見出し画像

グルメ

こんにちは!最近はめっきり妄想発明家のバイト先に遅刻する毎日を送っています、クボさんです(罪悪感すごいからもうクビにして欲しい)。
皆さんはなにに遅刻したりしてますか?
また遅刻した時に教えてください!

最近はめっきり冷えてきましたね。
クリスマスなんかも近づいてきちゃって、イルミネーションなんかも始まっちゃってね。浮かれてんね

冬の名物と言えば、クリスマス近いみたいな言い訳と共に人肌恋しくなり貞操を無茶苦茶にする一定層ですよね、それお前自身の問題やから、冬とか過去のせいにすんな、今を生きろ、今を

そういう人を見てると、救いはないのかね、なんて思ってしまいます。
別に、私ならなんとかできる!とかそんな傲慢に人の人生に関与する気はないけれど、悲しくなってしまうし、正義感に似た何かが蠢いてしまう。

「もう嫌いな奴多過ぎて人間やめたろかな」
「なんなんすか、マジで」
「いやだって、見てこれ、なにこの不幸アピール。見てたらイライラすんねん、見てどうせえっちゅうねん。救いようない」
「クボさんに関係ないじゃないですか、吐き出さないと辛いんでしょ。珍しいですよイライラするなんて」
「絶対に珍しくはないやろ」

文化財と喋っていると、言葉の可能性をひしひし感じます。
あいつはほんまに適当に喋ってるから、何でそんな言葉でてくんねん、みたいな時がめちゃくちゃあるし、それを見つけるたびに私は元気出ます。面白いから…

彼の語彙は私には理解できないし、それが理解できるようになった時に、きっと、また違う景色が見えてくる。

寒い寒いと言いながら、少し立ち止まってコーヒーを買いました。
缶コーヒーって、コーヒーを飲みたいんじゃなくて、缶コーヒーを飲む時間を買ってる感じがして、いいですよね。分かります?
「別にほっときゃいいじゃないですか、助けてくれなんて言われてないわけですし。」
「いや、そうやけどさ、解決できへん問題ってムカつくやん」
「自分に害がない限り別にですね。僕に害があればムカつきますけど」
「あーそれもわかるわ、自分に害与えられたらしんどいよな、逆に全く関係ない話やったら『いいねぇ』って思うもんな」
「『いいねえ』はヤバいですけど。プライド傷つけられたりとか、あまりにも失礼なこと言われたりとかしたらイライラしちゃいますね。知った口聞かれたりね」
「なんかベラベラ喋ってるけどよ」
「えぇ?ぼく今害ありました?」


私は昔から、根っこの性格はあまり良くない方です。外ヅラは良かったけどね。
SNSを見ていても、マウントや見てられないバカに「ありがとう〜」と思います。
でもこの、最近の、何と言いますか
言ってしまえば、ミュンヒハウゼン症候群と言いますか。
いや、もちろん、本当の皆さんもたくさんいると思います。本当に本当に辛くて辛くて、誰かに聞いて欲しいけど、誰にも本当に聞いてもらえなくて、本当に頼れる人が一人もいなくて、みたいな方もいると思います。いるのか?

親がキモいとか、兄弟がうざいとか、
いじめられたとか、体を壊したとか。

そんなもので自分を語らないといけないくらい、
そんなもので自分を語っていること自体、あなたの尊厳を傷つけているのに、それに気づかないくらい、そうしないと立っていられないのかい

そんなのって、そんな悲しいことってないじゃない、と思ってしまいます。

そんなことしなくても一緒にいたいし、そんなことしなくても楽しくさせたいのに、

一緒にいて、楽しい話をしても、
恋だったり、喧嘩だったりに惹かれていって
傷つけられて帰ってきて
人はどうしても、心動くことに惹かれてしまうから、私じゃダメで
ホストにハマったり、ダメな男に振り回されたり
なんで見てくれへんのよ、ここにおんのに
と、思ってしまう。

頼むから、不幸な出来事で自分の言葉の裏付けをしなや
そんなことしなくても聞くやん
聞いてくれる人は必ずおんのに

『クボだってほんまは私のこと好きじゃないやん』
『今日きてくれへんねやったら死ぬから』
『私ガンなってん』

全部嘘で、どうしようもなく腹が立った
お前いくつやねん
何やと思ってんねん
ただのわがままやんけ
どうせ私のことも悪く言うんやろ
親とかも一緒なんちゃん
ほんまは寄り添ってくれてたんちゃん
色んな理由つけて自分だけ正当化して

そう思った後に、「そうせな、聞いてもらえへんかったん?」と、思いました。

子どもが初めて嘘をつく時は、追い詰められた時らしいです
焦って、思考する隙もないうちに嘘をついてしまう。
それと一緒で、誰かに責められたとか、そういうことじゃなくて
精神的に寂しくて、嘘をつかないといけないくらい、自分に追い詰められたん?と思いました。

そんなことを今更言っても、どうせ響かない。
なに言っても伝えても抱きしめても、どうせ、分かってくれない。
救いきれないのなら、手を差し伸べるのはただの偽善だと、割り切れるようになりました。

私のお笑いにも、音楽にも文章にも、この人たちが生きていきたくなる明日を作れるような、そんなに大した力って、どう頑張ってもないのかなあ

いや、ある種、諦めただけですね

そう思うと、「何のために生きてるんだろう」とさえ思ってしまいますよね。
みんなみんな、私も、お前も
自分が幸せになるためだけの人生なのか、なんかそれって、めちゃくちゃ寂しいな

そんな日々の中で、毎日毎日、とりあえず自分のためにお笑いをしていました。
自分が幸せになるために
自分がしたいことのために
家族を裏切ったり、家から出たり。
ずっとずっとモヤモヤしていました。

でも、私が諦めたはずの、聞きたかったのに聞けなかったはずの言葉が、頑張れば頑張るほど、聞かせてもらえるようになりました。

『今の私の自己肯定感は、クボちゃんのおかげなのー!』
『クボさんに生きて会おうって言われたので、それまで生きます。』
『これ見るために生きてました』
『ガングリオンありがとう!!生きてて良かった!』
『こんなに楽しいなんて、生きてて良かったなあ』

あぁ、そうか。

『人は笑うと寿命が伸びるんやって!
ありがとうね、ひな』

いま、色んな人の寿命、伸ばしてるんかもせん。

なんや、全然大した力持ってたやん。

私に意味をくれて、ありがとう。

「あ、そうだクボさん、これ見てくださいよ、元気出ますよ」

文化財の見せた画面には、マウントを取るためとしか思えない内容のエッセイ漫画が写っていました。
「そうそう、そういうのそういうの、こんなんでいいんよ、こんなんで」
「孤独のグルメですか?」
「たまんないんだよなあ」
「正解だった、孤独の悪口だ。」
「孤独ちゃうよ、みんなの悪口やん」

とりあえず自分のためにやってることが、もしかしたら巡り巡って、過去の自分を救い上げてくれるかもしれないってことですね


すみません、キモい絵本みたいなオチになりました。
また来週〜!!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?