ココア共和国2023年4月号雑記

招待詩

『あたらしい空気で部屋を満たす』菅沼きゅうり
前号の『夜は何が食いたい?』でもそうでしたが、作者さんのうんこの使い方に惹かれます。
<彼女のほうはご機嫌だよと言っているけど/一日じゅう長い髪の毛をゆびで梳きながら/映画を見たりだらだら、病んだねことおしゃべりしているのだ。ご機嫌なわけないな。/うんこもしてないかもしれない。/もうそろそろ彼女を訪ねなくては。>この、うんこの箇所。余分なんですよね。いや、補足というか、読者のイメージを鮮明にさせるのに効果的なのですが、こういうことを詩にしたい、とたくさんの人に共通のテーマを与えてみたとき、他の部分はともかく、ここは書かない人が多いと思う。彼女のだらしなさを描くのに、うんこを用いるのは作者さん独特でしょう。
そして、決して必要と思えないここがしかし、とても印象に残りました。最後の彼女の台詞も相まって、とても纏まった詩だと思いました。文学的で、すごく好きです。

傑作集Ⅰ

『お通夜』まつりぺきん
すっごくいいです。とてもよく分かります。

笑いは緊張と緩和だと定義されて久しいですが、そういう意味で、こういった場はうってつけなんですよ。それに、友だちのお父さんですから、正直、当事者意識も特にない。
<しばらくして公園で/友だちと顔を合わせた><さみしいか/と尋ねると/友だちは><そうでもないよ><と言って逆上がりをした>この引用じゃ伝わらない……。実際に読んでほしい。この段落の分け方。これは詩にしかできない行間のつかみですよね。真に迫ってきます。こんなこと出来ない。羨ましいです。子どもは残酷だとか言いたいのではなく、周りの大人がつまらないと言いたいのでもなく、人間はそういうものなのだ、と僕は思いました。なによりここで逆上がりさせられるのがすごいです。


『青河馬塗装工場見学日記』西川真周
よく分かりません。何がいいたいのか、描きたいのか。でもおそらくそれが合っていて、作者さんはただこれを書きたかったのでしょう。

<なぜ河馬を青く塗るのかと聞いたところ/それは雇われ工場長のヒライさんにもよくわかっていないそうです>これは、作者さんの核です。大きなテーマです。他作品から引用しますね。
『バミューダ海域ウォーターサーバー』<世の中はフェアじゃない/けれどもこれはきっと/世の中をうまく回すための帳尻合わせなのだろう>
『真夜中のショールーム』<コミッティーから開示されている情報はそれだけだ/それ以上のことを知る必要はない/私はあくまで一介の羊飼いに過ぎない>
ほかにもありますが、きりがないので止めますね。作者さんの詩の底なしの魅力は、ここにあるのではないかと思うんです。つまり、オカルトです。
科学と宗教というのは、真逆のものとして頻繁に対比されます。吉本隆明は『悪人正機』で、その狭間によって文学は成立するということを言っていました。ここで宗教は広義であって、神を軸とするもの、人の計り知れないものという意味であり、オカルトとも同列に結びつけられます。
作者さんの舞台設定はいつも科学的です。車の並ぶショールーム、飛行機、バー、工場。でありながら、当人たちは何をしているのか分からない。何が起こっているのか分からない。ここにオカルト(神)を出現させる。こう言うと仕組みが分かれば誰にでも出来そうなものですが、下敷きはともかく、「中国の畜産河馬を青色のペンキで塗ってエジプトに出荷する」なんて、そう容易く思いつきません。自分で書き起こしながら意味が分からない。その絶妙なオカルト加減もさることながら、地盤もしっかりしている。だから作者さんの詩は、いつも神秘的です。舞台はとても狭く、限定的なのですが、登場人物たちがそれを知っている。ここはとても狭いということを。だから読者も登場人物と一緒に青河馬に驚き、世界の広さに驚く。エアーズロックを眺めているときのような心持ちになる。自分の小ささを知らされ、けれど不思議と不快にならない。それは作者さんの胆力というか、心底それを信じ、核としているからでしょう。
ああ、絵画のシーンまで語るには語り過ぎてしまいました。まだまだたくさんあったのですが。この人だけでひと記事作りたいなあ。からくりが分かってしまった。

