ココア共和国2023年5月号全記

はじめに

招待詩の欄に変えて、さらっと廃止させていた『はじめに』ですが、今回だけ入れさせてください!「雑記」じゃなく、「全記」に変えた理由を……誰も気づいてないかもしれませんが。
このシリーズ、もう1年以上やってるんですが、徐々に取り上げられる人が少なくなっているなあ、と思ったんです。初回は40篇ほど取り上げさせて頂いたのですが、最近は10篇くらいになってしまっていて。
あともうひとつ、傑作集独特の良さがいまいち掴めていない。いや、感覚的には分かる気がするのだけれど、言語化出来ないでいるんです(こんなに長くやっているのに!)。もっとはっきり掴まないと、傑作を書けないと。自分の好みの、扱いやすい詩ばかり扱っていると、このまま成長しないと思って。佳作集にも、どう考えてもめちゃくちゃいいものが無数にあるのは痛いほど分かっているのだけれど、選考の方々の傑作の基準、お眼鏡にかなうものを身体に染みこませたいと思い、傑作集に絞り、全て感想を書かせて頂きたいと思います。「全記じゃないじゃないか!」と……僕もそう思うのですが。本になっているココア共和国としては全部ということで。だから招待詩も読みます。あとなんだか名前がかっこよくて。全記。すみません。へへ。
記事に対して異議や意見があったら、こちらのコメント欄かTwitterか、何でも構わないのでもらえると嬉しいです。ああ、こわいなあ。書くの面倒臭いかなあ。体調崩しそうだなあ。でも、思いついてしまったので、やはりやりたい。やってみます!

招待詩

『(サラキア飛んでくる……)』野村喜和夫
検索すると、サラキアは競走馬らしいです。<サラキア飛んでくる、サラキア飛んでくる、><第四コーナーを回り、/緑のターフの上を、ちがう、/ちがう、割れかけた鶏卵のなかの、/混沌タルコト鶏ノ子ノ如シ/から、飛んでくる、/あるいはきみの履き古したサンダルから、>このはじまり。詩で、文字でこんなにスピードを出せるのかと驚きました。

早口でまくし立てるあの感じ。そして(僕もそうなのですが)多くの人が詳しくないであろう競馬について、サラキアについて語る詩で、<きみの履き古したサンダル>に駆け寄ってくる、読者を放らないバランス感覚。かといって媚びている感じもなく、ある種の読者は颯爽と置いて行き、あくまで自らの輝きを離しません。


『半端なくらし』藤野 栞
<スヌーズ機能で目覚める朝は消化不良/ 持ち前の寝相の悪さでつぶれた枕>この、はじまり方の素敵さ。目線ですよね。主人公の目線をそのまま追うことができます。いいにおいのするアニメみたいだ。

<躁状態と黒歴史はまぜるな危険/あやして我慢させてきた童心が反抗して/羞恥心を見失えば ようやく成長期のはじまり>ここが特に好きです。四コマ詩みたいなテンポでありながら、誰しも心の奥に仕舞っているどろどろをあっさりと分解している。僕だったら、ものすごく時間をかけないとこんなにいいリズムで描けません。この時期の少年少女独特のぐちゃぐちゃした思考をあっさりとした詩にしています。すごすぎる。


『どちらですか』真土もく
これはめちゃくちゃ好きです。真土もくさん、今まで取り上げさせて頂いたことはなかったのですが、とても好きな詩人のひとりです。

コントみたいな入り方、『防人の詩』のように哲学をまくし立てます。で、僕が作者さんを好きなのは、哲学だけを並べるんじゃないんですよ。<どちらですか。夜に眺めるのは歩行者用信号機とコンビニエンスストアの看板どちらですか。月と星ですか。まさか本当に見ているんですか。そうでしたか。ぼくのおすすめは三丁目の信号です。音楽もいいですから。>
もうこんなことをされてしまうと、詩を解体しているのなんて馬鹿馬鹿しくなってしまいます。敵いっこないもん。言葉選び題材選びを外さない、これは才能、センスでしょう。もちろん作者さんご自身の努力もあるのでしょうが。
それと、憑依していますよね。この最後のまくし立て方。鳥肌が立ちました。すごく好きです。これからも好きです。


