ロマンチックが明けて

7/8になったのでめちゃくちゃ現実に向き合って書きます。

すごく近しくてお世話になっている所できな臭いRTがちらほらあって、どうかどうかミスタッチか何かであってくれと思う。
今は消えているから、特定もされないと思うので書きますね。

ワクチンのこと。
岸田さんのnoteは私も日々反省している対応の話だったけど。
やっぱりどうしても譲れない。

猛毒ワクチンって何ですか。
去年の春夏、恐ろしさが知られ始めた頃にあれだけ待ち望まれて、必死に必死に世界中のたくさんの研究者が研究して、慎重に検証を重ね、でも限界のスピードで完成されたワクチンが。
何でいざ目の前に出てきたら「射ってはいけない猛毒」なんですか。

必死に開発した研究者たちは。
それを今必死に射ちまくってる医療従事者は。
犯罪者かなんかですか。

そりゃリスクはあるでしょう。
因果関係が明らかでなくても、不透明なリスクとして存在はします。
私自身は普通に生活してて死ぬ確率とワクチン接種後の生活で死ぬ確率を比較した資料に出会ってないので判断はできかねますが、
とはいえ副反応も個人差あるのは想像がつくし、最悪ワクチンのせいで死ぬかもしれないのは、あるの“かも”しれない。
その“かも”は確かにリスクではある。

だから怖い。
それは分かる。当然の感情だと思います。
でもそのリスクを避けつつ感染もしたくないと言うなら、他の人がリスク込みで引き受けた集団免疫にフリーライドすることになるわけだね、というのも避けられないと思う。
…もちろん背負ってますよね?
全員がそれ狙ったら誰もワクチン射たないわけで。誰かが負ってくれてるからフリーライドを選べる。

どちらにせよもう、何も触れない傍観者じゃいられないんですよね、誰も。
死ぬかもしれなくても基本的に何かを選ばなくちゃいけなくて。
今、絶対安全なんてないから。

領分じゃないけど、絶対が欲しかったり、曖昧を認められない人が増えたようです。
私も嫌ですよ曖昧なの。超分かりますよ。でも突然現れた病気の特効薬がすぐ見つかることも、人類VSウィルスの結果が今分かることもなくて。
その間は自分が曖昧な中から選んでいくしかない。
科学はそうやって積み重ねられてきたんでしょう。
曖昧な仮説に検証を重ねて、多くの人が、長い時代に渡って、少しずつ確かなものにしてきたんじゃないんですか。
その先にワクチンもあるはずなのに。
新型のワクチンだからですか?ならその曖昧さを認めて「猛毒」なんて強い断定はできないはずですよね?
結局矛盾だらけ。

と、HPVのときに選ばせてもらえず強制終了となったわたしは思います。
子宮頸がんを防ぐか、分からないけど副反応っぽいものの可能性を下げるか。わたしにはその適正な選択肢は示されなかった。
わたしはわたしが何で死ぬかを選ばせてもらえなかった。

どうか、正しい選択肢を前に並べて、自分で選んでください。
周りの人がそうであるように努めてください。
そのためには、強いワードは必要ないはずです。

ちなみに医療福祉関係の私の周囲は、自分の手の中にある複数の命を守るために、僅かなリスクは投げ捨てて打つ人がほとんどです。
命っていうのはそういう小さくて重いものだと思っています。

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