傑作集Ⅱ

『流れゆく』桃ヶ山心一朗
すごく好みです。そして、とても難しい。世界観が固まっていてでも開かれていて、とてもやわらかい。

チョーク(学校)、ソフトクリーム(少女)、新宿(社会)。この3つが混ざりあっていて、『流れてゆく』。詩の中にタイトルは使われません。一見すると共通項のない3つで、ここでも直接的には関わりません。けれど、混ざる。
<彼女は白く染まった。>から続くのは<白チョークの落書きがびっちり>で、<チョークにこんな深紅あったのか。>から<少女は血を流したことがない。>に繋がります。白く染まったのもソフトクリームが垂れたからで、チョークとソフトクリームはここで、少女と学校を結ぶ役割でしょう。
では、新宿(社会)です。<新宿で足音を聞いたことがない。/無数にあるはずの足音は/どこで鳴ってるんだろう。><「「働かなくてはならない」」/多い人間って多い/細っていく人間多い>ここの2つです(断るまでもないかもしれませんが、これ、作者さんに確認したわけでもなく、僕が勝手に名づけてくっつけています)。ここがちょっと、一見では結びつかないというか、浮いている。
ううん、答えはきっとなくて、自由に読めるものなのでしょうが、やはり、この2節があるのとないのではかなり詩の風合いが違って、限定的なものになったと思うんですよね。それが、これを足すことによって、静かな詩に動きを加えています。だってこの詩、少女しか出てきません。新宿(社会)としたのは、「鎌と槌」に理由があって。「農民と労働者の団結を表す」マークらしいです。僕も調べて初めて知ったし、なんだか難しくて簡単に言及出来ないのだけれど、やはりこれは「「働かなくてはならない」」に繋がるのでしょう。
ここからは拡大解釈、ここまでを下敷きに、自由に勝手に妄想していきますね。
「鎌と槌」を書いたのは、この少女なんです。なぜなら、失恋ソングの歌詞が白く光っているから。この少女に落ちてきたソフトクリームとチョーク以外に白は言及されていません。少女は血を流したことがない。それは日傘を差しているからです。だから赤くも白くもならない。「「働かなくてはならない」」が2重なのは、他人に言われたのと、そして少女自身が反芻しているからでしょう。いずれ働かなくてはならない。そんなこと分かっている。でも学校にも行けていない。だからチョークの深紅に驚いています。血を流したことがなく、傘を離せない少女は、ソフトクリームを浴びても無言で横たわります……とすれば、『流れてゆく』は、とても共感できる詩です。僕はいまも、この少女のままなのかもしれない。流れているだけです。
好きに読んでしまいました。おそらく作者さんの思惑通りではないと思います。すみません。でもとても楽しかった。<多い人間って多い>や<チョークにこんな深紅あったのか。>のような、独特の言葉選びに引きこまれました。

傑作集Ⅲ

『誕生』高山京子
これは、何度も何度も読みました。すごくいい。すごくいいのだけれど、これに何を語ろうとも野暮になってしまうような気がして。いや、そんなことを言えばこの記事自体が野暮なのですが、ぱっと読んで「いいなぁ」と、読者と作者さんのみの世界に浸るような詩なので、取り上げようか迷ったのですが、やはり書きたい。

これね!なにがすごいって、はじまりなんです!<泥でできた/子どもを生みました>なぜだろう。すんなり受け入れてしまいます。想像できてしまう。それから砂でできた子どもを生んだ語り手は、<私には子どもが授からない/すべては涙になりました/涙とは私のことです>と後半に続きます。
この後半が、いきなり1行目でも成立するんです。前半は、まるきりなくても成立する。けど、この前半があり、そしてそれが泥であり、砂であり、子どもであることによって、最後<水に溶け出し/やがてその身は/流れ去ってしまうでしょう/もはやそこにあるのは/ただ清冽な泉だけで/まさかひとりの人間が/ここに溶けているなどとは/誰も思うことはないでしょう>ここが引き立ちます。砂や泥に磨かれなければ、清冽な水は、泉はないのですから。それにしても、ここのインパクトはすごい。語り手の、涙の行く末の驚きもさることながら、すごく静かで落ち着いた口調なのに、とんでもない熱がこもっています。センシティブなものを詩にしながら、共感を求めていないように感じました。媚びていません。これ、言うのは簡単ですが、ここまで燦然とした輝きを放つにはとてつもない胆力が才能が必要であり、研ぎ澄まされた言葉選びも相まって、この読後感、この美しい光景が生まれているのだと思います。そしてこれは奇跡ではなく、何度でも生み出せるような風格というか落ち着きも感じる。何度も読んでしまう、何度読んでも独特の快感を抱く詩です。


