ココア共和国 2022年11月号雑記

はじめに

まず、宣伝させてくださいー!木葉揺さん主宰の詩誌『カフェオレ広場』に参加させていただきました。初めて詩誌にお誘いもらったのだけれど、とても楽しかったです。なんか、URLとか貼っつけた方がいいのかな……。木葉揺とか、『カフェオレ広場』とか調べたら、購入できると思うので!とりあえず!買ってください!頑張って散文も書きましたので!参加者みなさんとっても豪華なので!!あとがきで加えてすこしだけ話しますが、そんなの読まなくていいから見てみてね!!!では、自分のものの振り返りからいきますね!

この号では、佳作集Ⅱに選んで頂いてますね。『うだるように暑い夏の日の話』。

ううん。話しにくいなあ……。これは実体験なんですよ。何が起こったのかは、触れませんが。たぶん、読んだら分かりますよね。というか、触れられるなら、詩になんてしないし、できないんですよね。触れられないから何かに昇華しているので。
それにしても、「込める」という字が嫌いなんだなあ、と思いました。人ごとみたいですが。なんとなく、「こめる」にしたいんです。意味なんてないんだけれど。秋吉久美子さんに、なんだかいいねもらってます。うれしい。なんだかいいねは、あんまりこの記事で取り上げられないものが多いのですが。

傑作集Ⅰ

『孤独になる過去』南雲薙
ベースだけを引き連れた語り口調の歌い手を思いました。とにかくいいです。

たらたらと語っているようで、すっごく練られたものなんじゃないかな、と思いました。何の気なしに語ったにしてはちょっと、すごすぎる。無駄がなさすぎる。すべてがぐるぐるとまわっていて、なのに退屈しません。
これ、普通なら、「端っこのあいつ」を主人公にするわけですよ。その方が共感されやすいし、書きやすい。悲壮感を漂わせればいいのだから。けれど、死なれた側の目線から、恨まれた側の目線から書いている。そこが新鮮で、新鮮さに負けず面白いです。この主人公にもとても共感できる。
こういう語り口調の良さ、語り口調でしか出せない良さを最大限読者に感じさせつつ、細かく練っている、それが見事に隠れている。こういうもの、計算されているな、と思ってしまうと途端に冷めてしまいますから。このバランス感覚はどうやって身に着けるんだ。
もちろん、思いつくままに書いたというところもあると思うんです。けれど、それは、書いたうえであって、作者さんの頭の中ではきっちりと整理されていたのではないでしょうか。
例えば、ここが重要です……みたいにいつもなら引用するんですが、できません。全部重要だから。無駄がひとつもない。なのに、読みやすい。ぎちぎちしていない。
技術的な面ばかり話しましたが……これ、ほんとうに良くないですか?僕、こういうのすごく好きです。でも、少なくともココア共和国ではちょっと見たことがないタイプの詩ですね。なんで誰もやろうと思わなかったんだろうか。僕もやりたい。けれど、これくらい計算しなきゃだめなんでしょうね。難しいなあ。

傑作集Ⅱ

『爪』和本果子
すごくいいです。ただただおもしろい。

この詩はあきらかに前半と後半に分かれていますよね。<帰り道 暗い夜道で/誰かに後をつけられている気がする>そう。ここから後半です。
前半はユーモラスなおもしろさ、分かりやすい、喜劇的なおもしろさがある。なかに、けれど、どんどん狂気的な様相を纏いはじめ……そこから、後半へ。
これは、なにをしたかったのかなあ。書いているうちに、書き手自身も未知の場所へ誘われる。そういうことは、真剣に書き続けていると珍しくありません。この詩もきっと、その途を辿ったのでしょう。僕はそういうものに、すごく惹かれます。なぜって、それは、書き手自身も知らない、内面を映し出すから。
邪魔で仕方なかったものが、自分の身を助ける。秘密兵器的なこのひらめき、少年マンガにありそうですごくかっこよくて好きです。なのに、それが爪。でも、その行動が自分を鬼にしてしまうということも主人公は自覚しています。この後どうなったのかは、読者の想像に委ねるのでしょう……このまま何もせず、ただ伸びていくだけの爪に狂っていく生活も(見ている分には)楽しそうですが。どうやってこんな発想に至るんだろうか。不思議です。


