雑記『Recipe spring set2023』

まえがき

以前からこのRecipeという詩誌、すごく好きで。季刊なので、季節ごとに出るんです。それも、無料。アーカイブも。無料。すごい。すごすぎる。何度も何度も読んで、スクショしたり(だめなのかな)しています。
なかでもいままでで1番印象に残っているのが、2022年のspring setに入っていた、よしおかさくらさんの『七色茶漬け』。江戸落語が大好きな僕は、その情緒を継承しながら、文学的な文体に惹かれ、さらに、あの締め方は、僕にはとてもできないもので。だから、初めて読んでから1年ということになりますね。『七色茶漬け』。江戸落語調の詩なんて読んだことがなかったので、初めて出会った時の衝撃はよく覚えています。

なんでこの詩誌が好きなのかって、すっごくあたたかいんですよね。こういう抽象的なこと、あんまり言いたくないのだけれど、ほんとうに。あとがきや、表紙、校正係のまかないRecipeとか、全部あたたかいんです。見てもらえたら分かると思います。みなさんにも。必ず伝わる。どうしてなんでしょう?「食」をテーマにしているからなのかなあ。いいなあ。こんなの作りたいなあ。

7名のメンバーは固定されていて、毎度ゲストが1人。で、8人。甘夏これさん、岩佐 聡さん、佐藤恵理佳さん、妻咲邦香さん、林 やはさん、柊月めぐみさん、よしおかさくらさん。と、この刊のゲストは高嶋樹壱さんですね。

これ、引用してもいいんですかね?無料で公開されている詩誌ではありますが、どうなのだろう。全部紹介するのも良くないかなあ。うーん。やめておきましょうか。感想だけ書いていきますね。よし。長くなりそうなので。そろそろ始めます。

なかがき

『春のおさしみ』柊月めぐみ
これ、この号で1番好きだったかもしれない。『春のおさしみ』ですよ。この日本語の、ひらがなの美しさ。
春のようなみんなに語られすぎているものって、自分の言葉を失ってしまい、かといって陳腐な表現もしたくないので、なかなか難しい。けれど、この詩は、振り切っています。全力で春。<めりめり/さわさわ/すー><にょきにょき/んぐぐぐ/ぐーん ぐーーん>これ、ほんとすごい。こんなの描けない。作者さんは、浮かんだことをそのまま言葉にできているんじゃないかな、と思いました。狙ってアーチを描けるホームランバッターのように。はっきりとそれがイメージできて、かたちにしてしまえる。
なんというか、もう、こんなのが描けるなら、楽しくて仕方ないだろうなあ、と思いました。なんだってできてしまう。もちろん原稿とにらめっこした結果なのだろうけれど。読んでいてこんなに匂いが、触感が伝わってきた詩、なかったかもしれません。

『美味しいと言って』よしおかさくら
<手が凍りそうでも/じゃがいもを水で洗うのは信じているから/こうした方が/あなたが美味しいと言って笑うって>
ちょっと……いきなりの引用ですが。もうすごくないですか?これ。教科書に載っていい。俵万智と並んでいい。
短い詩です。が、なんというか、余裕がある。詩に対して焦っていない。経験を積んできた、書くことが身体に染みきっている、そんな風格がある気がします。
生活のワンシーン。でも酔っていなくて、主人公や、「美味しいと言って」くれる人、冷たい水や手まではっきり見えてきて、それがいちいち美しい。
ああ、どうやったらこんなのが書けるのだろう。生活に、人生に詩を混ぜているんでしょうか。綺麗です。羨ましい。

