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死亡フラグ

お疲れ様です。昨日7/25は天神さんでしたね。
私はというと、姉の住んでいる涼しい部屋で、
猫と一緒にハイヒールと石田靖と西川きよしがやってる花火中継を見ました。
大阪すぎて偽物の大阪の番組みたいですね。
石田靖がいたらそこはもう大阪やなあと思いながらカップ焼きそばを食べて、ぼくとくぼの撮影のため家を出ました。

人がめちゃくちゃ多くて、なかなか難波まで辿り着けず、そのあとなんやかんやあって40分遅刻して淀川に着きました。

大阪で花火ができるとこってもう淀川の河川敷くらいしかないみたいですね。扇町公園でさえ調べたらダメっぽくて嫌な気持ちになりました。
まじかよ、逆に近隣住民に迷惑かけたろかい

流石に天神さんの後に花火をしようとするようなクソJ-pop pvはうちらしかいなくて、淀川は空いていました。

なんやかんや撮影が終わって、現地で解散したのち、私の家は淀川を越えたところにあるのでまあチャリで10分くらいやろと思って帰ってると、天神祭のせいでほとんどの橋が閉鎖されていて、家に帰るまで2時間かかりました。

携帯の充電も切れて、このまま帰れへんかもな、と感じた時に、

なんか、今日死ぬ気がするなー、と思いました。

死にたいな、じゃなくて、今日死ぬ気がするなー

なんでやろ?と思って考えました。
その考えを今日は、お前らに読ませる。読みたくないならブラウザバック…

私は23の女なので、希死念慮はめちゃくちゃあって、死にたいなとよく思うのですが、「今日死ぬ気がするなー」は初めてで不思議でした

(花火の写真が死亡フラグすぎるのしか撮れなかったってのもあるかも)

まーちゃん「こんなんどっちか今日死ぬやろ」

帰り道、川沿いをずーっとチャリ漕いで走っていくのですが、川越しに見る夜景は綺麗で綺麗で。

昔、母親の車でこの辺をよく通ってたな、とか
花火中継毎年見てたな、とか
お祭り、毎年行ってたな、とか
諸々思い出して、すごくご機嫌になりました

全部が全部、幸せな思い出です

幸せな思い出か〜

死にたいな、はネガティブな言葉に感じられるし、現状から逃げたい、こんなに辛いなら死んだ方がマシだ!みたいな意味で使われると思うんですけど、別にそんなことないんですよね。
死は救済、なんていうくらいで。(私はこの言葉嫌いですが。ちゃんと元ネタ学んでもないくせに耳心地のいいところだけ都合のいいように解釈するな。死にたいのは自分自身のエゴだろ)

私が死を感じたのは、もしかしたら
「死ぬなら今日がいいかもな」と思えるくらい、幸せな思い出で満たされていたのかも知れません


「早く死んでまうことを不幸って思われるかも知れへんけど、今日までの人生、結構幸せやってんからそこを見てほしいわ」

別に死ぬことって必ずしも悲しいことじゃなくて
死なれた方のエゴでしかなくて
悲しむのも烏滸がましいことかもって、

ぼんやりと、
うっすらと、
立ち尽くしながら、
雨音の中、傘の下で
思ったことを思い出しました

あぁ、もしかして、だから泣けなかったんかもな

泣けなかった自分をずっと責めてきたけれど(この言い方をすると被害者になってしまうからしたくないのですが、事実なので許してください)
そんなに、悪いことじゃなかったんかも

なるほどな、時間かけて考えて生きてりゃ、こうやって嫌な過去が変わることもあるのか

じゃあ、今日死ぬのは勿体無いかもな

そうか、私は、幸せな思い出を思い出して、ご機嫌になれるようになったのか

辛い思い出とか、思い出すのも辛いくらいの思い出も生きていればたくさんあるけれど、全部必ず過去になってくれる、人生ってやつはひょっとしたら悪くないかもしれませんね

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