『真夜中のショールーム』西川真周
もう、はじまりからワクワクさせられます。はじまりの6行。すごいなあ。星新一の『ノックの音が』のように、テンプレ化させて色んなかたちで展開させられそうです。

これ、読点が使われていないんですよね。句点は、詩なので、使われなくてもおかしくないのだけれど、読点を避けています。
たまたまではない。ちょっとここでは分かりにくいのだけれど、スペースを空けているんですよね。
なんでなんだろう?リズムを崩さないためですかね。作者さんのこだわりなのか。
誰なのか忘れてしまったのですが、文学賞審査員のエッセイで、「優れた小説は、ページを開いた時からその整い方でわかる」と書いていたのをよく覚えていて。僕はその感覚、あまりよく分からないのだけれど、小説にかぎった話ではきっとなくて、詩全体を眺めたとき、その姿の美しさというのもきっとあるのだと思います。作者さんは、そのことを分かっているのだろうか。
あと気になったのは、最後の部分。ジェイ・ギャツビーのくだりです。『グレート・ギャツビー』、僕はすごく好きな小説なのだけれど、読んだことのある人なら違和感を抱いたのではないでしょうか?僕も本棚から引っ張り出してしまいました。
ラストシーンですかね。あの、解釈の分かれている、赤い光。まあ、ここはメタファーなので、そんなに気にしなくていいのかな。
この、作者さん独特の、あるはずがないのに否定しきれない、世界の端に、本当にあるんじゃないか?と思わせられる、そんな世界展開がすごく好きです。で、すごいのが、詩だけで完結しているというか、これ以上書いてしまっても――面白いのだろうけれど――これを超えられないと思うんですよね。絵で描かれてしまっても読者の想像力が狭くなってしまう。この分量が、世界観にマッチしているんです。詩のための、詩的な営み。素早く、でも強いパンチ。きっと作者さんのスタイルと合っているのでしょう。こんなのを毎月作れてしまうのが本当にすごい。


『ケーキを一切れ』風巻けんず
この作者さん、先月も取り上げさせて頂きましたよね。いや、ほんと、すごいな。これ。すっごく好きです。ココア共和国、色々みてきましたが、先月までお名前見てなかったと思います。これからも書き続けてほしい……。

1連1連の衝撃が半端じゃないです。これ、作者さん、詩をよく読んできた人なのかなあ。すごく慣れている感じがするというか、詩独特の行間、言葉遣いのような気がしました。僕は全然読んでこなかったので……羨ましいです。身につけたい。
<昔の夢は今の弊害だなんて言わないで/引き金を引けば楽になれると知ってた/紐さえあればそっちに行けるんでしょ/制服に着飾られた大人達が/無個性な僕らを嘲笑った>ここ!若々しいです。なのに、臭くない。青臭さに僕は敏感で、瞬時に拒否反応が出てしまうのだけれど、この詩はそれを感じなかった。語感、リズム、テンポ、どれも教科書的(というと悪いように聞こえてしまうかもしれないのですが)で正しく、とても詩らしい。たぶん、この正攻法でないと、詩はどうしても臭くなってしまうのでしょう。その定型のなかに、ワードチョイスをするのは作者だけなので。
ココア共和国は、なんというか、とても良い意味で初めて詩を書いた人(僕もそうなのですが)を大事にしてくれる詩誌なので、だからこそオリジナリティが散りばめられているんですよね。だから、この詩の作者さんのように、ストレートに響く人ってあまりいないんです。しかも面白い。とても勉強になります。変な言い方だけれど、とても大きくて古くからある詩誌でも通用すると思う。けど、この良さが知れ渡るのももどかしいというか……2つめにして、痛いファンみたいな心情になってしまいました。