『酒を買う夢を見た』滝本政博
これ、作中では言及されませんが、夢なんですよね。他人の夢ほど面白いものはないと思っている僕ですから、よだれが出そうになるのを抑えて何度も読みました。

<長く待ち わたしの番になると/酒は鎖の付いた布袋に入れられ手渡される/店員たちが一斉に笑う/これはまともな酒なのだろうか><気を取り直して歩き出す>ここがすっごいです。夢独特のリズムを正確に詩にしている。臭いもそのままです。


『将棋を体験に行ってよかったね』能美政通
えーと、これはですね、すみません、まったく分からないです。で、そういう詩や文章を読むの、僕はとても好きなんです。

どこを切り取ってもいいのだけれど、特に好きなのは最後です。<今年の目標/好きな言葉/行ってみたいところ/生きる/土に還る/宇宙以前/倦怠のちの皿/二枚減る皿/西脇も皿/誕生日/三歳/風>ね。分かんないでしょう。詩に何かを見出そうとする僕みたいな野暮な奴はお手上げです。で、それが狙いのひとつでもあるのかもしれないな、と。Twitterで作者さんのスペースを聞いたことがあるのですが、「その場で目についたものをどんどん描写したりしている」と仰っていました(かなり自信のある記憶なのですが、違っていたらすみません)。でも、例えば<倦怠のちの皿>なんて、それだけじゃ説明できないんですよ。作者さんの言葉選び、発想なしにこれは出てこないでしょう。そしてそれが、言葉の端々が、ぴんと張った糸を崩しません。
僕も憧れていました。シュール、不条理。けれど、どこかで何かが結びついてしまうんですね。それは意図的でないにせよ、センスの無さなのか、自信の無さからなのか分かりませんが、どうしたってうまくいかない。なんとか書けたと思っても、しばらく経って読み返すと、見るに耐えないものができあがっているんです。これはやっぱり、どう読んだってすごいです。ともすれば、作者さんの中には一貫したものがこの詩にあるのかもしれませんが。すみません。とても敵いません。

傑作集Ⅰ

『マノンのように』高山京子
これはね、これだけ長い間詩を読んで、書いてきて、最近やっと気づいた理想を体現しています。ワンシーンを限りなく展開する、ということ。

この「マノン」、マノン・レスコーだと最後に教えてくれます。実在する小説みたいですね。僕は未読なのですが、どうやらこの詩の描写しているのはラストシーンみたいです(ちがっていたらすみません)。
でね!悩んでいたんです(個人的な話ですみません)。詩になり得るほどの力がある、そうさせたいワンシーンがある。けれどそのワンシーンを展開したとして、それは(短さ以外に)その素になっているものを超えることが出来ないのではないか?と。その答えを出してくれたのがこの詩の3節目。1.2節目で肉々しい、臭いまでしてくるリアリティのある描写をしておいて、3節目、この詩の最後は語り手の思想……といえばいいのか、この男と女の描写ではなくなります。語りになります。読んでもらった方がはやいな。<マノンのように/女はやがてどこかに埋められ/男はその顔に唇を寄せ/そのまま息絶えるだろう/けれどもその物語は/ただ喧騒にかき消されるだけのことだろう>
ああ、全部引用してしまいそうなのでここで止めます。何だ、この肉迫は。言いたいことは伝わったかな。語り手がただ語るのではなく、ただ描写するだけでもなく、訴えかけてきます。そうなんだよな、これは詩にしか出来ません。少なくとも、この語気の強さは他に出せない。もちろん作者さんの力でもあるのですが。色々と考えさせられ、やはり自分には途方もない壁のように感じています。というか、1.2節目もまた、とんでもないんです……長くなっちゃうな。すみません。ぜひぜひ読んでほしい。こんなに個人的な悩みを軽々しく超えた光を見せられたら、また好きになっちゃうよ。僕の先生です、と胸を張って言いたい。そんなひとが毎月詩を出してくれて、読ませてもらえて嬉しいです。


