夢をもったことがない
これまで20年以上生きてきて「夢」というものを持った記憶がない。
もちろん、「あそこのラーメンを食べたい」というものから「バンジージャンプをしたい」など、「したいこと」はたくさんあり、それにワクワクしたことも数えきれないが、「夢」をもったことは一度もない。
自分のエピソードを少し紹介させてほしい。
幼稚園児のとき、「将来の夢」の絵を描く授業?があった。
先生が夢を聞き、園児のほとんどが「サッカー選手!」、「警察!」、「お花屋さん!」、「ケーキ屋さん!」と口々に叫ぶ中、自分は何も言えなかった。
元気に主張する同級生を見るだけでひたすらに啞然としていた。
恥ずかしかったのではない。
「将来の夢」という概念を全く考えたことがなかったのだ。
しかも、「サッカー選手になりたい」、「花屋さんになりたい」という気持ちが全く分からなかった。
園児ながらも、このことは衝撃でいまも鮮明に覚えている。
ちなみに、結局「スーパーのレジ打ち」の絵を描いた。
小学生の卒業式で、決意表明として「将来の夢」を発表しなければならなかった。
もちろん、その頃も将来の夢はなかった。園児のときと比べ、多くの生徒がややリアルな職業、例えば「看護師」、「webデザイナー」などを挙げる中、自分は「優しい人になる」という夢を発表した。
他の生徒が職業を上げる中、抽象的な夢だったため少し浮いていたと思われるが親や先生、友達からも何も言われなかった。
高校時代、皆が大学や専門学校を必死に選んでいる中、全くしたいことがないためほとんど悩まなかった。ただ単に自分が楽しいと思えた教科である、物理の道へ進むことをすんなり決めた。
この中で一番夢に近いのはこれなのかもしれない。
うちの大学では、一年に一回大学の教員と面談するのだが、進路の話で担当の教授に「ここまで何も考えていない人は珍しい」と言われた
このように、幼少期からずっと夢を持ったことがない。
そういうと「カッコつけている」と思う人もいるだろうが、全くそのつもりはない。
これまでの友人や同級生、恋人が自分の夢に向かって努力している姿を見ると本当に尊敬するし、叶えた人を見ると心からすごいと思う。
流石に園児の頃はこう思っていなかったが、「なりたい職業」って何なんだ。
そもそも、できることなら働きたくない。
「なりたい職業」は「好きな地獄を選んでね!」と言われているようにも思えてくる
ここまで読むと、夢を持っていないことを憂い悲しんでいるように思えるだろうが、別にそんなことはない。現在、日常はそれなりに楽しいし夢を持っている人を見ると羨ましいとは思うが、別段自分を卑下してはいない。
ただ単に「夢がない」というだけである。
よく考えてみると、世間一般によく言われる「夢」は多くの場合「職業」であることがわかった。
ではまず、自分の「比較的楽しくできそうな職業」を考えてみることにしてみた。そこでふと浮かんできたのが「研究者」、「塾講師」、「教師」である。
「もしかしたら自分は学問、教育関連をしたいのかもしれない」と一瞬思ったが、これは「自分が比較的よく知っている職業」に過ぎないことに気が付いた。
他の職業で内容を知っているのは「飲食業」しかない気がする。そう思うと、親が具体的に何をしているのか知らない。
これらのことから、職業を夢として挙げるには知識がなさすぎるという結論に至った。
では、職業以外の夢には何があるだろう。職業以外で挙げられるものとして「世界一周」や「〇〇一位」くらいしか思いつかない。
壮大すぎないか、、、
夢は職業か壮大なものの二択しかないのだろうか。
そこでまず、「夢」の定義を調べてみた。
ここでいう「夢」は④の「将来実現したい願い。理想。」だろう。
もしかしたら自分は「夢」を大袈裟にとらえていたのかもしれない。
どちらかというと、これまで「夢」を「理想」として捉えていたように思える。
しかし、前者の「将来実現したい願い」として捉えるとどうだろうか。
「夢」というものが身近に感じてくるような気がする。
「夢は何だっていいのだ」
映画の主人公が言いそうなセリフだが、おそらくそのシチュエーションとは真逆だろう。
自分が言いたいのは、どんなに小さいことでも、将来実現したいことであればなんだってよい。
例えば、「宝くじで少額でもいいから当選する」、「自動車免許をとる」、「ブラインドタッチができるようになる」、「テレビに映る」などなど
そう考えると、自分にも夢があった。
「老後、柴犬とともに日向ぼっこをしてのんびり暮らす」
これを夢として生きていこうと思う。
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