エーステについての批評

※自己責任でお願いします。言いたいことを言わせてもらってます。不快な気持ちになられても責任とれないです。すみません。





エーステ秋がこないだ終わった。なんだかんだ言って、最初は持っていなかった千秋楽にも知人の計らいで行くことができた。地方公演には行かなかったけど、東京公演は5回くらい。凱旋は2回入れたから、超人気公演だった秋単にこんなに入れて(それも通路席にも何回か座れたので)私は幸せ者なのだと思う。

でも正直に言って、今回はあんまり多幸感がなかった。とても楽しみにしていた公演で、すごく前から周囲にチケット協力を頼んでいたり、前のめりで待っていた割に「こんなもんかぁ」というのが本音だったりする。別にモヤモヤしてるわけでもないけど、どこか肩透かしを食らった感じも否めないから、自分的に何がエーステにすごく満足いかなくなったのか。のめり込めなくなったのかを批評を纏めたいと思う。

※私のこと→本気で役者志望だった(黒)歴史もあるA3!のオタク。.5観劇経験はエーステしかほぼない。春夏はディレイ、秋冬と春は何回か、夏は1回現場で観劇した。


①エーステ関連はぜんぶ褒めなくてはならない、という土壌

原作の人気もあり、役者さん達のキャラクターに寄せてくれる努力、客降り、優れた脚本や演出のおかげでエーステはとんでもなく今や人気のコンテンツだ。だからこそ、チケットが手に入らない人も沢山いる。その中で批判的なことは言っちゃいけない空気がある。(と私は感じた。)嫌なんだったら見に行かなければいい、見にいけるだけいい、そんな感じだ。だから当然TLに流れてくるのは肯定的な意見ばかり。私はこれにしっくり来なかった。

私が何回もエーステに通ったのは、次はもっといい演技を見せてくれるかもしれない、という期待が一番だった。逆を返せば毎回、演技に物足りなさが残った。それでも次は、という気持ちが強かった。でも物足りないなーとか言っちゃいけないTLの空気感、現場の空気感にとても強い違和感があった。

 

②キャストの演技力に対する不満足感

エーステは若い役者さんばかりで、実力に対しては正直物足りない。これは先述したとおりだ。これが何故顕著に現れるかというと、役者志望の人ばかりでもないからだ。そうして全体として本気でやっているのか?演劇がしたくてやっているのか?という疑念を抱かせてくる。芸能のステップアップの階段の一つとして、演劇を見ていると思うし、実際にインタビューを見ていても演劇で食っていくんだ!みたいなことを言っているのはほぼ一部だった。演劇に対する熱量がそこまでなくたって、プロであれば役に対しての理解、のめりこみ、或いは物理的なスキルはどうしたって欲しい。

ぶっちゃけこれが違うジャンルだったなら、そんなに気にならないんだと思う。でもA3!って演劇を題材としたコンテンツで、劇中劇は単なる劇ではない。「役者が演じるキャラクターが、更に演じる演劇」だ。これを一貫して演じれたのは、指折り数える程度のキャストだけだった気がする。むしろ意識していたのか甚だ疑念に残る演技が目立った。「エーステ」という舞台は、単純にイケメン役者にキャラクター役を与えて演じさせればいいだけのものではないと私は思う。実力を伴った演技を必要としてほしかった。


③客降りについて

私は客降り反対派だ。客降りがあると、どうしても皆がファンサについて視線が行きがちで、A3!が「舞台」を題材としたコンテンツであることを忘れがちだと思う。

だからこそ演技について物足りなさがあっても、客降りがあるからいいやってなるんじゃなかろうか。実際に客降りだけ目を覚ますだとか、劇中は眠いあるいは寝てるとかの多ステ勢が大勢いた。ねえ、それってどうなの??舞台を見に来たんじゃないの??ってなる。


④転売屋と、交換屋

たとえ不満があったって、③の客降りで挽回し、人気を確立させたエーステは①のような土壌があるのでそりゃどんどん人気になっていく。ステマが自然ループしている感じだ。そこに目をつける転売屋がいるのは当然だし、転売対策について早くから行動していなかった公式についてはもちろん不満感は強かった。

が、何よりも人気のエーステは他のコンテンツの舞台チケットと交換できるから、と言って余分に申し込む人がとっっっっても多かった。このような人が一番始末に負えないと思う。もちろん逆も然りで、刀とか申し込んでおいてエーステと交換したがったり。私はツイッター警備が趣味なので、そのような界隈に早くから気づいていたが、IT分野が苦手な人たちは当然気づいてない。この辺りは.5界隈の闇に触れる気がするのでそろそろやめておく。


勢いで書いてしまったけれど、私はまだまだエーステというコンテンツ自体は好きだと思う。でももう現場には行かないかな。実力が及ばなくても、がむしゃらにA3!というコンテンツに向き合ってたのは、春夏と秋冬のシーズンだった気がする。それぞれの単独公演には厚みが足りなくて、商業的な意味合いばかりか目立っていて、残念だった。

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