『Broken Textbook』ツチヤタカユキ
ツチヤタカユキさんは最初の雑記で取り上げさせてもらったと思います。元々ファンで、その詩は書かれていた小説(『笑いのカイブツ』。すっごくいいんです。映画化もするんです来年。絶対観に行きます)とリンクしていたので扱いやすかったのですが、それ以降は1度も取り上げられなかったです。読むには好きなのですが、語るとなると難しい。そういう方がココアにはたくさんいて、作者さんもそのうちのひとりです。

で、この詩もまた難しい。守備範囲にない詩で、それは多くの方にもおそらく同じで、その点も、この作者さんは高く評価されているんでしょう。うーーーん。タイトルの通り、この教科書は壊されています。で、この教科書、誰かによって故意に壊されていますね。最初の算数、最後の道徳以外「君」が入っていて、文中にも入ってくる「私」がこのひとを想っていることが分かります。
これを読んだとき、学生のころを思い出しました。もう勉強なんて内容が頭に入ってこないんです。何をしてたって君のこと、君のことばかり考えてしまう。で、それを詩にしている人はたくさんいるんです。そういう詩、容易に想像できると思います。作者さんはそういう風にしない。教科書に入りこみ、そして壊してしまう。それがいちいちかっこよくて、なのに臭くない。<理科/コカコーラのレシピが、飲んだらわかるほどの、/絶対舌感を持っている私は、君の汗を舐めた時、人間のレシピがわかった。>例えばこれ。もう説明も出来ません。分からない人は分からないかもしれない。けれど、すごくいいんですよね。ただただかっこいいんです。絶対真似できない。


『不器用』大里柊平
わあ、これまた難しいです。どろどろとした世界、頑張ってぬぷぬぷと入ってみたい。

<電気風呂の中から飛び出た銀河鉄道が、銭湯の天井にめちゃくちゃ衝突した後、さりげなく電気風呂の中に戻る/善意で牢獄と外とを繋ぐ穴を作っていたというおじさんが、穴の入り口に鉄格子をはめて、ずっとこちらを見つめている><俺はそんな風に生きていくべきだった>最後。こう締められているからには、ここがやはりメインでしょう。天井と牢獄は、詩中に出てきました。真ん中の<俺は最低だ>は、あの子の親を殺してしまったからではなく、黒板に<「俺たちを殺してくれ」>と書いたからではないでしょうか。それは本音には違いないのでしょうが、先の引用の、生きていくべきだった姿とは違っています。タイトルになっている不器用。主人公は、思いを言葉に出来なくて黒板に書いたのでしょう。でもそれを消したあの子や、あの子の親を殺してしまった自分を責めているのでなく、それを書いてしまった自分を責めています。この理想のおじさんがとても詩的で美しく、でもそのように生きられない主人公もまた美しいです。


『ステフとジミー』笠原メイ
うわあ、これはたまらんです。たまんないです。すっごい。すっごいぞ。

もうこれは、説明が不要というか。語りたくないです。いや語りたいのですが、どのような言葉を以てしてもこの詩を汚してしまいます。それでも全記と名づけてしまったので……ちょこっとだけ。すみません。ほんと。失礼します。
やっぱりこういうのって、最後が肝心だと思うんですよ。前座、振りが完璧でも、落とし方によって物足りなく感じさせてしまう。<時々、ステフは、あの馬鹿なカラスのことを考えた>ここから急発進、作者さんが、詩が、如何なく力を発揮しジミーを救います。着地点としては無難なんですよ。きちんと救われる。けれど、それを、正攻法で、ここまで美しく心を打たせられるのは本当にすごいです。1行1行に、いや 1文字単位で詳細に気を配り、極限まで削った先にのみ見える輝きです。作者さんはどう書かれたのか分かりませんが、僕だったら何年も削り続けても……それでもここまで描けません。真っ直ぐに心打たれました。感服です。


『そこは地球じゃないのかもしれない』西川真周
いやあ、もう、好みです。どストライクです。この作者さんの詩は毎回のように取り上げさせて頂いているのですが、これは格別です。

