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ぽてと元年 第七回 知らない人の送別会に出た話

2015年の年末のことだ。イソジン先輩からいきなりメールが来て、新宿の中華屋にくるように言われた。

少し遅れていくと、イソジン先輩の他に知り合いが3人ほどいる。「今日は、Mくんがカナダに行く、送別会だから」と先輩は言う。「Mさんのこと、知りませんよ」と私が言うと、「まじかー」と先輩は中華屋の低い天井を仰いだ。冬なのにTシャツを着ている。共通の知人が多いので、Mさんの話はよく聞いていたが、まったく面識はない。

Mさんはまだ到着しておらず、新宿ではなく初台にある中華屋に行ってしまったのが理由らしい。私は腰を落ち着け、ビールを飲み、ゴーヤーを炒めたものをうまいうまいと口に運んだ。コース料理らしく、鉄鍋餃子、ショーロンポー、若鶏の香り揚げ、ホタテ貝柱の塩味炒め、ナスの山椒揚げと、夢のような料理が並んだ。Mさんはまだ来ない。

〆の刀削麺が運ばれてきて5分後に、Mさんが到着した。見たことのない人だった。1度くらいお会いしたことがあるかもしれないと思ったけれど、まったく見覚えがなかった。眼鏡をかけて、ピンクのズボンをはいている。
「はじめまして。山本です。なんか、来てしまい、すみません」と私は言い、
「こちらこそ、なんかすみません」とMさんは頭を下げた。

みんなが4杯目のビールを頼み、乾杯をしようとすると、Mさんはビールを片手に力強く立ち上がった。

「えー、挨拶をしたいと思います。今日は、ぼくの送別会を開いてくれてありがとうございます。そして、これは忘年会でもあると思います。自然界のどこを探しても、1年なんて区切りはありません。1年という区切りは、人間が勝手に考えだしたものです。自然ではないのです。本当は、10か月が1年でも、3か月が1年でもいい。とても恣意的なものです。でも、ぼくは人間がきめた、この1年という単位を頼りなく、そして愛おしく思います。乾杯!」

「乾杯!」と私たちはグラスを合わせた。「なに、Mくん、考えてきたの?」と誰かが言い、「うん、考えてきた」とMさんは答えた。

Mさんはこれからカナダに行くのだという。カナダでも漫画は描ける、ぼくはカナダで読まれるような漫画を描いてみせると堂々と宣言した。

「じゃあ、みんなで最後、プリクラを撮ろう」とイソジン先輩が言い、中華屋の下の階にあったゲームセンターでプリクラを撮ることになった。「お前さんはプリクラ番長だ」と先輩は私を任命した。昔女子高生だった時のことを思い出し、「大船にのったつもりでいてください」とハーメルンの笛吹きのように先導した。

撮影は、頭上でピースをしたり、ほっぺに手をあてたり、ぎゅっと密着したり、ギャル顔負けのポージングをとり、順調に終了した。私が高校生だったときのプリクラとは様変わりしていて、撮る枚数が少なく、写真を選択できず、目がとても大きく加工されて別人のようだった。

落書きブースでは斜めになった画面が、薄暗いゲームセンターを照らすように明るく、カラフルかつチープな暖簾がその光をさえぎっていた。プリクラ番長の私は固い鉄のタッチペンを握り、落書きをしようと試みた。しかし高校生の私は、いつもこういうときにプリクラ機の外にいて、買い物で彼女の試着を待つ彼氏のように、ぼんやりとしていて、落書きの素養がないことに気がついた。仕方がないので、「カナダForever」と書き、途中でForeverの綴りを間違えて恥ずかしい気持ちになった。プリクラは音もなく機械から印刷される。セロハンテープがぺたぺたと柄の部分についている切れ味の悪いハサミで6等分に分け、それぞれが持ち帰った。

「いい思い出になったよ」と地下鉄の駅前でMさんは言った。
「M君、たまにはかえってきてね」「Aちゃんも元気で」「Mさん、これからも頑張ってください」「ありがとう、君もね。ブログ読んでるから」「おれ、Mくんの漫画、カナダに買い付けにいくから」「うん。楽しみにしている」みんなが抱き合ったり、握手したり、それぞれに別れの言葉をのべている中で、私は輪から一歩下がり、知らない人がカナダに行くお別れの様子を眺めていた。とうとう私の番がやってきて、「ああ、えっと、山本さん、はじめて会ったけど、ぼくはカナダに行きます」とMさんは言い「はい、渡航のご無事を祈っております」と私は答え、ポケットに手を入れたまま会釈をした。

Mさんを送った私たちは、ぞろぞろとJRに向けて歩いた。イソジン先輩は「すまんかった」と私に言い、「そういうときのお前さんは、本当にそつがない」と続けてほめたようなことを言ったので、私はうれしいのを隠して「ひどいひどい」と騒ぎ、Tシャツの上からダウンを羽織っただけの先輩の背中をバシッと叩いた。薄着だなと思った。そこにいたみんなも、先輩に体当たりしたり、背中を叩いたりして、ケラケラと笑いあった。

駅につき「良いお年を」と手をふり、それぞれの乗り場に別れる。騒いだぶん、ひとりになると身体がスカスカになった気がして、「良いお年を」がやけに響いた。みんな、Mさんがいなくなって寂しいだろうな。「1年という単位を頼りなく、愛おしく思う」というのは、なかなか良い言葉だとコートのポケットに無造作に突っ込んだプリクラを取り出してみると、真ん中には眼鏡をかけた知らない人が写っていた。


◇ ◇ ◇

あれから5年がたった。先日、Mさんと2回目にお会いする機会があった。太田出版の会議室で、Mさんの漫画についてインタビューをしたのだ。嬉しい再会だった。その様子は、こちらでぜひ確認してください。

『クイック・ジャパン』vol.156


筆者紹介
山本ぽてと (Twitter: @PotatoYamamoto)
1991年、沖縄生まれ。主にインタビューや構成をしている。B面の岩波新書で「在野に学問あり」、BLOGOSにて「スポーツぎらい」を連載中。


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