見出し画像

日曜日の魔女達を始めた理由1

こんばんは。釘子千鶴です。

わたしはインターネットテレビ番組の
企画とMCをしております。
いろんな方に始めたきっかけを
よく聞かれるので、ここに至るまでの
経緯をお伝えしようと思います。

両親の実家のある富山にて生まれ
育ちは東京都台東区の下町育ち
父は15歳で当時金の卵と言われて世代で富山から東京へ上京。
銀器職人として頭角を現し26歳の頃、
同郷の20歳の母とお見合い結婚。
長女して生まれる。

幼い頃から人の心が読み取れて生きずらい経験をする。
今でこそ、丸くなったが当時、父親は厳格で厳しかった。
母親も教育熱心だった。家庭が窮屈だった。
いい子でいたかったが中学生の頃、反発した。
父親と母親のいい子に育てたかったのに、
この子はなんでこうなっただろうという
気持ちが読み取れて辛かった。

大人になり保険会社の営業レディを経験。
仕事で成果が出て初めて人に認められたという気持ちが沸く。
その後、自分とぴったり合う理想の相手と思い結婚するがパートナーが若い頃の父親に似てきて窮屈になる。

そんな自分を癒すためにカラーセラピーにはまる。
カラーボトルの美しさに心を奪われる。
自由になりたいカラー、ターコイズをよく選んでいた。

当時、コールセンターに勤めていた。
クレーム対応をしているときに相手の気持ちやどうような態度で姿でクレームをしているのが電話での対応であるにもかからず
視てしまうことが度々あり統合失調症ではないかと本気に悩んだ。
相談したところ、どこも可笑しくなく疲れているのでは・・・
という回答だった。
そんな時、当時、習っていたカラーセラピーの先生からひとりの女性を紹介してもらう。
今、思うとその女性と出会ったことから全てが始まった。

続きは日曜日の魔女達が出来た理由2へ続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?