応援されることの意味

初めまして!
男子ロングパート2回生の嶋田匠海と申します。
初めてのnote作成ですが、今回は自分自身の競技人生を通して考えてきたことを書き綴っていきたいと思います。
拙い文章ではありますが、最後までお付き合い頂けますと幸いです。

始めに、僕には人生のモットーとしている言葉があります。
それは、

「お金を取る以上年齢は関係ない。その価値に見合うものを出すことが君達には求められる」

という言葉です。
この言葉は、僕が小学生の頃に所属していた子ども劇団の先生が、最初に劇団員に向けて言ったものです。
当時、何の義務も責任も負ったことのない7歳の少年だった僕にとって、この言葉は衝撃的なものであり、対価を要求するという事の意味として心に深く刻み込まれました。
僕はこの言葉を、社会における最低限にして最大のプロ意識と解釈し、人生の指針として今でも大切にしています。

ここから本題に入りますが、僕を含め多くの学生アスリートは、沢山の人達によって支えられながら競技を行っています。指導者を始め、トレーナーやOG・OBの方々、大学関係者に大会の運営に携わる大人達、そして家族。
多くの方々に金銭面や技術面をサポートをして頂き、場を用意して貰うことによって、僕たちの競技生活は成り立っています。
本当に感謝しても足りない程、僕たちは恵まれた環境にいると、これまでの競技生活を通して感じさせられました。

それと同時に、「自分はこの環境に見合った選手なのだろうか」とも考えるようになりました。こうした悩みは、アスリートに限らず多くの人が抱えているものだと思います。冒頭で書いたモットーにある通り、僕はかけられたお金や労力には、それ相応の価値や成果によって応えるべきだと考えていますが、実際にそれを実現させる事がどれほど難しいかも、これまでの人生で学びました。
それでも、自分達を応援し支えてくれる人達に報いるために、日々努力を重ねることが、応援される人間の責任だと考えています。


長々となってしまいましたが、これが僕が競技生活を通して考えた応援されるということの意味です。これからも皆様の応援と期待に応えられるよう、精進していきたいと思います。

写真提供:ミヤノシタスポーツ様

嶋田 匠海

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