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カフェと生きる身体の「カフェ」とは。


ここでのカフェは、主にカフェ空間のことを指している。そこで提供されるコーヒーなどの商品ももちろん重要ではあるのだが、今回は空間としての価値、役割について簡単にまとめておきたい。

カフェと生きる身体について▽
(全体像についてまとめた記事を書かないといけない)


カフェとは、開かれた囲いである。

カフェは、ごく当たり前に存在する社会に開かれたオープンな場所である。年齢性別人数を問わずいつでも、長時間腰をおろして滞在できる街の休憩所としての機能を持つが、同時に外というパブリックな空間からは切り離された閉じた場所でもある。そうした社会とちょうどいい距離感を保っている場所が、カフェである。

そばにある身近さと、囲われている安心感から、カフェという場は居場所や避難所として利用されてきた。
あるときは名もなき表現者が集う創造的な空間へ、あるときは識者が集う社交場へ、あるときは追われ帰る宛のない人々の仮住居へ。

まちなかで椅子と机を求める人々が、片手で足りる荷物とともに集い、思い思いの時間を過ごす、そうしたまとまりのない空間に生まれる一体感が、カフェという空間の居心地の良さを形作っている。

カフェは、大きな社会の中で小さな社会を形成している。
様々な肩書を社会で背負っている誰しもが、カフェという社会の中では一人の人間でしかない。それゆえに、他者との接触によって、通常ではありえないような結びつきが自然と発生する。小さな社会での新結合が、大きな社会を変えている。

カフェで重要なのは、対話である。
カフェは社会と接続しているが、切り離された別の社会であり、独自の時間が流れている。外界からの膨大な情報を遮断し、眼前の観察と内省によって現実を再認識していくことが、カフェで行える有意義な行為である。


以下は主に上に貼った記事からの抜粋。

カフェには大きく分けて3つの機能がある。

1・現実に馴染めない者たちの避難場所
2・人間と文化を作る学習と対話の環境
3・クリエイターの生まれる創造的空間

カフェというのは逃げ場であり、まちなかにある私達の居場所である。歩くことに疲れた人から、帰る宛がない人まで、幅広く受け入れる事ができる環境であり、落ち着きを提供する空間である。

そうして人々が集まる環境には独自の文化が形成されるようになる。その過程で人々の間には、対話とそれによる学習(知的好奇心への刺激)が発生している。

日々これらのプロセスが繰り返されることにより、最終的に人々は徐々に創造性を取り戻し、やがてクリエイターとなっていく。


こうしたカフェからクリエイターが生まれる仕組みについて、以下のように、人が作り手になるまでを4段階に分けて考えてみる。

①中動的発見
②積極的収集
③能動的行動
④主体的活動
①新しいこととの出会いは偶然であり、見えた、聞こえたといったふとした時に感じる違和感などがきっかけになる。違和感を覚える前提として本人の問題意識や考えていることがある状態というのがある。

②発見した違和感や興味を納得するためにその事象について調べるという行為が発生する。

③調べても満足できない、個人で解決できないとなると他者に尋ねたりする行動を起こすようになる。
②から③への変化の間には行動を起こすかどうかのハードル、アクションハードルが存在し、大抵の興味はこのハードルを超えない。