『シルバーズ  ドリーム』三刀月ユキ
詩です。詩でありながら、短編小説のような趣があります。でも、鮮明な詩性が見えました。

読めば読むほど引きこまれます。詩のかたまりみたいだ。
この詩は前後半に分けられて、後半は<そうだ、あなたに一番のごちそうをしてあげると言った>からです。いや、もう、この1行もすごくないですか。こんなに素敵な台詞はない。しかも、それが吉野家です。
「こういうのでいいんだよ」的な、チープに登場人物は惹かれているわけではありません。だって、<これで全額、明日からどうして生きていこうかな、でもいいの別に>なんです。ああ、この1行もまたすごくいい。これ、前半で丁寧に描写されているので、この台詞がなくても読者は、この人たちにとって吉野家がどれだけの価値あるものなのか分かっているんです。そこにとどめを刺してくる。あぁ、そうだよなあ、と。そして最後。この終わり方というか、幕の閉じ方、素晴らしい人の、素晴らしい生を見せてもらった気がします。すっごくいい詩です。たまらない。

佳作集Ⅰ

『祖父を乗せて』三夢男
いや、すっごくいいです。すごい。写真で撮ったような描写力の文章だ、と思いました。そんなこと、初めて思いました。

5行のみの詩なので、引用しないでおきますね。もう、すごいしか言えません。何でしょう、これ、きっと本当に作者さんが経験したことなのではないでしょうか。無駄がないと言えば嘘になります。最初の2行もいらないんですよ。最後の1行もいらない。いや、必要なんです。絶対必要なんですが、伝えたいことだけなら、2行でいいんです。でも、それはしていない。作者さんのバランスなのでしょう。これが語りすぎない、語らなさすぎない、ちょうどいいのでしょう。この記事を始めて長いですが、声を出してひっくり返りそうになるくらい驚きました。こんなすごい詩があるのか。詩ってもう、これだけでいいんじゃないか。
記事の特性上、短いものはあまり取り上げられないのですが、これはとっても良かったので。もしこれを読んでいる方がいれば、ぜひ読んでほしいです。いやぁ、たまげた。


『秋亜綺羅さんの一年間』小高功太
小高さん。お名前は知っていたし、毎月どんなだろう?と楽しみにしている数少ない方なのですが、感想を書きにくい性質の方で(だから悪いとかいうわけではない)、取り上げたことがなかったと思います。でもこれは、痺れました。

あー。難しい。まとまらないまま書きますね。とにかく、かっこいいなと思ったんです。こんなことで、高名な作者さんが出禁になんかなるわけないんです。そんなことは誰でも分かってる。でも、それにしたって、このココア共和国という詩誌に提出する詩で、秋亜綺羅さんをこんな風に描くのはやはり、そんじょそこらの人には出来ないと思うんです。いや、作者さんしか出来ないかもしれない。
「秋亜綺羅は、春は春亜綺羅なんじゃないか?」と思いつく。思いつきますよ。「春亜綺羅は全然詩が書けないだろうな」思いつきます。みんな思いつくんです。でも書かない。書けない。どうしてかって、これを面白くさせる自信がないから。でもこの詩は僕、何度も読み、声を出して笑いました。こんな風に秋亜綺羅さんを描くのは作者さんだけですが、また、こんなことをこんなに面白く出来るのも作者さんだけだと思います。むかし読んだ作者さんのエッセイを読み直しました。とても繊細な人なんだな、と。でも言語の壁を壊そうとしているようにも見えます。あまり取り上げられないですが、好きな詩人のひとりです。

