アグリマンが行く
コウチ・アグリマネジメントクラブと言うユニークな農業法人会
1994年5月10日、#コウチ・アグリマネジメントクラブ は発足した。
全国の #農業法人会 #農業法人協会 では2番目に早い設立、ちなみに全国一早いのは秋田県農業法人協会、コウチ・アグリマネジメントクラブの設立の2週間前である。
私はコウチ・アグリマネジメントクラブの設立発起人の一人であり、当初の理事でもあった。
コウチ・アグリマネジメントクラブは全国の様々な農業法人視察、会員企業視察、各種セミナー開催など積極的に会員 #農業法人のアップデート と会員拡大に向け活動した。
その一環で、高知県のユニークな農業と農業法人を全国発信しようと作ったのが、「#アグリマンが行く」と言うパンブレットだ。
パンブレットと言っても、A4の薄い紙一枚の両面に、会長挨拶を載せ、会員とか商品一覧を所狭しと詰め込んだような、折りたためば、胸ポケットに入るようなしょぼいものではない。
205㎜×207mmの絵本を思わせる造りで30ページある。商品カタログではなく、会員 #企業と経営者の考え方やこだわり 、#挑戦や夢 などを表現した雑誌である。
多くの農業パンフレットが、補助金などで造られるのに対し、会員の有志の載せたいものだけが1頁当たりの出資金と、できたパンフレットの買取部数1冊いくらで資金を作り、その配布や使用方法も自由と言うものだった。
各界を招いて #出版記念パーティー も盛大に行った。
私は当時経営していた農業法人2社分、有限会社オダタと有限会社四万十くじらの合計4ページを掲載し、コンテンツを充実させた。
#アグリマンが行くを名詞代わり に配り、#ネット通販 の商品の箱にも添付した。
「アグリマンが行く」企画・発行コウチ・アグリマネジメントクラブ
制作はプロのデザイン事務所に任せた。当時売れ初めていた「ごっくん馬路村」の宣伝をプロモートした仕事のできる企業だ。
そこには強力なコピーライターがいたが、我が社の分は私が書き上げた。
以下本文
高知県香美郡香北町で無農薬有機栽培を中心として、安全で新鮮、おいしい野菜や米づくりを しているオダタ。無農薬有椴栽培といえば、自然食品として、特に健康志向に敏感な人か好むというイメー ジだったが、当世の安全志向で波に乗り、消費憤も急速に拡大したという。
現在、オダタでは東京や大阪の消費者団体に直接商品を卸してい。生姜・柚子・ オクラのシェアは6.7割から10割と極 めて高い。また、一方ではインターネット での農作物直販にも挑戦。販売のチャ ンスを全国的に広けようとしている。
法人化し、若者の農業へのあこがれ を受け入れ、求人情報誌やインター ネットで広く全国に人材を求める一方、 新しい商品の開発を模索中。全国に 個性のある法人を設立し、ネットワ ークで結んでいきたいという大きな 夢も持っている。
こんな面白い百姓を一緒にやらんかえ
気ままにやりたいもんね。
百姓の魅力は"心"やないろうかねえ。
想いを込めて農作物をつくってどう広げ ていくか・・・。
昼寝をしたいときは昼寝もしたらえい。
サーピス残業なんてせんでもえいわけよ。 大風呂敷を広げていうと「自分自身のた めに」地球のことを考えて.「自分ができ ること」をやっていきたいきねえ。人生を 楽しむために百姓を仕事にしたがよ。
最初から 自立経営
物池村の農家か ら電気のエンジニア を目指して就職.「新工場を造らいちゃお」と自分が生かせる おいしい話もあった けんど、オイルショッ クで霧散。都会での生活や人生に未来は感じんかった。資金は無うても「条件のええ田圃や畑」を惜った。生姜や柚子の日本一の産地と技術。通地 適I作。農業は工夫次第の新天地。週休3日半。冬にゃあ長期休暇。家内は専業主婦。 スキーや海外旅行も家族で出かけ、子育ても妻と同等に関われた。
自然のサイクルの中で生き、 収穫の喜ひを知る。
土を耕し、種や苗を植え、風を感じな がら太陽と寝起きし共に作物を育てる。土にまみれ、雨に打たれ、強い日差しを浴 ぴるのも最初はつらい。それも、芽が出て ほほがゆるみ、花が咲いて心がなごみ、増える葉の一枚一枚にいとおしさが募り、収 穫でよろこぴを知る。こう来ると・・・。
自分らあが食べるものと 同じもんを届けちゃらぁにゃあ
農薬は自分にも悪く嫌いやった。妻の作る家庭菜園の野菜や、野の草はこぢゃ んと旨い。「こんなんが届けられたら」。僕の野菜と「本気でつき合える相手」を、乳飲み子を連れて探しに…。
十余年たった今、相手のみえる農業の楽しさはなんともいえん。真夏日の消費者の便りは元気の清涼剤よ。
消費者宅へのホームステイや、産地ツアーに来てくれる人らあの家族が
そこここに増えていく。
僕や野菜たちを理解してくれ、家族のように愛せる人のために丹精を込める!
