10年日記

10年日記を1年前に買った。それから、多分365日中100も書いてないと思う、ただただ好奇心で買った日記を、空白が連なる。昔から、日記は苦手だ、いつも面倒臭いというのが上回ってしまう。最初はできても、まさに三日坊主。そう言えば、僕は中高も、そういう風に生きてきた気がする。ただただテスト前になると2、3日一気にする。夏休みが終わりそうになると、宿題を一気にやっていた頃のように。今最近になって、あの頃大、大、大嫌いだった歴史を、(その理由は至極退屈な授業をする先生にある)自分で本を読んで、学ぶとすごく面白いと感じるし、また自発的に学ぶようになっている。日本という成り立ちがよくわかる。私たちは太古から結ばれてきた生命の連続性の中に生まれてきた。いままで終わらなかったし、これからも続くだろう、もっと言うとこれからも続けていく努力が必要になっている時代だと感じる。

大地は誰も見捨てないカオス。くじらは死んだ後、海のなかに沈み臭いガスを放出する、それを嗅いできた、海の生き物たちはくじらの肉や脂肪を食べる、くじら1頭でみんなが数十年は暮らしていけるという 。(1)それがなくなると、次の段階に写る、

骨に含まれる有機物を栄養源にするホネクイムシなどの生物が現れます。やがて骨に含まれる有機物が微生物に分解され硫化水素を発生するようになると、「化学合成期」が始まります。硫化水素を利用して有機物を作ることができる化学合成細菌を体表や体内に宿す動物、イガイ類やシロウリガイ類などが密集します。骨に含まれる有機物がすべて使われると、今度は単なる構造物として、骨は生物の住み家になると考えられます。(2)

こうしてくじらの家という物ができる訳で。その後もまだプロセスがあるが、まだ解明されていない。でもどうやら、くじらの死骸にしかすまない生き物もいる、それも立派な生存戦略だ。生命の多様な生き方を調べてると、いつも驚愕する。そこには何かがある気がする。とか考えたり、日記を読み返すと、ダサいこと書いている自分とかに出会う、すごく退屈な文字だったり、でも驚くこともある、こういう感性があったのかみたいな発見だな。最近はやっと日記に文字が増えるようになったんだよな。


(1)https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/7730/

(2)http://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/quest/20160224/

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