<そこは地球じゃないのかもしれない>タイトルから、状況が一変します。読む者みんなを緊張させる……けれど、特に何かが起こるわけではありません。それがすっごく心地いいです。これ、結構勇気が必要だと思うんですよね。上げたハードルをそのままに、作者さんは悠然と話を進めます。とんでもない事件を目の前に、感想すら述べません。「だって現実はこんなものだよ」とでも言うように。それがたまらなくかっこいいです。
<「朝から散々だったわね」彼女は僕に気がついてそう言った><金魚を店先の植込みに埋めてほしいと言われ スコップを手渡された/僕と彼女は店先で金魚と線路に飛び込んだ人に短い祈祷を捧げた>村上春樹がよく揶揄されます。「やたら女が寄ってくる」と。そんなわけないんです。分かってる。分かってるんだけど、もしかしたらこうなるかもしれないという否定できない可能性。でありながら、安直に性的な交わりに進みません。けれど、ここでのふたりの祈祷はそれに勝るとも劣らない行為です。大聖堂です。
主人公と彼女との描き方に、その先を期待させるのですが、また作者さんは放っぽり出します。彼女についての感想もここで止めにしています。うだうだと語りません。そしてこの最後。この短い文字数制限のなか、もう完全に世界観が作り上げられています。こんなに好きなのに、僕にはうまく描けないんですよ。ほんとうに悔しい。悔しい。


『チョコレート』草柳世奈
優れた物語には成長が付きものですが、詩という範疇のかぎられたシステムでそれを組みこむのは容易ではありません。

この詩を読んでまず気になったのが、5節あるなかで「。」も5つなんです。節の終わりごとに付けている。これ、あんまりなかったと思います。そして、とてもいいんです。どうして思いつかなかったのだろう?
節ごとに付けることで、読んでいてすごくゆとりがありました。あたたかみというか、とても寄り添ってくれている感じがしたんです。内容はとても個人的なことなのに、けれどおそらく、多くの人が共感できることで、それに加えて「。」の威力。「、」はひとつしかありません。それは最後。<ふさぎたくてもふさげないその穴は/胃じゃなくてこころにあったんだ/チョコレートで埋め尽くしたはずなのに/こころがあいてたせいで私はずっと、/空っぽだった。>ああ、引用して感じたのですが、この最後の一文には、すごく力がこめられています。すっと大きく息を吸う感覚を、僕は抱きました。テーマが一貫しているから気づかなかったのですが、空っぽという言葉は最後に出てくるだけなのですね。それまではずっと、他の言葉に換言しています。この言葉、作者さんのなかでとても大きな意味を持つ言葉なのかもしれない。書いてみると簡単ですが、それを言葉にするためにチョコレートが必要だったのでしょうか。僕の思い違いかもしれませんが、その想いの欠片を受け取ることができました。


『サーカス小屋』北川 聖
サーカス!いいですよね。僕も挑戦したことがあります。見世物にされる人間たち。でも書けませんでした。どこまで描いていいのか、どこから描かない方がいいのか。塩梅がうまくいかない。

全部がとても良くて、まるごと引用してしまいそうなので気をつけます。この詩は前半と後半に分かれていて、前半はサーカスの登場人物紹介です。これがとっても良くて、へんにおぞましく書いたり、驚かせよう、気味悪くさせようとしていません。ちゃんと読ませる。けれど、その不気味さはきちんと伝わります。これ、めちゃくちゃ難しいと思う。このリズム、ことば選び。何度も磨いたのではないか。
そして後半。それを観る客の反応とその後がスピーディーに描かれます。これだけ人物描写がすごいなら、もっと書きたくなるはずなんです。でも、バタバタと観客を失神させ、最後の2行を輝かせています。このスピーディーさ。サーカス小屋よろしく、呆然とする読者の目の前を颯爽と駆け抜けます。これだけ無駄を省いた作者さんが加えた<泣き笑い>。その姿がありありと目に浮かびます。


