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孤独といきる。

仕事のひとつを辞めようかと思っています。

前向きでも後ろ向きでもなく、私の中ではごく自然な判断で、つくづく同じところにとどまれないやつだなぁと思っています。

じゃあ空いた時間はどうする?

今、その仕事に費やす時間はざっと月に80時間くらい。完全に辞めてしまってもぎり生きてはいけるんですが、先々のことを考えるとやっぱり体力と集中力があるうちに何かはしていたい。

私は16歳の時から、アルバイトや派遣などを含め
20個近く仕事を変えてきました。

スーパーのレジ、アイス屋さん、韓国料理店、雑貨屋さん、繊維メーカー事務、旅館、携帯電話のディスプレイや半導体の工場、居酒屋、パソコン専門店、家電量販店、携帯電話ショップ、スナック、ネットプロバイダ契約、家具屋さん、テレビ局事務、家庭教師、カウンセラー、イベント運営補助、、などなど

単発の派遣で掛け持ちをしてた時期は、1か月で3つくらいの現場に通っていたりしたので、こんな感じになりました。何も極めてないと言えばそれまでですが、色んな業界の裏を見てきたので、
もし「何者かになる」という目標を掲げるとすれば、「いいお客さんで居たい」といつも思っています。

こう言うと「もったいない」とか「一つのことしたほうがいい」とか色々言われたりもしてきましたが、「自分のことさえ食わしていけたら誰にも文句を言われず生きていける」と教えてくれたおばあちゃんの言葉がずっとあって、
変化することに対してのストレスは全くなく、これまでやってきました。

理解されない=味方がいないわけじゃない。

私は、こう見えて(←)殆ど迷いや悩みなく生きてきたんですね。それは自分のことを決める時いつも、

▫️死ななかったらO.K
▫️税金くらいは払う
▫️犯罪は犯さない

の3つしかルールが無いから。
強いて言えば、このルール内では結構大きめにブレてきたので、他人から理解されないとか、
やってることに一貫性がないとか、
人から信用される要素はあまりない振る舞いをしてきたのかもしれません。

だから悩みをあえて作るなら、
社会や人間関係の中にあって、
今も尚、みんなと仲良くしたい!と思う反面、
全員とは無理だなぁ、理解されないだろうなぁと
思うことがあります。
でも、理解されない=敵 ではなくて、理解できないものを否定したとき初めて誰かの敵になるのだと認識したとき、私にとって孤独はさほど寂しいものではなくなりました。

でも、だれかと仲良くしていたいよね。

私が尊敬する大人のひとり、
ミヤマテツオさんの歌「人生にイロドリを。」に
こんなフレーズがあります。

一人で生きてるから 一人で決めて
キミの持っている色と 僕の色を混ぜて

共感や承認による繋がりももちろん素晴らしいものだし、そんな人と過ごす時間は本当に大切。
でも、一人で生きながらも、たまには誰かと混ざり合って、そこでしか見れない景色を見るのもいい。

これから仕事をひとつ片付けて、また新しいことをはじめるときにも、私はきっとそんなイロドリ溢れる世界を求めて動き出すとおもいます。

うん、めちゃくちゃ楽しみ。

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