僕がいつか
死にたかった中学三年生の頃
あの時は必死に生きていた。
毎日何かに追われていた、模試のスケジュールに脅えながらシャーペンを握っていた、塾で配られる課題が終わらないと嘆きながら丸つけをしていた、いつもは仲良いみんながクラス分けテストの日はピリピリしていて苦手だった。
手が届くわけ無い人間に本気で恋をしていた、毎日必死で、毎日何かを追いかけなきゃいけなかった。
みんなみたいに夢が見つからなくて、大学に行きたいかと言われてもそうじゃなくて、全て辞めてしまいたくて、高校受験は適当なところを選んでしまったが、それでもあの時は必死だった。
腕を切ったり、ボールペンの先で腕を刺したりして、自分が生きていたいのかすら分からなくて、毎日飛び降りようかと窓から見える夕日や星空を覗いていた。不思議と朝は死にたくならなかった。
どうにもならない不安とか、悲しいこととか、そういうのが全部僕を飲み込もうとしてくるのを、拒んで、必死に、生きていた。
後ろ向きに、必死に生きていた。
死にたくない、消えたくない、幸せになりたい、楽しく生きていたい、けれど生きているのが疲れる、全部から逃げたい、そんな風にぐちゃぐちゃな感情の渦を泳いで生きていた。
僕はいつか、
あの時の自分を超えるくらい、必死に生きられるようになりたい。
人間はスマホのバッテリーとよく似ている。
無茶苦茶な消費の仕方は、バッテリーを脆くする。充電をどれだけしても、直ぐに使えなくなってしまう。大切に使わなければ、壊れてしまう。
手を抜くことと力を抜くことが同じに見えていた僕は、僕を無茶苦茶に使うことで、頑張った気になっていた。
今は分かる。手の抜くことが悪だとも思わないくらい、大人になれた。
僕は、必死になることが怖い。
また自分を殺してしまう気がする。
また死にたくなってしまわないか怖い。
また僕が僕を失うことが怖い。
また自分で自分を傷つけることが怖い。
だけどいつか、次は自分の大好きなことで、やりたいことで、必死になってみたい。
僕のあの頃が、報われますように。
僕の人生がいつか、肯定されますように。
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