『ぼくの生き方』塔いさな
いやあ、すごいなあ。こういう歴史に残りそうな詩を書けてしまう人は、何なんだろう。

<雨が降れば傘は楽器に>からの1連。ここに作者さんの魅力が詰まっています。書いていて気持ちいいだろうなあ、と思う。読んでいてすごく心地いいです。それで、感情が浮いていない、言葉が地に着いている。語感が良いだけで並べているのではありません。
死にたがりのまま、幸せにならないまま、世界を愛することができる。それは、この主人公が、花鳥風月を知っているからなのでしょう。
花鳥風月。僕もとても好きなのですが、それを詩に描くのがとても難しい。こんな描き方もあるんですね。生き方を述べてゆきながら、読んでいて、きちんとそれらの美しさが伝わります。主人公「ぼく」の美しさも。お手本のような詩です。

傑作集Ⅲ

『新月の形』三舟いと
「月が綺麗ですね」はあまりに有名で、それをオマージュしたものが来ると身構えるのですが、この詩はとても上手く使っています。

めちゃくちゃお洒落です。けれど、独りよがりじゃない。きちんと読者を意識している。から、すごくかっこいい。
あまり文章を読まない人にもそうなのですが、文章を読むのが好きな人もたのしめるというか、1行1行に意味が隠されているように思えて、こういう記事を書いている身からすると、少し戸惑ってしまいます。全部考察するわけにもいかないし……。
例えば、アパートを西向きにしたのも。陽も月も西に沈みます。だから、主人公は、昇る瞬間を見られないわけです。見られるかもしれないけれど、沈む瞬間の方が見えやすいというか、はっきりと見える。
とか、この引用では伝わりづらいのだけれど、節ごとに、毎度、1マス空けているんです。そして、句点を使っている。ほかの行では使わないのに。これはぜひ、本誌を見てほしい。見た目の美しさがたまらないです。こういった、文章連の見た目を美しいと思ったりすること、あまりないのですが、すごく綺麗です。
いま気づいたのですが、タイトル。『新月の形』なんですね。主人公の健気さというか、切なさというか……。きっとあるし、新月だって美しいですよね。

佳作集Ⅰ

『エピソードトーク〜話の肉付け〜』京のふじ
すごい!9月だったかな、8月だったかな、作者さんの名前をTwitterで調べてしまいました。落語家さんなんですね。

肉と骨を多用し、特に骨の使い方がすごいです。<話をもう一度外に出していいか見極める 無駄骨を折りたくない>これ。苦労して出した感じがなくて、さっと無駄骨を出している印象がします。それがすごい。
なんというか、前回取り上げさせて頂いたときもそうなのですが、すごく丁寧なんですよね。ひとつひとつ、ゆっくりと言葉を並べています。それがとても安心するし、なのに読んでいて退屈しません。そういう詩って、きれぎれには思い浮かぶのだけれど、始め方が難しい。そこに<そういえばこんなことがあったなと、頭の中の久しく踏み入ってなかった場所に風化した白骨があった>ですよ。文学的です。でもかっこつけてないし、この表現が最後まで生かされていて無駄骨になっていません(ちょっとちがいますね。すみません)。
<肉付けした話は、皆が誰かに語りたくなるような話になってほしい/話だけが一人歩きするような/骨と肉をまとった己の足で、沢山の人のもとへ行っておくれ>なによりこの最後ですよね。これはエピソードトークだけでなく、詩でも小説でも落語でも同じだと思うんです。あらゆる作品に通ずる想い。これを、やわらかく表現できるのはちょっとすごい。この1節、僕、ずっと忘れないだろうと思います。


『あなたは今、誰を想うの』オリエンタル納言
身に覚えがある人はみんな、心がえぐられるのではないでしょうか。そうかあ。全部ばれてるのかもしれませんね。村上春樹の『風の歌を聴け』の有名な「しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。」という1節を思い出しました。