『たらの芽の天ぷら』林 やは
<やわらかな味わいがはじまりだった。そしてじんわりと体を火照らせた。わたしの体は春になった。欲していた。彼について記憶していることのすべてが、食欲になった。( ひとを食べたことがあるということ? ) ある意味では、わたしは獣にもなれる。>
やはさんの詩は一見難解ですが、難解にさせてやろうとしているのでなく。ではなぜ難解なのかというと、描くテーマがこういう描き方でないと描けないからなのではないかと思います。青空に光る星を描きたいとき、読者はどうしても目をこらす必要があるのと同じで。本当はむしろ親切です。例えばやはさんの詩の多くは、問題提起からはじめてくれます。だからはじまりが肝心です。
<食べていたのか、食べられていたのかをはっきりさせて、血の匂いがしてこれば、四季になってしまう。わたしは、このときだけは、かなしいといえる。>主人公は、何らかの理由で彼を失ってしまった。その感情は複雑ですが、ここだけはっきりと書いています。かなしいと。彼と主人公の関係性、犯す、犯される、食べる、食べられるをはっきりさせたくない。
<裸になって食べていたのはどちらで、食べら
れていたのはどちらで、どちらでもないといいたくて、植物しか食べない。獣だから、植物しか食べない。人間だから、かなしくなりたくなくて、植物しか食べない。>セックスは、あらゆる動物のする行為です。彼を失った主人公は、かなしくなりたくなくて、植物しか食べないようにしている。
詩のなかで、<彼を、犯した。>と明記されています。犯されたのではない、主人公は犯したんです。そのことを分かっている。そして、だから彼を失ってしまったのかもしれない。自分は人間で、獣だから。自分が犯して、彼が犯され、そうして彼は去ってしまった。
そのかなしみを避けるため、主人公はたらの芽の天ぷらを食べます。<わたしは、たらの芽の天ぷらを食べていた。ふくよかで丸みのある食感に、植物の繊維を感じて、塩を振りかけると旨味が広がる。やさしい宴。彼に似ている。>それでもやはり、彼を思い出してしまう。ここから続く、獣性は見事です。獣は、たらの芽の天ぷらさえ、彼にみたててしまう。最初の(ひとを食べたことがあること?)は、何度も反芻されます。草を食む牛のように、主人公は、そのことを咀嚼しては、何度も何度も反芻するのでしょう。含みをもたせた、どちらにも解釈できる終わり方もまた、美しい。

『フロランタン』佐藤恵梨香
すごいなあ。フロランタンって、年中食べられるじゃないですか。なのに、この詩を読むと、もう春のお菓子にしかみえなくなります。
<こいねがって/舞い落ちたまま/誰も、誰ひとりとして/踏みしめていない/桜の花びらの小径を/切り分けたような/フロランタンが食べたい>このはじまり。これ、めちゃくちゃ力を入れたんじゃないかなあ。渾身の一連という感じがします。美しさもありながら、圧倒されてしまう。
<焼きあがったサブレ生地は/男の肌のいろしてて/それの歯触りのよさに/赤面する>あとこれ、笑っちゃいました。僕は女のひとじゃないのでちょっと分かりきれないのだけれど。
<桜の根元には/アメから解放された/わたしが眠って、いる/誰かが踏みしめていった/ひび割れたフロランタンは/都合よく/ほろ苦くはならない>これで終わりです。桜の木の下に眠っているのは、死体と相場が決まっています。フロランタンを桜の花びらの小路にみたてた時点ですごいのですが、が、それをまた綺麗に詩にまとめるところが本当にすごい。詩的なものを、詩として成り立たせる。これ、並大抵の人ではできない。発想に筆力が負けていないということですから。羨ましい。また、文学のにおいをたたせながら、短いなかでしっかりと落としこむ。あたりも。こういう詩には、何も言わず浸っていたいです。

