活動を続けているので、もちろん時代によってバンドメンバーも変わる。細かく色んな出入りはあるが、おおむね現在は3rd Generation(第3世代)と呼ばれていたりもする。

多くの場合、レジェンド級のバンドに求められるのは「当時の再現」だと思うし、バンド側もそれに応えようとする。そういった意味で、往年のバンドはオリジナルメンバーに近い布陣でやることが価値とされる。でも、P-Funkの場合、そもそもが「ジョージ・クリントンを総帥としたバンド軍団の総称」という概念であるから、時代に合わせてメンバーを入れ替えることが可能なんだと思う。もちろんP-Funkも全盛期と呼ばれる時代があったし、その布陣、その音を期待するファンも少なからずいるだろう。でも、ジョージ・クリントン師匠の七転八倒、転んでもただじゃ起きない精神によって、メンバーを入れ替え、生き延びてきた結果、いまのP-Funkは「当時の再現」ではなく現在進行形で世代間の「継承」を成功させている類稀なバンドになっていると感じた。

マイケル・ハンプトン、ライジ・カリーのような「ベテラン世代」に、オムツ姿で有名な往年の名物ギタリストのゲイリー・シャイダーの息子であるギャレット・シャイダー、往年のトランペッターのベニー・コワンの息子で現在のP-Funkの屋台骨ともいえるドラマーのベンゼル・コワンといった「子世代」、そしてジョージの孫であるトニーシャを含めてフロントで元気にファンクしまくる「孫世代」たち。親世代の説得力と、子世代の安定感、そして孫世代の若い感覚が、最高のバランスで成立しているのが、いまのP-Funk。だからこそ、彼らのパフォーマンスは往年の名曲も含めて圧倒的にフレッシュだった。
現在のところFUNKADELICとしての最新作『First Ya Gotta Shake the Gate』(14)からのナンバー"Get Low"なんかは、バリバリのトラップビートで、いわゆる往年のFUNKADELIC的なファンクナンバーとは表面上全くの別物だけど、最高に踊れるという意味で間違いなくファンクだ。最近のセットリストには必ず入っているのも納得。もう1曲、最近必ずやっているのがハウス・オブ・ペインの"Jump Around"のカヴァー。特に僕みたいなヒップホップ好きは、イントロからぶち上がる。
これらの選曲は、単に若い世代の音楽に迎合しているってことじゃなく、ヒップホップがファンクの延長線上、音楽的に親子のような関係にあることの証明なのだと思う。
ジョージ・クリントン師匠は、ヒップホップのトラックで自分達の曲がサンプリングされることにはとても寛大だったし、P-Funkがヒップホップ以降サンプリングによって転生し、再発見されたこともとても興味深い。デ・ラ・ソウルの"Me Myself and I"でサンプリングされた"Knee Deep"をやってくれたのも、とっても嬉しかった。R.I.P.トゥルーゴイ。

じいちゃん「おい、この曲なんや?」
孫「ああ、トラップだよ。」
じいちゃん「ほほう、なかなかイカすやんけ。」
孫「だろ?じいちゃん、わかってるね!」
じちゃん「めちゃめちゃファンクやがな。おい、もっと音上げんかい!」
孫「え、じいちゃん大丈夫??」
じいちゃん「アホぬかせ、まだまだ踊れるわい!」
孫「じいちゃん、いいねえ〜!」

勝手な想像だけど、いまのP-Funkはこんな感じ。
ステージ上でも入退場の時でも、ジョージ・クリントン師匠を支えるようにアテンドする孫世代たちの姿はなんだか微笑ましかったし、本当の意味でファミリーなんだなっていう気がした。

こんなことは想像したくないが、ジョージ・クリントン師匠も80歳を越えて、もしかしたら近い将来マザーシップに乗ってチョコレートミルキーウェイに帰ってしまう日が来るかもしれない。だとしても、このカタチによってファンクの継承と循環がなされるならP-Funkは往年のバンドとしてではなく、現在進行形のバンドととしてこれからもファンクしてくれるのかもしれない。

終盤、名曲"Maggot Brain"で、マイケル・ハンプトンのギターソロの横に腰掛けながら気持ちよさそうに体を揺らすジョージ・クリントン師匠。

この人はこれまで、何百回このギターソロを聴いてきたのだろう。僕はそんなことを考えていた。

ジョージがこの地球という星で経てきた時間が、歪んだギターの音のなかに重なる。ジョージはゆっくりと立ち上がり、大きく手を振ってオーディエンスを煽る。

ジョージが何かを叫んでいるが、その声はギターの音と観客の歓声にかき消されて聞こえない。それでもジョージは叫び続け、手を振り続ける。

「もっと、もっとだ・・・!!」

声にならない声が聞こえる。
ギターは大きな音のうねりになって場内を飲み込んでいく。

「もっと、もっとだ・・・!!」

混沌とした音の渦の中で、僕はファンクの真髄を見た気がした。

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