佳作集Ⅱ

『死を泳ぐ』加藤雄三
すっごく好きです。おこがましいというか、とても出来ないのだけれど、僕の書いてみたい詩だと思いました。

<本当のところ金魚は/自分の死に気がつかないのです/永遠の命が与えられていると/この瞬間も勘違いをしているのでしょう>もうこの導入から魅力的で。さらっと書いていますが、金魚を、死を泳いでいることを詩にしようと思ったとき、書き出しってものすごく難しいんですよ。気障になってもいけない、説明的でもいけない。この一節は静かで、ゆっくりと始まっていながら力強く美しい。引きこまれます。
<死を畏れないで生きてきた金魚><ただぼんやりと毎日を生きていました><死のことなんて考えたこともなかったのに>語り手は娘に愛情を注がれることのなかった金魚を憐れみながら、どこか蔑んでいる――とは言えないまでも、敬しているようには見えません。けれど、<すべての生き物は海から生まれたのだから>と、水槽に塩を入れてやったりする。ここがすごくいい、矛盾とも好奇心とも少し違うような、人って、こういうことをするんですよね。とても素敵なのだけれど、大抵、それは語られません。本筋に不要だし、読者が混乱するから。けれどこの詩は死をメインに扱っているので、うってつけなんです。持って生まれた人間の業のようなもの。長いことココア共和国を読んできて、初めて目にしたかもしれません。とても嬉しい。
そして最後。この終わり方もかっこいいというか、何度も不粋だけれど、理想です。こういう詩的な、あまりに詩的なテーマは書き始めるのがとても難しく、またうまく書けたとしても、展開、終わらせ方がまたものすごく難しいんです。どれくらい時間がかかっただろう。さらりと書けたのでしょうか。完成された、それでいて遊び心もあり、のびのびとした思考のゆらめきもあり、本当に理想の詩です。

佳作集Ⅲ

『ささやかな点滅』そらまめ
前半と後半ではっきり分けれられているのですが、後半の美しさに聲をあげそうになりました。

<子どもが眠ったあと/ホタルを逃がすのは親の役目/気づいたときは/とっくに大人になっていた>ここが前半と後半の区切りです。この節もとても好きで。大人の、親の役割を語るものって色々ありますが、こういうことはあまり語られないですよね。良いとも言えないけれど糾弾できるほど悪いことでもない、ホタルのことを思えば良いことをしているし。こそっと入れられているこの節が、何とも平和で好きです。
そして最後。<記憶はいつも/水底からわき上がる気泡に似て/ゆらりと浮き上がっては/匂いのような微かな痛みを誘う/ホタルたちがいた川は/膨れ上がった海が力まかせに/押し流してしまったのだ>全部引用してしまった。いやぁ、この美しさ。僕なんかがなにを言っても蛇足になりそうです。書いていてとても気持ちよかったんじゃないかな。書き写しても気持ちいいし、なにより読んでいて、存分に美しさ、放たれてゆく文字群に浸れました。とても抽象的で掴みにくい、伝えにくいはずなのにぞわぞわと肌が起こされる感覚になりました。これ、横書きだと魅力が減る気がするなあ。ぜひ、ココア共和国本書で読んでほしいです。

おわりに

招待詩を読むことで『はじめに』は無事やっつけられましたが、ここはどうしても避けられないですね……。何を書いて欲しいか募集しようとも思ってみるのですが、そもそも誰も読んでいないので、誰も答えてくれないんです。断言。
ええと、あれですね。佐々木貴子さんの四コマ詩、『超ハレルヤ』がすごかったですね。ちょっと、めちゃくちゃ良かったです。すごさを見せつけられました。
あとは何だろうか。いま添削が終わったところなのですが、西川真周さんの詩について熱く語りすぎだなあ。これは当人の気持ちになると怖いですよ。他の詩までひっぱられて。すみません。でもそれだけ嬉しかったんです。今もまだ嬉しいです。雑記やってて良かったなと思った瞬間でした。

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