#304 ひなたぼっこの引っ越し人生【民間編】
2024年10月1日(火)の日記
前回のブログに、気になっていた物件の内覧ができなかったことを書いたが、ついに先週の土曜日に内覧してきた!!
9月最後の週末、この時はなんとなくマーに会いたい気分でもなく、少しテンションが下がっていたので連絡をしなかった。
土曜日になっても、彼からも全くLINEも電話もこない。
おそらく私の事なんて、そんなに考えてないんだろうなぁ〜。私もいまいち自分から電話する気分でもなかったので、放っておく。
それに、彼もときには1人になりたいだろうし、自分のやりたいこともいろいろあるみたいだし…。
そんなわけで、今回は1人で物件を見に行った。
2年間の東京市部暮らし
そういえば、前回の引っ越しの時はどんな心境だったのだろう?と思い、過去を振り返ってみると…。
慣れ親しんだ大宮方面でのフォトギャラリーや、当時のひなたぼっこの切ない気持ちが素直に綴られていて、なんとなく自分に同情したくなる笑。
しかも…東京に転居してからの2年間、あんなことやこんなこと(主に恋活関係)がいろいろ待っているともつゆ知らず😅
つくづく、克明に日記を記録しておいて良かったな。
いずれ別のブログに書こうと思うが、嫌なことから逃げてばっかりのひなたぼっこのこれまでの人生、大宮方面から現在の東京市部に越してきたのは、後ろ向きな理由もある。
だが大義名分としては、先があまり長くない入退院を繰り返している母の施設や病院に近い場所であることと、実家の管理がしやすい場所であること。
なおかつUR物件があり、東京都なのにローカルなので比較的家賃が安い…ということで、前から狙っていた場所だった。
居心地良ければ、ここを終の住処にするつもりでいた。
越してきてからの半年間。
めちゃくちゃ健康だった母なので、おそらく100歳までは生きるだろうと勝手に思っていたのだが、想像よりも早く95歳で他界。
最初の半年間は、実家の修繕や管理、母の面会や火葬、納骨、その後の相続税を含む諸々の事務処理など、全て1人でやってきたのでそれに追われていた。
そして、同時進行で昨年の夏頃から本格的に出会い活動を始めたのだが…
はぁ〜、マジいろいろあったわー😩
あっという間にそこから1年以上が経過して、現在は出会い活動も休止。この期間に知り合ったメンバー?数名でなんとなく状況が落ち着いている。
今回の引っ越しの大義名分は、実家も売却することが決まり、管理の責任もなくなり身軽になったので、好きなところ(埼玉)で暮らすこと。
そして、多少辺鄙でも今より物価の安いところでなるべく節約して暮らすこと。気にいれば、そのまま永住するつもりで。
もちろんマーの存在も影響しているが、今回は後ろ向きな理由はないと思う…多分…。
過去の引っ越しを振り返る
それにしても、小さい引っ越しを含めてこれで何度目になるのかな?
内覧した物件の話題に入る前に、ひなたぼっこの引っ越し人生を振り返ってみる。
①杉並区の築古アパート
・大学1年生〜20代後半
当時親が副業として経営していたぼろいアパートにはじめての一人暮らし。
といっても実家と隣接しているので、食事は家に帰っていたような気がする。ひなたぼっこが小学校入学前に建てたアパートなので、ザ・昭和の雰囲気満載の部屋。
玄関を開けると、4畳位のスペースに和式トイレ、浴室、キッチンがあり、真ん中に3畳の和室と押し入れ、ベランダのある南側に6畳の和室という、いわゆるウナドコだ。当然、砂の壁。
当時の彼氏アキラを始めとして、職場の男の子とか何人か泊まりに来てた笑。すぐ隣に両親(特に母は口うるさいし厳しい)が住んでいるので、かなりスリリングだった。
男子が泊まりに来ているときに、母親が突然入ってきて修羅場になる夢を何度も見た(実際にアキラが泊まった時に見つかったけど😅)。
当時はまだピチピチだったひなたぼっこの隣の部屋には、彼女のいない独身の中年男性が1人で住んでいたのだが、風呂場の窓から部屋を覗き見されたり、ベランダを乗り越えて窓越しに部屋を見ようとしたり…何度も怖い思いをしたこともある。
もちろん母に相談したが、警察沙汰にしたり本人に注意すると、逆に相手を刺激して何されるかわからないから怖いと言って何も対処してくれず…。
仕方なく当時の恋人のアキラに頼んでその男に文句を言ってもらったこともあるけれど、あまり効果はなかった。
結局、数年後にその男にもやっと彼女ができたらしく、退去してくれたので事なきを得た。
②実家のアパート→板橋区
・20代後半(約2年間)
これこそ、本当のはじめての一人暮らし。
普段は子供に対して無関心なわりに、運転免許をとるとか一人暮らしするとか、何か行動を起こすときには口うるさい親だったので、すべて親には内緒で水面下で動く(そもそも、親に相談なんかしたことなかったし)。
1人で不動産屋で物件を探し、何箇所か内覧し、実家までバス1本(30分位)で行き来できる板橋に決める。
その時はどこかで働いていたのだと思うが、誰に保証人になってもらったのか思い出せない…。
賃貸契約を終えて引っ越しをする前日位に、親に報告したのかな?