『明日のディナー』妻咲邦香
妻咲さんは、ココアの方で何度か取り上げさせて頂いています。名前をお見かけするたびわくわくする、数少ない詩人のひとりです。
<瞬きなら出来る、指なら動かせる/何なら涙だけでも、世界は少し動く/愚かな人なんていない、愚かな歴史はあったとしても/ごめんねと言えなかったあの日に戻る>この思考の流れというか、言葉の揺れ、つらなり。読んでいてすっごく気持ちいい。
妻咲さんは、この刊にもうひとつ詩を書かれていて。その詩もこの詩も、共通して「春」があまり出てこないというか、主としては出てこないんです。あまり意識されずに書かれているのか……?と思ったけれど、余命わずかなんですよね。きっと。わずかどころか、明日も生きているのか、目を覚ますことができるのかも分からない。別れという意味での春なのかもしれません。
<信じていいものは片手に乗せてみる/もしも明日、私に少しの時間が貰えたら/ディナーは何を用意しよう?/誰と一緒に食べようか?>これで終わりです。死がとてつもなく近いのに、まったく冷たくない、逆です。ひたすらにあたたかい。最後のプロフィールにも記載されていますが、作者さん、お菓子工房の店主さんなんですね。だからこそ書けるというか。こういう状況のとき、最後の最後、自分がどうするのか?って、本当に大切なものが分かる。詩中で繰り返される、<片手に乗る分だけ>、そこに、誰かに何かを作りたい、誰かと何かを食べたい、と思う。
この詩、思考しか描かれていません。なのに、病室で桜が見える、そんな情景が浮かびました。これ、僕だけですか?この刊、春のものばかり読んできたからかなあ。不思議です。夏に読めば、夏になるのかな。語り手の状況をまったく描かず、違和感なく完成させてしまう。やっぱり好きだなあ。語り足りない。

『パンを食う』岩佐 聡
すごい……。ここでは引用を極力減らしているのですが、全部引用したいと思ってしまった。ピンと張り詰めた空気が、最後まで緩みません。
いや、ちょっとすごすぎて言葉にできないな。いや、この刊のみなさん、お世辞抜きにすごいのですが、この詩は一見しただけで、あ、敵わないな、と思いました。でも開かれていて。暗くて見えないのではなくて、まぶしい。から、作者さんの問題でなく、僕が足りないんです。言葉の1行1行がとてつもない重さで、すべての連が詩として成っていて、なんというか、うまく捉えられる気がしません。
<湯気のたつパンを半分に割ろうとして/やわらかい中身がほつれながら/右のほうに多く引っ張られている>ここですよね。ここ、すごく重要だと思います。これを軸にしていると思います。「パンを食う」ことを考えたとき、作者さんは、「パンをちぎる」ことをイメージするのでしょう。で、この詩では手がとても重要です。
<パンをとても小さくちぎる食べ方/毎朝、物語を拒否する態度を/こうして、つくる/やわらかいところだけ食べながら/いつも革命をあきらめて><指先だけでだれかを殺してみせる、という初夏の/命を粗末にする仕方>このふたつ、続いていないんですよね。それぞれ独立している。指先だけでパンをちぎる(殺す)というところに違和感というか、抵抗を感じているのでしょうか。
<パンをちぎるときの顔は/まだ文脈とはいえそうもないから/精神を逃がしたままにしながら/肺で、咀嚼する/これから雑音の静けさでわたしという余白が/埋め尽くされればいい/この手で思いだす、河岸の小さな砂利で/いくつもダムをつくる遊び/夜が散り散りなのをかき集めて>たくさん引用してしまう。すみません。こことね!<まだそこに宵闇の成分を押さえつけておきたい>ここ。これも、たぶん独立しているんですよね。独立した1行。は、かなり重要な位置を占めているはずなんです。主人公は余白で、パンを食うその咀嚼や、雑音で埋めようとしています。そこから連なる、小さな砂利を手で集め、ダムを作る遊び。あれは夜を、宵闇を押さえつけていたのではないか、と。で、その手でいまはパンをちぎっているわけです。
<空白も一つの言葉だと/約束を反故にする一日があってもいいと思えた/週の真ん中にする午睡のため/パンの膨らみかたを/偽りの手話にみせる陽射しがふっている>ここで終わりです。ちょっと戻ります。<年下の友人にこそ赦しを乞いたくなる/今だけならわたしのことを/複数形のなかの一人ととらえて、差し支えありません>これ、ここと繋がっているんでしょうか。最後、主人公は年下の友人との約束を反故にしたのかな。そうとすると、きっと年下の友人は主人公を複数形のなかの一人と捉えている、あまり良い扱いではない、大切にされていないのでしょう。最後の2行がもうすごい。ものすごく美しいのですが……何でしょうか。うううん。正直、分からないです。やはり、手話ですから、手が大きく関係していて、この2行で、パンをちぎるということ、食うということを表したかったのでしょうか。約束を反故にして、パンをちぎって、食うことを優先したのかな。一日を空白にして、自分の余白を埋めるために。
ごめんなさい、全然自信ないです。ただただ、言葉の美しさに浸るだけの詩、とも思えなかったのだけれど……どんな綺麗な世界なんだろう。作者さんの頭のなかを覗き見たいです。

