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怪奇凱旋ライブin秋田とお笑い大好き少年の話

2022年8月。僕にとってお盆の帰省は実に3年ぶりのことだった。何度も親から帰省するかどうか年に2回ほど連絡が来ていたが、いつも有耶無耶にしては帰らないことが続いていた。
ここ数年はYouTube制作が忙しく金もなく、なおかつコロナもあって実家の秋田に帰ることすら考えてなかったのだが、今年に入って仕事がもらえることで後ろめたさも無くなり、久々の帰省を家族のいるライングループに宣言した。
しかし、帰省意外に動機付けがないと新幹線やら夜行バスやらのチケットを買う気になれない。そのままずるずるといきチケットが無くなり帰れなくなる可能性があったところにあるライブ情報がTwitterから回ってきた。
8月15日、秋田県アトリオン多目的ホールにて「怪奇!YesどんぐりRPG凱旋ライブ『おかえり』in秋田」が開催されることになったのだ。

幸い、今年の4月に怪奇の単独Vの仕事をいただいたこともあり、このライブに行くと怪奇に言うことで帰省から逃れられなくすることにした。怪奇と自分の4人のグループラインに「ちょうど地元に帰ってるので秋田のライブお手伝いさせてください!」と送信。帰省の夜行バスのチケットを取ったのはラインを送って1週間後のことだった。

ライブ当日の秋田は大雨に見舞われていた。二日前の台風は秋田を通らなかったというのに、台風直撃レベルで雨が降っていた。秋田と一口に言えど実家と会場はかなり遠く、親の所有するそれなりの車に1人乗り込み高速道路を使って1時間半かけて移動した。
あまりの大雨に秋田駅周辺で時間を潰す気にもなれず、一足先に会場に行くと怪奇の御三方も準備をしていた。
なんだかんだで手伝うことはなかったので、秋田のいじれそうなローカルCM「金萬」を教え、あとは最後列から見学させてもらうことになった。

実に秋田でお笑いライブを見るのは17年ぶりだ。
あれは確か2005年、僕が小学3年生だったと思う。当時は『笑いの金メダル』がゴールデンタイムのお笑い番組であった。生粋のお笑い大好き少年だった僕はいつもお笑い番組を欠かさず見ており、お笑いはテレビの中に存在する最高の世界であった。ちなみに当時は自身が芸人になることを信じて疑わず、形ばかりのネタ帳も持ち歩いていた。

そんな時、生でお笑いを見る機会が訪れる。テレビに出てる売れっ子芸人が10組以上出るそこそこ大きいホールのライブが秋田で行われるとのことで家族で見にいくことになった。
人生初のライブだったのに誰が出ていたのかほとんど憶えていない。たしか200人キャパのホールの最後列だったと思う。
当時はテレビで見たことない新ネタが見れる期待感があったのだが、実際はテレビで見たことあるネタばかりで内心「置きに行くなよ」と印象を抱いていたことは覚えてる。
挙句の果てではヒロシさんが「ヒロシです…」の後に言ったセリフからオチを全部言うイントロクイズをするクソガキになっていた。
母曰く、僕の前に座ってたお客さん同士が「すごく詳しい子がいるね」と言っていたらしい。秋田の人は寛容だ。
そしてそのライブのトリはスピードワゴンだった。当時はものすごい人気で僕もいちファンだった。
漫才のネタに入る前に客層ごとに手をあげるくだりがあった。
小沢さんが「小学生いる?」とプチョヘンザを煽った時、僕は子供ながらに爪痕を残したいと思ったのか
「はい!!!」と声を出して挙手をした。
お客さんもそこそこの大声に何人か振り返ったと思う。
まさか返答する小学生がいると思わなかったのか、小沢さんが少し黙った後「君何年生?」と聞いてきた。
「3年生です!」と答えると小沢さんが「いいこと教えてあげる、サンタさんっていないんだよ。」とキメて言った。
僕は一瞬何が起きたかわからなかったが、井戸田さんがすかさず「やめろよ!」とツッコんで「あまーい」の漫才に入っていた。

19:30に怪奇のライブが開演した。
少し遅れて小学生の男の子と未就学児であろう女の子、その両親の家族連れが入場してきた。
最後列で見てた僕の前の前にその家族は座った。
少年はYes!アキトさんのファンなのか大変にテンションが上がっており、アキトさんがダブルパチンコのモーションに入ると彼もそれに合わせてモーションに入るのだが、それをやらないというボケをしてきて「んもう!」とすごく残念がり、逆に生のダブパチが見れた時は盛大な拍手していた。

終演後、遅れて入ってきた方は清算が残っているため最後に退場となる。その少年の家族が最後になったのだが、そこで少年は一冊のノートを取り出す。その表紙には「ネタ帳」と書かれており、怪奇にサインをお願いしていた。

そのネタ帳をパラパラめくられているとき、過去のお笑い少年だった自分が蘇ってきた。そうだ、僕もネタ帳を持っていた。
お笑いが何より好きで、お笑い芸人になりたくてなりたくて、芸人が自分にとってのヒーローで、生でネタを見たくてたまらなかったあの頃。
あの頃の自分を裏切らないように僕は生きているだろうかと自信に問いかけた。
ちゃんとお笑いをやった期間はほぼないものの、落語やったりエロ講談、作家業もやって、形は変われど面白いことに携わる本質から外れていない。
そして今、当時見に行ったお笑いライブと遜色ない面白さと輝きを放つ怪奇の御三方と仕事ができている。
あの頃からずっと嘘つかずにやっていたから、憧れていた世界に触れることができているのだ。
小沢さんにイジられた時、自分が憧れのお笑いに少し触れたられた気がした。それを今も追い続けているに過ぎない。

終演後のアキトさんのギャグシール物販は長蛇の列だった。
一番最後に並んでシールを買った少年にアキトさんが「大きくなって芸人になったら一緒にギャグやろうな」と優しく声をかけていた。それは子供への対応でもファンへの対応でもなく、未来のギャガーに向けたメッセージだった。


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