#7 私の推しに「私」を加えてみよう

ごきげんよう!
ご覧いただきありがとうございます。
 


前提

急に秋(冬?)めいて自律神経さんがお亡くなりになっている今日この頃、皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

さて、大事なことなので先にことわっておきます。
今回の話は私がお酒を飲みながらパッと思いついたことを文字に起こしたものです。
感覚的で論理として甘い部分があると思いますが、何卒ご容赦ください。人生1の怪文書です。
 

本編

私はとても怠惰です。
これは卑下の類ではなく、客観的に見た評価で、特に勉強の分野でそう思います。
そして怠惰にも色々ありますが、主に強烈な飽き性がその怠惰を構成する大きな要因だと感じています。
新しく楽しいことを見つけたらすぐそちらに飛びついて、それまでやっていた事を放り投げて忘れますし、様々なことに目移りしてしまいます。
この性質が、集中力として学習の姿勢に現れていると考えています。

ただ、私としても勉強を頑張りたいという気持ちは少しだけあるので、モチベーションを高く保つべく、とある仮説を立てました。

それが今回の
私の推しに「私」を加えてみよう
という発想です。
(推しという言葉や概念が適切かどうかはさておき、)今回は一般的な「推し」の意義で捉えて頂いて大丈夫です。

推し(おし)とは、主にアイドルや俳優について用いられる日本語の俗語であり、人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物のことをいう。

「推し」Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A8%E3%81%97

明言している通り、例えば私は平沢進さんやタイムマシーン3号のおふたりが大好きです。
上記の定義に照らし合わせるならば、彼らは再三このブログに出てくるくらいですから「人に薦めたいと思う」ほどの「推し」ですし、私はそのファンということになります。

そこに私自身が、彼らと肩を並べるべく私の「推し」となるのです。
コイツはまた何を言っているんだと思いますよね?
私もそう思います。

ここからもう少し詳細に考えていきます。
そこでこの考え方の重要な前提部分ですが、私自身を「推し」に据えることで、必然的に私が「ファン」の位置づけになります。 
換言すると、私の中に「推される側(=推し)」と「推す側(=ファン)」の役割が生まれることになります。

なお、ここから先は例え話が続きますので、読み飛ばしたい方は総括まで進んでください。
 

推す側

推す側の役割は、まさしく「推す」ことです。
ファン心理というのは往々にして自分勝手になりやすく、推しをひたすらに好み、時には相手の本質が見えなくなるまでに求め続けます。
それを私が私に対して行います。
すなわち、「どんな私が好きか」「どんな私であってほしいか」と問う役割を担います。
平たく言えば目標の設定でしょうか。
(なお、これはニュアンスの話なので伝わりにくいかもしれませんが、「どんな私になりたいか」とは少し違います。
・私自身の視点ではなく、少し距離を置いた俯瞰から無責任に要求するもので、
・非将来的で現状の評価でもよい
と思います。)

推される側

一方、推される側の役割の主軸は「推す側の期待に誠心誠意応えること」だと考えます。
推される側は推す行為との関係では受動的ですが、推される為には需要から外れすぎないような相応の活動が必要だろうという想定が働いています。
そこで推される側は、推す側が設定した「私の好きな部分」「こうあってほしい私の姿」を認識するとともに、それを体現することを目指します。

良かったところ

ここまでの説明だと、自分の中で目標設定→実行のプロセスを踏んでいるのとあまり変わりがないようにも思えるのですが、1週間ほどこの発想を取り入れてみて良かったところもありました。

・推される側としての活動に前向きに取り組める
例えば今回の私の出発点は「勉強を頑張りたい」でしたので、これをざっくり例にとると
推す側「聡明であってほしいなあ」
推される側「なるほど聡明な方がいいのか、じゃあ勉強時間延ばしてみようかな」
のような感じです。
推す側と推される側が同一化(元来の姿)していると、実行の段階で
「私が決めたことなんだからもっと勉強すべきだ、結果を出すべきだ」という発想に寄り、苦痛に陥りやすいのですが、
前者の場合は義務感よりは少しポジティブな推進力を含んでいます。
そのため、実行の着手時点でのハードルが下がり、机に向かいやすくなりました。

・推す側に他者を見出し、視野が広がる
推す側の役割に客観性を含ませることで、自分を実際に応援してくれている人がチラつくので、その人たちの期待に応えたいという意識が生まれやすかったです。
これもざっくりとした同様の例ですが
推す側「聡明であってほしいなあ」
推される側「両親もそう思ってくれているだろうし、もうひと頑張りするか」
といった感じです。
自分一人の文脈では自己責任だからと妥協してしまいそうになるのですが、他者の存在はそれをグッと堪える一助になりました。