<手を繋いでも/抱きしめられても/彼の想いはきっと違う/私という女は、彼にとってはただの入れ物にすぎない/だから、抱きしめられてもキスをされても寂しさで溢れるだけだ>これすごいです。入れ物なんて言葉を使ってしまえる。僕にはちょっとこの感覚が分かりきれないというか、そういう気持ちになったことがないのですが、主人公は、自分が入れ物なのだと、彼の想いが自分に向いていないのだということを確信しています。
けれど、何を考えているのかは見当もつかないんですね。これは、かなり辛いし苦しいだろうなと思う。対処のしようがないから。
<「好き?」と聞いてみる/「好きだよ」と吐かれた言葉に嘘はなかった/その行為が好きだという意味だけれど/それでいい/その時だけは私に愛が向いているのだから>もう、胸が痛い。<背を向けた体に寄りかかりながら「好きだよ」と伝えた/「俺もだよ」という言葉は乾ききっている>自然に彼は背を向けています。さらりとここが描写される。この乾ききった言葉に、主人公はどれだけ心を痛めているのだろう……。
<私は、いつでもあなたを想うのに/あなたは、誰を想っているの>ここで終わりです。これ、主人公が彼のことを冷めていないところに問題の根深さがありますよね。彼に振り向いてほしい。けれど彼のことが分からなくて、言葉に出すこともできない。言葉にすると、別れを切り出されるかもしれないから。書かれているのは日常の切れ端、ワンシーンでしかないのに、複雑な思考を混じえることで紙面いっぱいに詩が広がっています。

佳作集Ⅱ

『さようなら、犬』金森さかな
この作者さんは、これまで2回かな、取り上げさせて頂いていて。すっごく難しいんだけど、かっこよくて。ファンなんです。いや、もうタイトルからすごく好きです。すっごくいいタイトル。けど、ちょっとこれまでとは難しさが段違いです。

ううん。分かりません。というか、おそらく、分からせようとしていないのではないかな。分かってもらわなくていいんです。きっと。僕みたいな、こういうのが大好きな奴は喜んで食べて勝手に解釈するんですが。
とは言っても、あまりに断片的なので難しい。
とにかく主人公は疲れているんですよね。苛立っているようにさえ感じる。<ぼくは・あたしは・忘れたい・だいたいのこと>この、「・」が特徴的です。だいたいのことを忘れてしまいたい。
<このままどんどん動けなくなって/このままどんどんバラけていって/あの山が燃えることだけ考えて>ここ。さっきの引用と繋がるんですが、ここが難しいです(全部難しいのだけれど)。<食卓に薔薇なんか置くな>と1節目に書いているんですよね。「バラける」をカタカナにしているのは何か理由があるのかなあ。となると、「あの山」もどこかに重ねているはずで。ベレー帽……クリームチーズ……ううん。無理やりすぎるかなあ。気持ちよくは繋げられない。
<カナリアという名前の色鉛筆>からはもう、単語の羅列ですね。ちょっと敵わない。カナリアという会社が出している色鉛筆は本当にあるみたいで、じゃあ、犬みたいなやつも見あたったものなのかなあ。それとも、インク切れのぼくの会社のロゴマークなのかな。
僕がこの詩に惹かれたのは、熱い感情が伝わったからです。何もかもが嫌になるという、普遍的な感情。なのに、全然分からない、分からせようとしていなくて。どうして熱が伝わったのか、答えを出したかったのですが、難しかったです。すみません。また読み返してみます。


『嘘泣き』長谷川仁音
わぁー。これはいいなあ。すっごくいいです。こういったストレートなもの、考察しにくいのであまり取り上げないのですが、すっごくいいので語りたくなってしまいました。