その時の反応
父「ひなたぼっこに一人暮らしなんてできるわけない!!」
母「一人暮らしなんてとんでもない!」
何を根拠にそんなこと言われたのか覚えてないけど、親の言うことなんて聞く耳を持たないひなたぼっこ、反抗精神むき出しのひなたぼっこ、自分の道は自分の足で歩くひなたぼっこなので、全く無視!!
かといって、いざ引っ越ししても、親が心配して様子を見に来たことも1度もない😅。独立心が旺盛で自分主義な性格は両親も兄も私も同じ「水星人(細木数子の六星占術)一家」なので、家族とはいえ人の事は無関心なのだ。
口だけは出すくせに…
環七通り沿いにあるその築古分譲マンションは、それこそ駅に近いというメリットはあったけれど、ほんとにひどかった。
家賃は6万円位だったかなー?
それまで住んでいたアパートは、押し入れが一間半あり家財道具も増えてしまったため、狭い築浅ではなく少し広めの築古を選択してしまった。
特に誰かに相談するわけでもなく独断で決めたので、何がよくて何が悪いのかさっぱりわからず…。もちろんネットのない時代なので情報も少なかったし、当時流行っていたダブル浅野が出ているようなトレンディードラマの一人暮らしを夢見て。
だが実際は、それとは大きくかけ離れていた。
問題点は以下の通り。
・洗濯機はひさしのないベランダに外置き→雨の日ずぶ濡れ
・杉並のアパートと同じような6畳と3畳の和室に押し入れの部屋だったのだが、実際のスペースは7.5畳しかぐらいしかなかった(ちっちゃい畳が6枚敷かれているミニチュアな6畳間)
・1番困ったのが水問題!!
住み始めてから知ることになるのだが、夕方とか夜、水をよく使う時間帯になると突然水の出が悪くなったり、水が止まる。
特に入浴中、シャンプーをしているときに突然水が出なくなった時は焦った!!
そして、水を出し始めた時にサビが混じった赤茶色の水が出る。
仲介不動産に相談すると、築古のため水道管に問題があるらしく、住民の多数決で工事をするところまで話は進んだのだが、どうしても賛成しない世帯が1つあり、結局水道管問題は改善されないまま現状維持。
これも、賃貸用マンションではなく、分譲マンションを借りてしまったための失敗だった(当時はそんな知識もなかったし)。
ひなたぼっこがとった対策。
お風呂の時は、真夜中とか人があまり使わない時間帯にずらした。
食事に関しては、この頃はフルタイムで勤務していたので、外食のことが多かったかも…。
当時働いていた職場で元夫と知り合い、嫉妬深いさそり座の男だったので一人暮らしを反対されて実家に帰ることになった。
はじめての一人暮らしでの変化
・毎日風呂に入るようになった(実家では叔母のところに住みついていたが、風呂嫌いの人だったので毎日入る習慣がなかった)
・毎朝、排便する習慣がついた
・ゴミ出しを覚えた
1人で生活してからの方が、意外と生活リズムがちゃんとしてきた気がする。
③板橋区→実家のアパート
・アラサー(約1年間)
常に満室稼働しているアパートではなかったので、おそらく前に住んでいた部屋がまた空室になり、そこに戻った気がする。
もともとひなたぼっこが両親と暮らしていた(といっても寝に帰るだけ)実家の6畳の部屋は、ひなたぼっこが出て行ってまもなく、母の衣装部屋にリフォームされていた😥
この頃の住まいの記憶がほとんどないのだが、1年経つか経たないかくらいで、元夫と婚約してすぐに転居したのだと思う。
④杉並区→神奈川県相模原市
・アラサー(約2年間)
これもひなたぼっこが1人で不動産屋で探して、元夫の実家近くのエリアで2人で暮らすための部屋を借りた。
すでに結婚式も決まっていた頃だったのか?
その半年位前に暮らし始めたんだったっけかなぁ〜?