『境界線ケーキ』甘夏これ
椎村来帆さんなんですね!お名前変えられたのか。ココア共和国で、よくお見かけしていました。雑記で『星の子』 を取り上げさせて頂いて。かなり前だったと思うのですが、あまりにも美しく、すごくよく覚えています。
すごく可愛い詩です。なりふり構わず、「可愛い」にすべてを捧げている感じがします。自分の中の「可愛い」の到達点。を、意識したのでしょうか。
短い詩なので、引用が難しい……。「春」「食べもの」で詩を書けと言われて(そんな風に言われていないかもしれませんが)、これを書けるのは本当にすごい。みんな、これを書きたくて書けないのかもしれない。
<それは夏をまちきれない、いちごが/雪どけみずの少女に/おおきな、おおきなケーキをおくりたいんですって>大工に色々指図しているのは、いちごなんです。かざられる側、食べられる側の。
<あたたかくひろがる春をいわいましょう><うつくしく、ひかりをあびようと/かわいらしい色たちが/空にむかっていのっています>ここで終わりです。ここ、最高ですね。癒される。誰も嫌な思いをしない詩なのではないか。幸せになる詩です。

『悪い鍋』高嶋樹壱
わあ。いいなあ。これ、僕の書きたいもの、読みたいものに1番近い詩です。創作で、物語的で、でもしっかり詩です。
夢なのか、現実なのか、幻想なのか、読者をあやふやにさせたまま、答えを出さずに終わる。<所在ない母がいつものように、薄い紙製のアルバムをめくる/その頃に撮った私の写真を、しわくちゃの指がしつこく撫ぜる>ここで終わるのだけれど、じゃあ、悪い鍋は、老婆は何だったのか。
<「悪いとこなんてどこにもないのに」/「いんやいけねえ、悪い心悲しい心、みんな失くしちまうからいけねえ」/「どうして、それがいけないことなの」/答えようとして老婆は笑った>この台詞は、誰が誰に言ったものなのか。すべて読者の想像に委ねられています。主人公はそれらを悪い心も悲しい心も、みんな失くしてしまったのでしょうか。母親は悲しそうな顔を失くしていません。
こういったもの、僕の答えみたいなのは書かない方がいいかなと思います。というか、そんなの無いから。読んで、沁みたこと、それが答えだから。ありありと老婆が、村が、いじめっ子の姿が浮かびます。が、母親だけはどうもぼんやりとしか感じられないんですよね。悲しそうな顔もはっきりと読めない。こういうこと、どんな人にもあるんですよね。きっと。失くしてしまっているだけで。僕にもある。描いてくださった作者さんに感謝してしまいます。すごく好きな詩です。

あとがき

『Recipe spring set』の名の通り、春と、食べものが共通したテーマです。から、現実に、生活に即した詩、なのに、全員ちがう色あいで。
凡庸でない、特異な詩人たちは、ありきたりの日常もこんな風にとりどりに描けるのだと。なら、詩にできないことなんてないんじゃないかと思いました。これは希望というか、どんなものも詩にできるなら、僕たちは詩のなかに住んでいて、一瞬一瞬が詩だとするなら、あらゆる事物も詩になり、それは、生きることを永遠に新鮮にしてしまえるくらいの力がある、そんな衝撃を受けました。
もちろん、(僕を含め)大半の人にはこんな芸当はできないのですが。そういうことを出来てしまえる人たちの詩。だから、読んでいると、Recipe参加者の方々のみている景色、生活の詩をたっぷりと受け取ることが出来ます……いや、それらは僕より大きなかたちをしていて、僕はそれに覆われ、包まれたような、そんな感覚になりました。

いやあ、良かったなあ。これまで、さらさらと読んでいただけだったのが惜しい。夏、秋、冬と楽しみです。

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