おさるのジョージと長くつしたのピッピ

Twitterでアニメおさるのジョージの見どころ紹介のWEB漫画を見た。
作者の突っ込みが適切で面白くてそうだよなと頷きながら、大学時代に読んだひとまねこざるの書評を思い出した。
江國香織だったと思ったけれど違うかもしれない。
おぼろげな記憶を要約すると「子供の頃はジョージが起こす騒動が大騒動になりすぎて怖くて読めなかったけれど大人になった今は最後がめでたしめでたしで終わることがわかっているからいいぞ!もっとやれという爽快な気分で読める」という事だったと思う。

私のおさるのジョージとの出会いは大学の児童文学の授業であり、子供の頃には読んだことはないけれどその書評にとても共感した。
だってジョージ半端ない、Twitterの紹介漫画はアニメだけれど全然誇張してない。でもその漫画を読むだけで多分読んだことのない人は「マジで?」と思うはずだ。ジョージ、お前こざるだぞ?専門職のスペシャリストじゃないんだぞ?と毎視聴時突っ込むくらいにはいろいろやらかす。しかもエンディングは、とりあえずみんな笑顔だから大丈夫!的な後ろで絶対誰かが後片付け頑張ってるんだろっていうとりあえずいろいろ飛び出てるけど風呂敷に全部包めたからハッピーエンドみたいな大雑把なものが多い。
大雑把なハッピーエンドは大好物なので、私はおさるのジョージのアニメ版結構好きだ。今見ても楽しい。おさるのジョージは、多分小さい子達が自信を投影して楽しむ形の話だから、小さい子達が興味のないところは大雑把でいいし、大きい人たちはその突っ込み所も併せて楽しめるのがおさるのジョージのポイントだと思う。

さてここで表題の長くつしたのピッピについても語ろう。
長くつしたのピッピは、船に乗って旅をしていたお父さんとピッピ(とオウムと馬?馬は後から家族になったのかも)がお父さんが行方不明になったことで大金を持って語り部である普通の兄弟の隣に越してきて好き勝手生きていく話しである。語り部がお兄ちゃんと妹だったか双子だったか記憶が定かではないけれど、スーツケースいっぱいの金貨を好きな様に生きるピッピの物語が小学生の私は大好きだった、続編まで全部読んで同じ作者のやかまし村も全部読むくらいには好きだった。

だった、つまりは過去形で、今の私には長くつしたのピッピの良さがわからなくなってしまっている。ピッピは力持ちでたいていの事は一人で全部何もかもできるスーパーチャイルドなのだけど私は大人になってしまったのでもうピッピに自己投影できないのだ。ピッピより周りの大人の方に同調してしまうのでときめきが何もなくなってしまったのだ。なんてつまらない、とは思うのだけれど、となりのトトロだってさつきの気持ちで見てた初回とは違い今は二人の姉妹を置いて入院しなきゃいけなくなったおかあさんの気持ちで見てしまう。同じことだ、時間って残酷だなと思う。

おさるのジョージとピッピ、スーパーおさるとスーパーチャイルド同じ様に自己投影して楽しむ形の物語だけれど、ジョージは逆に登場人物全員にほとんど共感できないのが今も楽しめるポイントなんだと思う。ジョージの登場人物の中で今の私が一番共感できるのがジョージが住んでるマンションの管理人のペットの犬のハンドリーだという時点でジョージの世界の異常さが伝わると思う。それに比べてピッピは周りの大人が常識人なのだ。常識人のせいで物語に入り込めないってどういう事だよ、と思うのだけれどこればっかりは仕方ない。ピッピはピッピで小学生のやりたい事の具現化なのだ、大人はジョージよりもリアリティがあって当然だ。逆に作者には小学生だけが楽しめる物語を書いてくれてありがとうと伝えたい、今でも思いだせるくらい楽しい話だった。だから今楽しめないのはつらいけれど、いつかまた一周回ってピッピが楽しめたらいいと思う、それまではジョージを心ゆくまで楽しもうと思う。

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