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生きるためのがん日記その4

手術が終わった。
術式は「腹腔鏡下広汎子宮全摘・両付属器切除・リンパ節郭清術」
予定の手術時間は9時間と説明され、朝9時に手術室に入ったのだけど、病室に戻ったのは23時をまわっていたらしい。全然9時間じゃない。
まあ、腹腔鏡手術と言うのは始めてみないとわからないところがあるのは事実だ。視野が限られ、今まで開腹手術に慣れていた手には作業も難しい。それでも現在多くの手術が腹腔鏡でされているのは、術後の回復が圧倒的に速いからだ。今回私のがんはそこまで広がっていなかったこともあり、術後の再発リスクはほぼ変わらないと言うことで腹腔鏡手術を選択した。

さて、手術が始まる前はあっという間に麻酔をかけられて寝落ちしたわたしだったが、目覚めはそんな穏やかにはやってこなかった。

途切れた意識が覚醒したのはおそらく手術室の帰り道だと思う。強烈な吐き気が襲ってきているにも関わらず、ベッドは何度も曲がり角を曲がり、ガタガタと動いている。声を出すこともできず激しい吐き気を何とか抑え込まなければ、と繰り返し繰り返し頭の中で考えていた。

次の場面は病室。手術前と同じ部屋に帰ってきたはずなのに、自分の体感覚はその部屋だとしたらあり得ない方向を向いている、と言う実感がある。相変わらず激しい吐き気は続いていて、そこに被せるように喉の強烈な痛みと、寒気、傷の痛みが襲ってきた。周りには7、8人は人がいる気配がする。みんな大きな声でワーワーと話しているが何を話しているのはほぼわからない。そんな騒音の中からかろうじて「手術終わりましたからねー」「気持ち悪いねぇ、吐き気止め使いますからねぇ」「ちょっと体の向き替えますねぇ」といった私への言葉かけが聞こえてくる。そしてもう一つ、術中の経過についてのやりとりが聞こえてきた。

「終わりぎわに血圧がバーっと上がって、ここから出血したから、ここは朝まで圧迫しておいて」

何やそれ。何があった。

「こっちの点滴はニカルジピンいくのに取ったやつだから」

ニカルジピンいったんか。まあまあ血圧上がったんやな。出血もしたんか。それどうなん?大丈夫なんか?

頭の中では聞こえてくる情報を処理しようとグラグラの脳みそが頑張っている。でも、同じところを繰り返すばかりで、結論は出ない。
そこから、ふとした不安が湧き上がってきた。

「まさかここICUじゃ無いよね?」

なぜそんなことを恐れているのかというと、そこが私の職場だからである。

今回の手術は原則元の病棟に戻れるレベルの手術である。しかし、何か不測の事態が起こればICUへ入室する可能性もわずかながらあった。私は術前からそれだけは避けたい、と思っていた。

なぜか。

職場の同僚は信頼しているし、病棟で切り抜けられそうにない状態になったら迷わずICUに送って欲しいともちろん思っていた。だが、避けたいと思う理由が一つだけあった。

それはICU入室直後の「体重測定」である。

私は身長もそれなりにあり、体重はそれなり以上ある。
この体重はトップシークレットだし、誰にも言ったことはない。

その体重が多くのスタッフの前で詳らかになる。

いやだ。その場面を想像するだけで気を失いそうだ。

ICUに入室したとする。
各種モニターや点滴を繋がれ、出血量や、ドレーンの位置、バイタルサインや意識状態が確認される。

一通りのルーティンが終わったところで誰かがおもむろに「じゃあ、体重計りましょう」と告げて、体重測定機能のついたベッドのボタンを押す・・・・

「工藤さん・・・・」
「いや、これはあかんでしょ・・・」
無言の感情がさざなみのようにスタッフたちの胸を通り抜け、しばし動きが止まる場面までが想像できる。いやだ、それだけは。

果たして私は元の病棟に戻っていて、これは起こらなかったのだけど、術直後のしんどい中で思考の大半を占めていたのがこのことだった、と言うことが我ながら哀れみを誘う。かわいそうに、そんなにみんなに体重を知られたくなかったんだね。

さて。その体重がらみの思考が終わった後に起こったのは、痛みと息苦しさとの戦いだった。

喉が猛烈に痛い。そしてなぜか、息ができないくらい胸が苦しい。

私は誰にそれを言ったらいいのかわからないままひたすら「痛いーーーー、苦しいーーーー」を繰り返した。それは手術中気管内にチューブが入れられていたせいで、ほぼ音にならない掠れ声だった。自分にしか聞こえない声を絞り出し続けた。何回繰り返したかわからなくなる頃ようやく誰かがその声に応えてくれた。
「痛いですね、今、痛み止め使ってますからね。もう少し頑張ってくださいね」優しい声。でも何の解決にもならない情報。その痛みの中で今度は吐き気が引き返してくる。

「気持ち悪い・・・!!!!!!」
次の瞬間自分の口から胃液が吹き出した感覚があり、顔がぐしょぐしょになった。そこからの記憶は途切れ途切れで、気がつけば右に左にと体を転がされながら着替えをしてもらっていた。

何なん?これ、何なん?
前回の手術の時は少しぼんやりしたものの、こんなひどいことにはならなくって、至って快適な目覚めだった。今回は、なんていうかものすごく暴力的な目覚めだった。

普段なら頼りないくらいの病院の掛け物が異様に重いし、寒気と冷や汗が止まらないし、喉は痛いし、傷も痛いし。
そしてひたすら吐き気が襲ってくる。
吐きたくて起きあがろうとすると傷の痛みと下半身の脱力で全くもって適した体勢が取れない。仕方ないから中途半端な姿勢で吐く。そして看護師さんに手伝ってもらいながら口を濯ぐのだけど、体勢が悪いので、うまく水が吐き出せず首周りがどんどん濡れていく。

その後吐き気は朝の4時半頃までつづき、吐いては口を濯ぐの無限ループ。

いやあ、きつかった。

そして朝がやってきた。

夜通し私についてくれた看護師さんは素晴らしかった。彼女の声のトーンは私のしんどさに過不足なく寄り添ってくれるものだった。これは、実は結構難しいものだと今回改めて思った。

私はいつも「私の」テンションで話している。患者さんに声をかけるときはそこを意識して相手に合わせようとはするのだけど、合っているかどうか確認することは困難である。相手の反応を見ながら微調整することもあるし、その確認をしないまま声を掛けてしまい途中で「あ、合ってないかも」と気づくこともしばしば。

なのにあの日の彼女の振る舞いや声の出し方は最初から最後まで私の気分にぴたっと寄り添っていたのである。衝撃。

それが際立ったのは、私の吐き気への対応だった。

吐き気が止まらず吐き続ける私にとって、彼女の振る舞いは全く負担にならなかったし、心を寄せてくれていることが手に取るようにわかり、本当にありがたかった。彼女は私のこの苦痛をどうにか助けたいと思ってくれていた。矛盾するようだけど、彼女が医師に確認して施してくれた様々な処置は実はほとんど効果がなかった。何をしても解決しない問題に朝まで付き合ってくれたのだ。それがより一層彼女の振る舞いの凄さを際立たせた。なんと説明したらよいのか。何をしても吐き続けて、しんどいと言い続ける患者の側にいることほど消耗することはない。なのに彼女は消耗している様子を見せずにそこにいてくれた。

ああ、これは私ができてないことの多い振る舞いだなぁ。

朝を迎えてほんの少し吐き気が落ち着いた瞬間に浮かんだのはそんな感想だった。

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