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1月6日(金)年の初めに。

年が明けた。ここ数年を振り返ってみても、比較的精神的に穏やかな正月を過ごせた気がする。
年末は数年前からひとりで伊勢の5社参りへ行くのが習慣になっている。夜明け前に出発し、日の出の時間ごろから夫婦岩で有名な二見興玉神社、道ひらきの猿田彦神社、伊勢神宮の外宮である豊受大神宮、日本の神社の総本山伊勢神宮、そして月讀神社を順番に回る。今年は例年にも増して人出が多く、コロナによる外出自粛も緩和されているのだという世間の空気が伝わる。個人的な年中行事も回を重ねると道順や駐車場などもある程度わかっているので、手際よく昼過ぎには全ての参拝を終え、お土産の赤福と授けてもらったお札とお守りを手に帰路に着く。
道々の車中で、霊験あらたかなる神社の境内で、神前で、手を合わせながらこの1年のこと静かに振り返る。僕はこんなふうに寺社仏閣へはよく行くし、家には神棚も祀ってあるし、書棚には宗教書もあるので、僕は信心深い人間だと誤解されることが多いのだが、まったくもってそんなことはない。仏教、神道をはじめその他の宗教や禅、瞑想、神話にも興味があるのは確かであるが、それはあくまで人文的な興味からくるもので信仰ではない。僕のなかに信仰というものがあるとすれば、それは天照大神でも大日如来でもなく、目を閉じ、静かに手を合わせ「祈る」その行為と時間そのものだ。不謹慎な言い方かもしれないが、祈る時に置くものは正直何だっていい。神棚がわかりやすいからそうしているだけ。慌ただしく、移ろいながら過ぎていく日々の中で、目を閉じ深く呼吸をし「祈る」時間を一瞬でももつことで僕は日々の中に僕なりのリズムを生み出そうとしているのかもしれない。

この1年のことを振り返ってみると、自分は精神を病んでいるということをメタ的に認知できたことが一番大きかったと思う。妻や子どもに対して上手く距離を取れないこと、慢性的な苛立ち、鬱状態。これまでもその状態はあったが、只々辛く、どうすればこの状態から抜け出すことができるのかという問題に対する対処ばかりを考えていた。(原始)仏教の本を読み漁ったり瞑想、マインドフルネスを実践してみたりしたのもそういった理由からだ。ただ、僕の心身に表れている状態は表面的かつ単純なものではなく、幼少期の体験、これまで僕が経験してきたこと、そしてここ数年のコロナ禍を含めた世界全体を包む(戦時下的)空気、仕事、家庭、個人的ないざこざによる心身への負担、あらゆるものが複雑に絡まって、必然的に表象してきているものだ。それは根深く、解きほぐすことは不可能だと思っている。でも、この状態は単発の問題ではなく、必然なのだという認知ができとことによって、問題(傷)に対して「対処」「治療」というアプローチだけだはなく、別のアプローチもあるということも発見できたと思っている。鬱、苛立ち、不安に対しては漢方や頓服で直接的に対処しつつ、それらを表象している根深い糸の絡まりによる傷やトラウマは、(いまのところ)好きなことをとことんやることによって少しずつ癒されていくのではないかと思っている。それこそが本当の意味での僕自身の祈りの時間であり信仰だ。
また、アツ氏との勉強会やジュングさんとの対話(ダイアローグ)は僕にとって治療(CURE)ではなく、寄り添ってくれるもの。つまり看護(CARE)になっている。このふたりには腹の底からいろんな話を聞いてもらっているし、また聞かせてもらっている。(精神医療の世界ではオープンダイアローグと呼ばれる)対話。このシンプルな行為と時間が僕にとっての安全基地になっているというのはこれまでに何度も記してきた通りだ。
40年近くの時間をかけて絡まってきた傷を治すことはできないだろう。でも、その傷を少しずつでも癒し、受け入れることならできるのかもしれない。そう思わせてくれたのは昨年の暮れに読んだ宮地尚子さんの随筆集『傷を愛せるか 増補新版』(ちくま文庫)によるものだ。

2023年、表面的にはコロナ禍から言葉ばかりの「通常」「平常」を取り戻していく年になるだろう。でも「戦争」は何も終わってはいない。むしろ始まったばかりであり「通常」の陰に隠れてさらに進行していく。
中井久夫先生の言葉を借りるならば、僕はこのディストピア元年を農耕社会の定量的時間「クロノス」のなかで右往左往するのではなく、野生の人として主観的時間「カイロス」を生きたいと思う。傷がうずき、眠れない夜もあるだろう。それでも祈るように、ゆっくりと。今年はそんな年でありたい。

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