脳みそのカスを垂れ流し

ここ最近、自由奔放に育児をしている人を見て、子どもの意思を尊重しながら最低限のマナーを促すっていうバランスはとても難しいなと思った。
たとえばの話だけど、我が子たちを中心に世の中が回っているとしたら、娘や息子の好奇心を尊重して伸び伸びと好き勝手にやらせあげたかもしれない。でも、現実そうもいかない。外に出れば大勢の他者が存在していて、お互いに気持ちよく生活するためにも子ども自身の言動を制御することが時には必要な時もあるから。

ここ最近、この自由奔放な育児をしているご家族と同行する機会があった。子どもがショッピングモール内を駆けずり回って知らないお店に突然入ってしまっても親は止めに入ることなく入り口でのんびり眺めていたり。人通りの多い道や自転車がよく走る場所でも、周りが見えていない幼児を解き放っては数十メートル離れた場所で見守っていていたり。そのうち事故が起こるんじゃないか?と見ているこっちがヒヤヒヤしてしまった。いざという時にすぐ対応できる距離ではなかったので。
また、道端でくるくると動き回る幼児にぶつからないよう気遣う通行人に対しては、ちょっと不憫だなァ…なんて意地悪な私の心がざわついたり。その姿を側で見ていた娘も感化されてしまったのか?普段は必ず側を離れずに歩くのに突然飛び出して行ってしまって、娘も同時に危険に晒されることへ憤り感じた。

もちろん、まだ小さい彼らに物事の良し悪しを伝えるのはとても難しいし下手に声掛けをしたところで癇癪を起こしかえって大騒ぎになってしまうこともある。だから敢えて自由に行動させているという意図もあるかもしれないから、その辺の頃合いが難しい課題だし一概にはなんとも言えないけど。とはいえ、万が一取り返しのつかない事態が起こってしまったらと思うと我が子ではないにしても想像するだけで恐ろしいよ。

これらを踏まえた上で改めて感じたことは、子どもの意思を尊重することはもちろん大切だけど冒頭で述べたように他者と互いに気持ちよく生活するためには場合によって子ども自身の言動を制御する必要は絶対的にあるということ。

ただね、これもあくまで私の価値基準によるラインのお話になってしまうから。他者から見た私たちの言動が「非常識」だと判断されてしまうことも0ではないし。なるべく他人を不快な思いにさせないように意識はしているけど、各々が感じ取る"不快指数"は異なるから迷惑をかけていることもあると思う。その都度丁寧に非常識であったり不快であることを指摘してもらえる状況は望めないので、極論として「殺してやる!」と思われないことが目標かな。

話は戻るけど、前述した自由奔放スタイルのファミリーはこの価値基準が違っただけで、彼らなりのラインを維持しながら行動していたのかもしれない。まあ、他人のご家庭でどんな育て方をしていようと私が知ったこっちゃないのだけども。ただ、子どもの意思を尊重する上で何処までマナーを促すかというバランスについての課題を改めて考えさせられるきっかけになったよというお話。

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