すっごく分かります……というのはなんだか不粋というか、美しさを損ねてしまいそうで言いたくないのだけれど。共感されにくそうなのに、実はひっそりと共感されるんじゃないかな、これ。
死ぬということ。僕は25歳なのですが、いまもあまり分かっていません。去年、死に出会ったのだけれど、やはり涙は出なかった。死ぬってどういうことなのだろうか。
幼いとき、こういうことってよくあります。伯母さんも悪気があるわけじゃないんですよね。主人公は、もう自分でも自分がよく分からないんです。きっと。そしてだんだん嘘泣きになってしまう。いつ泣きやんだらいいのか分からなくなりますよね。
こういうことって、小説では書けないですよね、きっと。詩でしか書けないんじゃないか。伝わりづらい、少しでも間違えるとこの子がちょっとおかしい子だと思われてしまいますから、伝わりづらいなかを突っ切った後には、共感や感動がありますから。最後、この子はどんな表情をしていたのだろう。どんな気持ちを抱えて翌日を迎えるのだろう。この嘘泣きをしている顔は、僕のなかにはっきりと見えていて。でもこの顔って、たぶん、誰が読んでも似た顔になりますよね。それがすごい。相当な技術がないと為せないと思うんです。端的で綺麗な詩です。

佳作集Ⅲ

『センセイの知らない場所』南田偵一
笑ってしまいました。かわいらしいというかなんというか。やっぱりかわいらしいのは面白いですね。けれど、詩情もある。

母ちゃんというのがいいです。父親でも祖母でもなくて、母親がぴったりです。また、終わり方もとてもいい。書いていて楽しいから、これ以上続けたくなるんですよ。でも、さらりと終わらせる。ここで終わらせるのがきっとベストなのでしょう。勇気があります。
これ、作者さん、東京の方なんですね。僕は大阪出身なので、関西弁で再生されてしまいました。ちょっと地元じゃないと真似できないような完璧な方言ですよね。大阪のそれなのかというと、違うような気もしなくもない。世代なのかなあ。関西は関西で間違いないような気もするんですが。
こういう可愛らしい詩は、やっぱり方言が似合いますよね。標準語では、かなり趣が変わってくる。
僕はずっと大阪に住んでいるし、こういう言葉づかいを作品にも生かせるんですよ。けれど、あまりそれをしたくなくて。方言ってすごく強いじゃないですか。だから、たとえば東京に生まれ育った人は、絶対に使えない。努力とかそういうもので身につくものだけど、程度も限られている。反則技みたいな気がして、それに頼ってしまいそうで。怖くて使ってないんです。
でも、この詩は、方言がなくても面白いし、詩なんです。そこがすごいなと思いました。軸として方言があるのではなく、作品がそれに負けていない。方言はあくまで付属品なんですよね。僕もこんなにしっかりとした軸というか、詩情のあるものを書けるなら関西弁を使いたい。

おわりに

この雑記、じつは公開されるよりずっと前に完成しているんですよ。たとえばこの記事でいうと、2022年の年末に完成しています。なぜすぐ公開しないのかというと、引用してしまってますから。なんというか、発売すぐに出してしまうと、なんだか後ろめたくて。あと、まあ、校正が不安だというところもあるし、もう一度読み直したりするんです。
だから「おわりに」も書いてしまっていたんですが……全部消しました。宣伝があるから!4か月前の僕は、宣伝することがあるなんて想像もしていなかった。
まえがきでも触れましたが、木葉揺さん主宰の詩誌『カフェオレ広場』に参加させていただきました。さっき読み終わったのだけれど、すっごく良かったなあ。たぶん、ことぶきとして誰かの本に名前を出してもらって、創作をするのは最初で最後なのだけれど、とっても良い思い出になりました。
なんか、語ることあんまりないな……それこそネタバレになっちゃうというか。カフェオレ広場本記やりたいなあ。木葉さんに許可もらわなきゃ。とっても楽しかったです。色々ご迷惑おかけしましたが。
ココア共和国雑記をはじめて、もう1年以上経ってるんですね。わりと飽きっぽい僕からすると、(ペース配分の問題はあれど)ほぼ月イチで出せているのはすごいなあ。えらい。ことぶき。これをやってなければ関わりあいのなかっただろうなあという人もたくさんいて、それこそ木葉さんとも関係が無かったかもしれないし。しかも、非難の声がひとつもないんですよね。とてもありがたいです。これからもぼちぼち続けていきたい。力になっている実感もあるし。

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