「私はヨーコ JAL17期生」

 

1960年にJAL に入社した頃、国内線ではDC-4(プロペラ機)が主に飛んでいた。国際線は1954年にハワイへの航路ができたがプロペラ機だった。
 私が国際線に出た頃にようやくDC-8機(ジェット)が使われるようになっていた。

最初の国際線はハワイへ飛んだ「city of tokyo」DC-6B型だった(1954年)。
「city of tokyo」の機名は、1885年、最初のハワイへの移民を運んだ船の名前と同じである。おそらくその史実を踏まえて同じものを選んだのではあるまいか。他にも日本の都市名のついた機体はいくつかあったから。
 ジェット機ならまだしも、プロペラ機で太平洋を飛ぶには時間がかかる。先輩たちは「何が辛いって、ハワイへ着くまで寝られないほどきついことはなかった」と皆さん、おっしゃっていた。
 今はどのエアラインでも寝室付きだ。
 夜離陸して早朝着陸の便はいくつもあるので私たち乗務員も徹夜体制になるが、出発前に昼寝しておくので徹夜が辛いということはなかった。
 ただし空腹は辛いので、朝、ホテルに着くとすぐにレストランに駆け込みブレックファーストを摂り、それから寝る。
 国際線乗務では時差に悩まされるが、皆、若いので消耗する、というほどではなかった。今は定年まで乗務する人もいるようだが、どうやって持ち堪えているのか少しばかり興味がある。

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