④行動の結果、自身の熱量を注げる、時間をかけて取り組みたいと判断されたものが作り手の活動として実行される

以下カフェと生きる身体「求めるもの、場所の話より」

創造的空間としてのカフェ
"現代のカフェは居心地の良い空間として休憩所のように使用されたり、家とも職場とも違うサードプレイスとして使用されたり、または会議室として使われたりと様々な用途で活用される。
そうした様々な機能を持ったカフェの中心的な機能は、落ち着いて座ることができて、社会を眺めながら話(対話、会話、談話)ができる場所だと考えていて、カフェの価値は、ワークとライフ、どちらの目的でも利用できる中間的な存在であり、多様な人々が集い混ざることで起こる物事の新しい組み合わせの可能性にあると考えている。
こうした、カフェの持つ人々を作り手に変える創造的空間としての価値、可能性について考える。"
創造的カフェの原点、アゴラ
"古代ギリシアの都市国家ポリスにあった広場のことをいう。
この広場は市場になったり討論の場になったり憩いの場になったりした。
場としての用途が限定されていないが、集う人々によって活用されていた生きた空間であったと言える。
この空間をカフェの原型として捉えることができるのではないかと考えている。
カフェ自体はその語源がコーヒーであり、アゴラとの関係はないが、その空間が都市にあることの価値や与える影響という意味では当時のアゴラはカフェであると言えるような気がする。"
創造者の巣、パリのカフェ
"20世紀初頭のパリはカフェで溢れていた。そして、そのカフェにはのちに誰もが知るようなアーティストやクリエイター(ピカソや藤田嗣治……)が足繁く通ったと言われている。また革命家や自身の居場所がない人々にとって、コーヒー一杯で一日滞在でき、冬には暖も取れることから避難所のように機能していた。当時は現地の人はほぼ通っておらずあまり良い印象も持っていなかったらしい。"
社会文化的フィールド
"ある決まりやルール、法則によって形成されており、その中にいる人々たちの間でそれが理解されている領域のことをいう。
その空間がどういった場所であるかを説明できる状態にある場所であり、その空間内では独自の文化が形成されている。
その空間を構成するメンバーは自身を必要なものと認識しており、ゲシュタルトを形成している。その空間に参加することで、新入りはコアメンバーからフィールドの文化を共有される"
対話のための空間
"現在の都市に対話が起こりうる空間はあるだろうか。
対話とは意味のやりとりであり、創造的なコミュニケーションである。
それにはある程度の落ち着きと問いを客観的に見つめられる状況、そしてそのやりとりを行う集中力が必要だ。
日本人が集中するためには23分必要だと言われている。
現在の飲食店の多くは長時間滞在するのには向いておらず、落ち着ける空間は会話も控えめにしなければならないなど、ちょうど良い空間が不足している。"
最近接領域と選択的注意
"学習論の社会的構成主義で出てくる。
ある目標があるときに、一人では到達できないが、誰かの手助けがあることで達成できるような領域のことを言う。答えを教えるのではなく、答えへの補助線を引くようなもの。
そうすることで学習が加速していく。
自身が気になっていることが目についたり、喧騒の中から気になる言葉を聞き分けたりする選択的注意と呼ばれるものがある。多様な人々が入り混じるカフェでは、本人の選択的注意により、再近接領域を超えていけるのではないかと考えている"
大学の構造を持つコーヒーハウス
"17世紀末あたりのイギリスにはコーヒーハウスと呼ばれる場所があった。
そこでは僅かな入場料(1ペニー)とコーヒー一杯で滞在でき、集まった人々が情報の交換、政治についての議論、研究内容の共有など、日々対話を行う空間として賑わっていた。こうした状況からペニーユニパーシティとも呼ばれた。
大学はもともと学生が集まり(組合・ギルド)、専門知識を持った教師などを呼んで教えてもらう構造だった。
人や情報が集まるこの場から現在の保険の仕組みが生まれもした。"
原動力になる知的好奇心
"人が何かに熱中したり、興味が湧いたりするのには、知的好奇心の力が働いている。この力には2種類あり、いろんなものが気になるといった拡散的好奇心と、それについて詳しく深めたくなる特殊的好奇心に分類される。特殊的好奇心のことを知的好奇心と言う場合もある。
学習においてもこの知的好奇心が重要である、興味がないことを覚えるのは非常に難しい。
人がものを知覚したとき、価値の理解があってから意味の理解があるという。逆に価値が理解できないと、意味がわからない状態になる。"
仮説、クリエイションエコシステム
"ものを生み出すサイクルは使用、分解(抽出)、創造(編集)、流通の4つの流れがあり、それぞれの間に選択が行われている。分解は問いの提起であり、絡まっているものを発見して抽出する行為で、創造はものの新しい組み合わせを探す編集行為である。
この流れの中で私たちはいつの間にか使用、消費することだけで満足するようになってきた。生きるために必要なものも短時間で低価格で効率的に獲得するようになり、作る楽しさを忘れてしまった。目的達成が第一になり、過程が貴重なものになった。"

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