良くないかもしれないところ

これは推測ですが、自分を推すということそれ自体、自分自身のことが好きではない人にはあまり向いていないかもしれません。
また、他者からの期待に押し潰されてしまうくらい真面目で律儀な人も向いていなさそうです。
あくまでナルシストで怠惰な私向けということで…。
「ナルシストで怠惰」書いていて少し凹みました、めちゃくちゃボケナスやん
 

総括

ここまで書いて「私を推す」概念は最初に私が思い付いた例え話に過ぎず、もう少し一般的な言説にできるのではないかと疑問を抱きました。
如何せん全て勢いで書いているのでご容赦ください。

そこで、
「 PDCAサイクルをPDとCAに分け、特にCとAの場面で客観性を意識する」
というのが現状の私による一般化です。

PDCAサイクルというのは業務・生産プロセスを
Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)
の4点に分解し、循環させる有名なモデルであり、
これを言説にあてはめると、
「推される側」が計画と実行を担い、
「推す側」が評価と改善を行います。
そして評価と改善のフェーズで俯瞰の視点を取り入れることで、計画の段階だけでなく実行の場面でもより良いパフォーマンスが期待できるのではないか
という仮説になります。

というわけで、安易に一般化した結果、大して面白い言説ではなくなってしまいました。
書き始めたときは「うわ〜酔っ払いって変なこと思いつくやん、おもしろ〜い」と思っていたんですがね…

本当につまらない怪文書で申し訳ありません。
詐欺みたいな記事になってしまいましたが、今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

かちょり
 

追記 (どうしてここが1番長いのか)

話が完全に逸れますが、「推す側」に他者を見出すところで出てきた「実際に私を応援してくれている人」について書き留めておこうと思います。
以下では具体的なエピソード付きで私の周囲の人間がいかに素晴らしいかを自慢します。
もちろん読み飛ばしてOKです。

例えば、遠路はるばる大学卒業を祝いに来てくれたり、別の友人が開催したイベントにわざわざ会いにきてくれるだけでなく、差入れや激励のお手紙を頂いたりしました。

百貨店で行われていた英国展のお土産として、どんぐりのピンバッジを渡してくれた人もいます。
その際に、イギリスでは、小さな種子が大きな木になることから、どんぐりは成功の象徴として昔から知られていると教えてもらいました。
真っ直ぐ私の成功を願ってもらえているようでとても嬉しかったです。
ちなみにこれはずっとペンケースのお供です。

また、高校生の時に共通の趣味をきっかけに、旧Twitterを通して知り合った社会人の方も強く印象に残っています。
最後に実際に会ったのが5年以上前、今となっては私がその趣味をやめてしまったのと、遠方にお住いということもあり、未だに本名も年齢も知りませんが、高校3年生のときに初めてお会いした際に、(多分)ひと回りほど離れている小娘に対して、超絶丁寧なコミュニケーションをとって下さりました。
物腰も柔らかく、直感的に相手から「他者へのリスペクト」を感じました。
そしてこの時に、その方から「大学受験はきっと苦しいだろうけど…」という言葉と共に、不忍池の学業増進と身体健全の御守を頂きました。
いや今これ書いてて思ったけど、そんな優しくされたら好きになっちゃうよね!?こちとら所詮高校生の小娘やぞ!?
当時の私がうっかり惚れてしまうことはありませんでしたが、あまりに人として出来すぎていて憧れでぐちゃぐちゃになりそうでした。
初対面の人にも誠実で思いやりのある、こんな大人になりたいと思いました。
なお「 こんな大人」へのまだまだ道のりは遠そうです。
そして高校→大学→大学院とずっとこの御守を通学鞄に付けています。
いつか私が学生をやめるときに、不忍池にこの御守を奉納しに行きつつ、その方に良い報告をしたいです。

と、このように私はたくさんの人に恵まれて生きています。
私を応援してくれる人たちに報いたいという気持ちや衝動は、私一人の自己実現の欲求よりもはるかに爆発的だろうと感じます。
ずっと応援し続けてもらえるように、この起爆剤を活用しつつ、進み続ける人間でありたいです。

さて、恵まれ施されるばかりで、周りに何一つ恵むことができていない未熟な人間ですが、なんとこれを書いているうちにちゃんと23歳になってしまいました……どうして……まだ「こんな大人」になれていないよ……。
常に「人生で今が1番」と即答できるように、爆速で前進する1年にしていきたいです。

変わらぬご愛顧、いつもありがとうございます。
皆さまの存在が私を私たらしめ、支えて下さっています。
今後とも何卒よろしくお願いします。

それでは、またこんど!

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