【畑の生活】乾いた雪
平たい畝の表面に堆肥を敷いたら、次は牡蠣殻を撒いていく。牡蠣殻とはその名のとおり牡蠣の殻を蒸して細かく砕きカラカラに乾かしたもので、カルシウムとミネラルがたっぷり入っているそうだ。黒い堆肥の上に白い牡蠣殻の破片がぱらぱらと落ちていく。雪みたいだ。乾いた雪は土のなかで分解され、土が肥えていく。土はあらゆるものを受け入れる。有機物の記憶。大地はそれを記録している巨大なレコードだ。レコードは回転する。有機物はどこまでもアナログな運動によって循環し回転する。僕は鍬という針を落とし大地の声を聴く。ノイズの混ざり合うこもった音の束は、僕の記憶のうちに響く。デジタルという無機物による0と1の信号はクリアに漂白された「美しい」音を再生し、僕の鼓膜に届くだろう。でも、その「美しい」音は僕の記憶までは届かない。
たとえばMP3がどんなに「美しい」音を再生したとしても、それは情報でありデータだ。レコードもそれ自体は無機物だし、アナログという電気信号には変わりない。でも、僕がレコードを有機物としての「アナログ」と呼ぶのは、レコードそのものとその物体的機能を媒介にしてその外で回転する一連の有機的な運動の連なりによって、レコードを聴くという行為は成立しているように思えてならないからだ。一度死んだ記憶を媒体に記録して、有機的な運動によって回転させ、音を鳴らし受け取る。この運動の円のなかには主体も客体もない。これは土のなか、大地のうえで起きていることと本質的には同じなのではないだろうか。僕はそんなことを考えながら、牡蠣殻を撒いた。ゆっくりと静かに。乾いた雪。
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