農作物を軸に仲間と家族を増やそう
手間暇かけて、ていねいに育て、た愛娘たちを嫁がせるのは・・・。
「もっと直接消費者に届ける」ため「インターネット」の直販を始めた。
こまめに情報交換、食文化を蓄積し高める双方向農業よ。
こんな面白い農業を一緒に やる仲間が欲しいわよ。
それが、今、一番の願いよね。
以上本文
#多様な人材 が欲しかった。
以下四万十くじら本文
「新農民」
南吉幸さんは農業サラリーマンになって3カ月で社長に就任した。
「農業をやりに来たのではない」。
これが面接での第一声である。「農業だけをしたい人が欲しい」と言われれば「すみません」と帰るつもりだった。農業体験にきた他の人は皆、農業が好きそうだった。
10年のサラリーマン生活、しかし自分のやりたいことは、いつかアウトドアスポーツ関係の店の経営。そんな時、オダタの求人広告、ホ—ムページを見て「おもしろい」と思った。
面接は農業ができる宿泊施設経営の話で盛り上かり、いろいろなアイデアが出てきた,そして、今年6月に高知へ転居し、10月には四万十くじらの代表取締役になる。
「四万十くじらは農業と個々人のやりたいことを融合した事業を、全国規模で展開する骨をもつ。肉を付け立派な「くじら」にするのが僕の仕事になる」。
南さんは農業、経営の経験はほとんどない。理想を実現したいという「強い意志」と「素早い行動」。必要条件はこれだ。南さんも今は見習い兼代表者ってところだろうか。四万十くじらは四万十川の上流部、窪川町に発足した。その名前に物、情報、人を載せて全国へ発信したい。農作物は無農薬の米、小夏、生姜を手始めに、今後は作目や商品も増やし、木を生かした手作り家具やログハウス、伊勢エピなど魚介類も扱う予定である。南さんと小田々さん、二人がどれだけ連携を取り合い、どのようにまとめていくかが腕の見せ所である。
自分の生き方と仲間とのつながりを大切に
仲間をとんどん憎やしたい。
これからは"作りたい物を、作りたい所で、作りたい人が作る農業になっていく”と思う。ますます,「やりがい」や「生きがい」を求める「心」が必要になるわけやね。
「百姓天国]というミニコミ誌の求人で、400人ぐらいは訪ねてきた。若者たちは農業が新しい生き方やと感じ始めゆうがやろう。
この時に米てくれた日高さん夫婦も今では中堅。今度は”IターンUターンピーイング”という求人情輻誌に広告を出したがよ。そしたら80人ぐらい応募があって30人に実地研修に来てもろうたわけ。その中に、今米てくれちゅぅ南さん、大塚くん、野口さんが居ったがよ。
農業で夢の膨らむ村おこし
南さんの夢をかなえるにh、「まず農業を覚えないかん」という。電子メールで何度かやり取りして、実際に農園まで家族で足を運んでもろうて、「将来お互いの夢を実現させようやいか」と共同経営で参画してもろうたがよ。
大塚君の動機は日本の南の方で、「サーフィンがしたい」という事やった。野口さんは初めての女性社員で、現代の教育や社会の在り方の疑問を感じ、「農業が究極の職業」やと言う。日高さん夫婦は結婚前から農業と言う同じ目標に向かいよった。
農業は全く未経験の彼らには、目先の仕事で手一杯のところもある。けんど、一生懸命仕事を覚えるだけじゃあ、つまらんし、務まらん。また、それだけじゃあしんどうなるだけやきぃね。
僕の仕事は、目の前の「仕事が楽しめ」たり、将来の「夢を描き続けられる」ようにすること、
やと思いゆう。
以上本文
日本中に農業法人を作り、そこの名産品を適地適作適任で、地域を盛り上げながら、個性ある農業集団をネットワーク化しようと考えていた。
ネット通販も1996年から四万十くじらブランドで開始していた。
農家のネット通販では2番目の開店、有機農家では全国初のネット通販だった。アマゾンの翌年、楽天の前年に開店していた。
と、昔のことを思い出している。
当時考えていたことは、今も変わらない。
多様な人材を呼び込み、
日本中に農業法人(今は世界中に様々な企業)を作り、
個性ある農業集団(今は企業集団・経営者集団)をネットワーク化
いや、やりたいことは増えるばかりだ。
経営者達人集団をつくりたい。
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