なにもない劇場

よしこと一緒に「なにもない劇場」に来ている。

前にいたのは男性一人だけ。
静謐な空間に圧されて、黙って各々の好きな席に着いた。

1番後ろの席。
映像オペで座るブースの柱、の前の席。
駅前は天井が低いから、目の前にバトンがある。
触らないでくださいという注意事項を思い出して、別に触るつもりもなかったけど、仕込みやばらしで高所恐怖症の私を支えてくれるバトンも、これからあんまりべたべた触るのって歓迎されないのかな、とか思って急に辛くなった。

触れないという制約。
この企画における制約ではあるけど、今後デフォルトになってもおかしくなくて、その時に感じる寂しさや不安感はもはや恋で、あ、さわれないって設定をこんなにこなしてきて初めて理解した、キコの世界。

一番前の下手席。
並べられた機材がよく見える席。
さわれないの、バトンより辛くない。どちらかというと奥のプラケの方が触りたい(?)

でも一番手前のT1ずーっと見てると、パンプキンやるんだよな、とか、フレネル見えないけどどこに何付いてたっけ、とか、覚えたこと(多くはもう忘れてしまいそうなこと)は私は本当は機材を触りながら覚えたいんだってわかって。

施設でもそうだった。
どんなに資料読んでも、目の前にいる利用者の反応が全てで、それを感覚全開でキャッチすることとその場その場で少しずつ教えてくれる係長の情報の方がとても大事だったし理解に繋がるのが早かった。
それは私が勤める施設の利用者だけを、包括的なことを考えずに日常支援する非常勤だから、というのはあるけれども。

でも何となく、機材と利用者が重なった。
彼らを知りたいんだよ。
全然わからない彼らを触れながら覚えて知っていきたいんだよ。

そう思ったらこの最前席の前に引かれた白線をとても超えたくなって。
触りたい、というよりいじりたい。
否まず知りたい。わかりたい。だからいじりたい。

何となく、面接の時に阿部さんと南さんが言っていたことを、違う角度で理解したかもしれないと思った。してないかもしれない。

この出来ないに溢れた空間は、結構私にとってはしんどい。
お客さんでしか来ない人はまず目にしない景色だろうけど、いつもの景色の人にとっては、いつもの景色なのに何かが違うっていう違和感がたぶんしんどい。
仕込みはこんなにそのままの状態続かないし、ばらしはこんな身体の状態じゃない。

ふと、あ、泣けるな。と気付いたら急に涙が湧いてきた。

私が4月5月思いっきり逃げたものの正体は、TL上の出来ない情報じゃなくて、このさわれないということへの率直な感情なんだと思う。
向き合った人はどれだけいるんだろう。
私が猛烈に働きまくっていた間自粛していた演劇人はたくさんいるけど、堂々と他の業界に逃げた私と向き合い度はそう変わらないんじゃないかと勝手に思っている。たくさんいたらごめんね。

溢れかえるほどの出来ない情報と向き合うのもそれはそれでしんどいけど。
そうじゃない、愛する子(機材)たちに、支えてくれる仲間(バトン)に、べったべたにさわれなかったこと。

触りたいなあ。
触れたいなあ。
仕事が決まった一週間後でも、明日でもなく、いま。

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