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「ありがとう」について。

突然ですが、「ありがとう」の意味を考えたことってありますか?

幼いころ、誰かに何かをもらったときや
何かをしてもらったときに
「ほら、なんて言うの?」「ありがとうは?」なんて、半ば急かし気味にその言葉を発するよう親に言われたことはありませんか?

感謝の気持ちを伝える言葉だ

そう意識して使えるようになったのは、いつからだったかなぁ?皆がどうやってその言葉を理解してきたのかはわからないけど、とにかく私は、近づけば勝手に開く自動扉のように反射的にありがとうを口にしてきたような気がします。

だけど、これまでに何度か
褒められたり、自分の持ち物や身体的特徴を良く言われたシーンにおいて、「ありがとう」が反射的に言えなくなることがあって、

「これくらい、全然!」
「○○さんこそ、〜ですよね!」
「いやいや、私なんてまだまだ!」

と、控えめに振る舞うことが大人のやり方なんだなぁとか考えながら、第一声を選ぶことがありました。

ところが逆に自分が褒める立場に立ったときには「全然!」なんて言われてしまうと、
何故かモヤモヤ...私は本心で素晴らしいと思って、言葉をかけたのに、否定されたように思い「いや、そこは素直にありがとうでええやん!」ってありがとうを欲してる人みたいになっていました。

素直な「ありがとう」を阻む要素

日本の文化、と言われたらそうなんですが、
私達は控えめであることを美徳としてきました。しかし、「控えめ」って人によって程度も表現方法も様々でわかりにくい!!と思ったので、ざっくりと分けて考えようと思います。

控えめ=〇〇?

▫️謙遜
・自分の能力や価値などを低く評価すること
・動詞としても形容動詞としても使う

▫️謙虚
・自分のことは決して下げないけれど、
控え目で素直なこと
・動詞としては使えない

▫️卑下
・自分を人より劣っているものとしていやしめること
動詞として使う

控えめの背景にあるものをこの3つとしたとき、
▫️謙虚 に関しては動詞ではない以上、他人が自分を評価するときの言葉であり、己の振る舞い方を左右するものではないんですが、
「謙虚に見られたい!!」のポーズ、自己プロデュースの要素として取り組まれている方はいると思います。

▫️卑下 については、最近ではよく「自己肯定感」という言葉で語られることが多いけど、そもそも自己肯定感の低い人にとったら「自己肯定感」という単語自体がめちゃくちゃハードルが高いように思います。ある方がいいよ!なんて言われたらますます、「果たして、自分が肯定されるほどの能力を持っているのか!?」みたいな負のスパイラルに陥りそうで、あんまり好きな言葉ではありません。

**知的謙遜力ってご存知ですか? **

自分の実力を客観的に見て、自分を卑下することも調子に乗ることもなく、新しいものを学び続け成長し続けるためにはどうすればいいのかというのが知的謙遜です。
自分は頭がいいとか自分は凄いというような思い込みに左右されず、ありのままに物事を見ることができるようになることが重要になります。

詳しくは、メンタリストDaiGoさんの動画見てください(笑)

Googleが最重要視するチカラ【知的謙遜入門】最強の判断力と知的成長を手に入れる方法

自分を客観視するって凄く難しくて、
お世辞かもしれない賞賛を鵜呑みにして調子に乗るのは恥ずかしい。恥をかきたくないという見栄やプライドのために、必要以上に自分を下げる心理、実はめちゃくちゃ理解できます。
私がありがとうと言えなかったときもきっと、「卑下するフリ」をしていた気がします。

でも、そんなフリをしていることは、案外、他人にはバレてるんだろうな。
私が褒めたのに、ありがとうが返ってこなくてモヤモヤしたのは、そのフリを感じたからかもしれません...まぁ、その時に限らず、普段の言動から蓄積してそう見えるんでしょうけど。

これは、こうするのが正しいだとか、
ファイナルアンサーだとかいう話ではなく、
自分がプライドのために言えなかった
「ありがとう」をこれからは、
褒めてくれた事へのお礼だけでなく、
知的謙遜力、つまり自分を客観的に見るための要素を与えてくれた言葉に対して使っていきたいなっておもいました。

だから、場合によっては、怒られても使うかも。

いや、反射的に使うこともあるんでしょうけど、
ひとつ、ありがとうを言う理由を増やしてみるみたいな感じです。

たくさん、ありがとうを言う。
これ今年の目標です!


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