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【畑の生活】藁のある風景

牡蠣殻の次は肥料だ。ペレットと呼ばれる乾燥した犬の餌みたいな粒状の肥料をまたパラパラと撒いていく。これも有機物を発酵させたもので、栄養満点なのだと長老は笑う。撒き終わったら、これらを鍬で畝の土と混ぜ合わせていく。長老は鍬を細かく捌いて土を混ぜる。僕も見よう見まねで鍬を入れる。白く乾いた畝の中の茶色い土があわらになり、黒い堆肥、牡蠣殻、ペレットと混ざり合っていく。中央だけでなく畝の縁からも土をすくいつつ、畝の形は崩さないように。バランスがなかなか難しい。どれくらい混ぜ合わせれば良いものか。長老は答えをくれない。自分で鍬をかきながら感覚をつかんでいく。ゆっくりと確かめるように、僕は「僕の畑」をつくっている。

土が混ざったらレーキで土を平面にならして、マルチという黒いビニールを畝にかける。そういえば畑にこういう黒いビニールがかけられているのを見たことがある。保湿、保温効果があるそうだ。ただ、僕はこのマルチがあまり好きではない。黒いビニールは畑のある風景の中で、異質な雰囲気を醸し出している。美くない。それはこうして畑をやる前からなんとなく感じていた印象だけど、自分の畑となると余計にそう感じる。まだ土づくりしかしてないけれど、畑は有機的な循環そのものだという実感がある。土は絶えず分解され、溶け合い、混ざり合う。それは呼吸であり体温だ。でも、ビニールは腐らず、土に溶けず、温度を持たない。無機物という窒息。僕は「僕の畑」のなかに無機物なものはできるだけ使いたくないと思った。それは、いわゆる有機栽培にこだわりたいということではなくて、僕の実践としての畑には相性が悪い気がするのだ。僕は野菜を育てることが目的ではない。大地の循環のなかに生きているという実感を取り戻すことが目的だ。黒いビニールがかけられた畑の風景を見て、僕が美くないと感じるのは呼吸する風景のなかに、窒息状態を無意識的に感じるからなのかもしれない。

ビニールのマルチを使わずに藁やおがくずをマルチとして敷く方法もあるそうだが、焦る必要はない。僕は長老の教えてくれるビニールのマルチによる方法をまずは試してみることにした。長老に敬意を払うことも、美しい畑をつくることと同じくらい僕にとっては大切なことだ。マルチを畝にかけて縁に土を被せて固定しながら、僕はいつか藁を敷き詰めた畑のある風景をつくってみたいなと想いをめぐらせていた。

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