雑記 1年で2000編の詩を読んでみて

 ココア共和国という詩誌に掲載されている詩をすべて読み、書けそうなら雑多に感想を書き、見せられそうなら公開する、という試みを去年1月に始めました。

タイトルの2000編というのは、ちょっと曖昧で。ココア共和国2022年12月号が139編、それを15冊としての概算です。けれど、その号によって掲載数もちがうし、でもひとつひとつ数えていられないので。まあ、なんとなくで。

2500よりは少ないんじゃないかな。でも、2000は確実に読んだわけです。それも、普通にさらさらと読むのではなく、きりきりと歯を食いしばりながら、かなり力をこめて読んできた、ということだけは――感想の正確さに比べれば――いささか自信があります。

色んな詩がありました。読みながら、感想を書きたくて、この気持ちを伝えたくて、筆が止まらない詩。とても良いのだけれど、この良さの伝え方が分からない、何度書いてもうまくいかないと悩み、1週間考えた結果、やはり記事には載せないことにした詩。もちろん、さらりと読んで、僕には合わないな、と思う詩もありました。単語がいちいち輝いて、瑞々しくて、打ちのめされてしばらく何も手につかなくなってしまうような詩も。

そもそもどうしてこのシリーズを始めたかというと、僕の勉強のためでした。
ココア共和国という詩誌を知り、小説ばかり書いていた僕は、それまで詩なんて書いたことも読んだこともないのに、自信満々に応募した……のですが、結果が芳しくなかった。そして、悔しながらにほかの方の詩を読んでみると、すっごく面白かったんです。当たり前ですが、そこには、小説とはまた違った世界が開けていました。

この人たちに並びたい、と思いました。『詩について』みたいな本も色々買って読んでみたのですが、やはり、実物を体感しなければ分からないことがある。
スポーツでもそうですが、どんなプロの指南書よりも、舞台に立っている人のプレイを観た方が勉強になるし、また、実際に自分が立たないと分からないこともたくさんある。もちろん指南書を読むことでしか得られないものもある。詩の世界で、その3つともを真剣に取り組んでみたんです。

で……結果ですが。うううん。どうだったんでしょう?すくなくとも、僕の思い描いていたような場所には行けませんでした。

要因はたくさんあるのだけれど、まず、詩の性質が僕に合っていなかったことにある。
言い訳でも開き直りでもなく、僕は小説向きなのだろうな、と思ったんです。もっともっと、長くだらだらと物語のなかで遊んでいたい。詩は、やはり物語的な物語を展開できない。
当たり前のこと言ってますね。それに気づくのに1年半かかったんです。やれやれ。
読むのは好きなんです。詩的物語。大好き。なによりも好きかもしれない。また、実際に小説としてそれを完成させて評価されている人もたくさんいますよね。最近だと、井戸川さんが有名ですが。

じゃあそういう風に詩を書けばいいじゃないか、と。ふたつめなのですが、詩に触れるのが遅かった。僕は今年26歳になるのですが、もっともっと早い時期に、中高生のころに出会えていれば、と思うんです。まあ、そのころに出会っている小説でうまくいっていないので、何とも言えないのだけれど、小説でいうと、僕は、ほとんど自分の満足できるものを書けているんです。
でも、ちょっと凝り固まりすぎてしまった。1000や2000の詩を読んだところで、やはり、その固まった脳に詩を混ぜるのは難しかった。もっともっと読めば、もしかすると、もう少しうまくいくのかもしれない。

最後は、やはりもう、才能だろうと。こんなの、どう足掻いたって書けないや、というような方を何人も見てきた。そして、その方の他の詩を貪るように読んだのですが(そう考えると2000編どころじゃないよな)、こんなことは言いたくないのだけれど、やはり、筆の質がちがう。日本人が純粋な格闘技や100m走で世界一になることができないように、もう、生まれもっての細胞、筋肉の成り立ちがちがうんですよね。

これから数十年、真剣に詩に取り組むこの生活を続けていれば、あるいは何か変わるかもしれない。けれど、僕は、やはり小説を書いていきたい。小説にも生かせられるだろうと思ってやってきたのですが、すこしずつ詩から小説へとシフトを戻していこうと思います。
おそらくこの記事を読んでくださっている方は、ココア雑記に少なかれ興味を持ってくださっている方だと思うので、ちょっとここで宣言しておきたかった。ペースダウンするだけで、やめるつもりはありませんが。

じゃあ全部無駄だったのかというと、もちろんそうじゃなくて。人との繋がりが増えました。
僕は人付き合いがものすごく苦手で、古くからの友だちは高校の同級生ひとりだけなのですが、雑記シリーズを始めたおかげで、たくさんの人と繋がることができた。たくさんの言葉を交わし、何人かとはご飯を食べたりすることまでできました。詩誌にも参加させてもらえたし、スペースでお話もできた。
僕の取り上げた方々って、みなさん、掛け値なしですごいと思った方なんです。なのに、僕が「熱量がすごい」なんて褒められちゃったりして。基本的に褒められると素直に受け取るように心がけているのですが、ここでは本心で書きます。いや、作者さんがすごいんですよ。ほんとに。僕は、作られたものに感嘆しているだけです。

この雑記がなければ、どれも絶対に成し得なかったことです。ココア共和国にはその方の個人情報が載っていないので、取り上げていいか、全員の許可を取ることは叶わないのですが、それでも(すくなくともTwitterでは)、取り上げさせて頂いた方のなかで、難色を示してこられる方は1人もいませんでした。それどころか、たくさんの感謝の言葉をもらいました。これは僕にとって、かなり意外なことでした。まあ、もちろん、直接言われていないだけで、毎度不快な思いをしている方もいると思うのですが。すみません。DMください。
いいと思った詩を広めたいという思いも少なからずあるのですが、やはり、本題は個人的な勉強ですから。勉強がうまくいかず、思ってもみなかったところで交流ができてしまった。そしてそれは、たぶん、いまの僕には、勉強なんかよりもっともっと大切なことだったのだ、と。一昨年の僕は、フォロワー0人でしたから。1年で色々変わるものですね。

なにが言いたかったのか、よく分からなくなってしまった。詩を2000編読んで、頑張って感想を書いてみると、勉強にもなったし、たくさん人と交流できたよ、というお話でした。うまくいかなかったとは書いたけれど、やる前よりはかなり自由に動けていることもまた事実ですから。
これからペースは落ちますが、ぼちぼちやっていくので。また覗いてもらえれば嬉しいです。

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