軽量鉄骨か木造かわからないが、隣室の音が響く造りだった。内装は比較的きれいで、和室2間と洋室1間の3 DK。
夫との2人暮らしにしては少し広かった。ひと部屋は使わない部屋があったので。
結婚式を挙げて半年後くらいに妊娠。
出産間近に実家のアパートにまた戻ることになるので、2年いたかいないかだった気がする。
家賃もいくらだったか覚えていないが、町田駅からも相模大野駅からも徒歩15分位の、寂しくて辺鄙な場所のイメージがある。元夫は車を持っていたので、車がないと厳しかったかも…。
物音の問題以外に、想定外だったのが南側の空き地。
最初は何もなくて開けていた南側に、ある日突然アパートだったか小さなマンションだったか忘れたが、建築工事が始まった。
建物が建つと、景観だけでなく一気に日当たりも悪くなった。
物件を決めるときは、周りの建物にも注意が必要だ。
特に、目の前が駐車場だとか再開発されそうな空き地とか古い戸建てがたくさんあるとか、いきなり景観が変わるので気をつけたほうがいい。
建て替え中ではなく、既にできあがっているURはその辺は安心だ。
⑤相模原市→実家のアパート
・30代前半〜(約8年)
何回実家と行ったり来たりしてるんだっていう話なのだが…。
出産を機にパートもやめてしばらく子育てに専念するので、家賃を浮かせる目的もあり、子育てに協力してもらう目的もあり。
ひなたぼっこ夫婦が戻ってくることについて、母や叔母(未婚) は大喜びだ。
孫とか姪の子供なんて、時間を持て余している2人にとっては飽きのこないおもちゃみたいなものだ。
何か問題があれば「親のしつけが悪い」とか言って、責任逃れできるし笑。
相変わらずThe・昭和の築古アパートなのでぱっとしない造りではあるけれど、家賃はタダだったので文句は言えず。
この頃の暮らしは…途中で、元夫との別居、離婚という人生におけるビックイベントがあったので、親子3人で一緒に暮らしたこの部屋にいるのがきつくて、食事等は息子と一緒に叔母のところに通っていた記憶がある。
アパートには寝に帰るだけ。
その期間は、息子が幼稚園に入った頃から小学1年までだから、4年間弱あったのだが…ほんとに夢のような、どんな生活をしていたのかもあまり記憶にない。
とにかくシングルマザーとなって、がむしゃらにいろいろな所で働いていた時代だった。
⑥杉並区→さいたま市(旧浦和)戸建て
・アラフォー(3カ月間)
そして、離婚してから2年半ぐらい経過した頃か。サークルのイベントでアキヒコと出会う。
ちょうどその頃、実家&アパートの建て替えの話も持ち上がっており、それを契機に息子を連れてアキヒコが住んでいるさいたま市に転居。
シングルマザーとして親元から離れて自立したのもこの時期。
もちろん、親からの生活費の援助も別れた夫からの養育費もなく、自分の給料だけで(20万円弱)生活してきた。
ひなたぼっこ同様、1人親として娘を育てているアキヒコに(お互い)感化されつつ、助け合いながらやってこれたのが大きいと思う。
アキヒコとその娘(当時年少組)が住んでいたUR賃貸の団地は空室がなかったため、仕方なく民間の不動産をあたる。
この辺になるとわりと記憶もはっきりしていて、アキヒコが保証人になってくれて、URの団地に近い木造2階建ての物件に転居した。
板橋区の経験をちっとも学習していないひなたぼっこは、息子と2人暮らしで家財道具が増えてしまったので、新しさより古くても広い家を優先したらほんとにひどい築古の戸建てになってしまった。
その続きは次回、UR賃貸編で。
エンタメネタ①
「おかあさんといっしょ65周年スペシャルウィーク」
とかで、久しぶりに速水けんたろうお兄さん(62歳)と茂森あゆみお姉さん(52歳)の「だんご3兄弟」などを視聴。
リアルタイムは起きれなかったので、NHK plusのアプリで。
当時、息子と見ていたのはまさにこの2人の時代だったので懐かしかったのだが、「だんご3兄弟」より「公園に行きましょう」とか、他の楽曲の方が久しぶりに聴いて心に染みた。
いい曲がいっぱいあったんだなぁ〜😌
エンタメネタ②
Netflixで、サイコパスがサイコパスを殺すみたいな映画「怪物の木こり」というのを見始めたのだが、見ていて20分ぐらい経過したところで、主演の俳優が佐藤健ではなく、亀梨和也だということに気がつく😥
気づいた理由は…こんなサイコパスの役、佐藤健がやるのかなあ?という疑問から。
あれ、もしかしてこれって…亀梨じゃね?
この2人の区別がつかない人ってネットで検索すると意外と多い。
映画自体は可もなく不可もなく、途中で離脱せずに最後まで見ることができた。
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