『穴』高平 九
うわあ。すっげえ。嘆息するほかありませんでした。かっこいい……。

ココア共和国には時々、このように紙面びっしりに文字が埋め尽くされている詩があって、1文字も逃すまいとする読者の身からするとすこし身構えてしまうのですが、これはひと息で読めました。行あけではなく、ひと文字あけて数を節約しながらリズミカルにする方法。これ、少なくともココア共和国では、作者さん独特のものなんじゃないかと思います。そしてそれでも、読みにくさを感じさせず、むしろ何度も読ませてしまう。
ネズミの葛藤。簡単に葛藤と言いますが、これのすごいところは、一旦ネズミを怒らせているところです。そして利口な山猫の懐柔。小説でも、アニメでも、映画でも通用しそうなワンシーンを、ひらいて詩にしています。そして読んだ方みなさんが思うことでしょうが、この終わり方ですよね。突然の幕引き。ねばっこい山猫の声、高鳴る鼓動、ネズミの張りつめた表情、エンドロール……。含みを持たせているわけでもないような気がします。文字が足りなかったわけでもなく、ここが最高の幕引きだと作者さんは考えたのではないでしょうか。最高です。かっこいいです。もうたまりません。心に残る詩です。


『案内人』永井貴志
ええ。なんだこれは。あまり経験したことのないタイプかもしれません。

<気持ちよかった/死体の女は目と口が半開きになっている/私はこんな顔を、しないだろう>ここから様相が変わります。わけの分からない状況に置かれ、受け身だった主人公が思考を巡らせます。この詩全体を包んでいる独特の雰囲気の根源は、最初にあると思います。<一人/また/一人と不透明になる世界です>わざわざそう宣言するということは、当たり前の世界ではないということです。透明になる、というとやはり死を連想してしまいます。この世界の死は多くの人が認知する死ではないのではないか。では、隣の死体を思い、隣の死体の横で案内人に水浴びをさせられている語り手は何なのか。決して難解な言葉を使っているわけではないのに、読者をどろどろとした沼に誘います。終わり方もとてもいいです。


『本たちは黙っている』豊田和司
これもまた、めちゃくちゃ好みです。僕はいがらしみきおファンで、ほとんどの著書を読んできたのですが、特にその中でも最近のいがらしみきお漫画の風味を感じました。

いやあ、何度読んでもいいなぁ。何度も何度も読んでしまいます。何にも動きがないんですよ。傍から見ればめちゃくちゃシュールです。詩って、この感情の動きを書き表すものなんじゃないのか。主人公は実際に動く……というか、高らかな宣言で以て起伏を含ませます。「動」の詩であるのに、痛いほど感情が伝わる。それはやはり、最後にあるのでしょう。心根、本音があらわになっています。


『花瓶』エキノコックス
すごく共感しました。共感もしたのだけれど、僕はまだこうなれずに葛藤しているので、寂しくも思いました。

「尖っている」とか「丸くなった」とかひとは簡単に言うけれど、それを真に追った詩です。最後。<しずかな○はとても退屈/(簡単に壊れてしまう「当たり前」)/微睡みの中で 今までのすべてが/決して当たり前ではなかったと知らされる><椅子にすわって微睡むあなたは/部屋の片隅に置かれた花瓶なんだ>
<しずかな○はとても退屈>は、この詩の中で3回出てきますが、いずれも()がついていて、最後に外れます。代わりに「当たり前」が壊れることについて追求する。これね!花瓶に始まり、その花瓶の正体を明かして終わるのですが、<壊れてしまう>と紐づいているんです。削りきり、平和に微睡んでいるあなた(花瓶)の頑丈さ、届かなさを描いていながら、さらりと脆弱性を煽っています。繰り返し退屈さも語る。そしてそんな語り手の石はすこしトゲトゲしている。これは……作者さんの本当のところを聞いてみたいです。作者さんの石はどんななのか。おそらく俯瞰されていて、どちらの石も持っているのではないか。でないと、こんなにどちらの良さも語れません。書き手は、精神も優れていなければならないのかな、と考えさせられました。


『大人』二月
お名前がとてもいいです!!二月!このかっこよさ。そしてタイトルと1行目を繰り返すのも、すごく分かる。これ、あくまで僕の場合なのですが、逸る気持ちを抑えたいときにするんですよね。2度書くことで少し落ち着くんです。そしてそれは、それだけ熱のある想いがこもっているということなんですよ。

とても短い詩なので、引用が難しいのですが……この詩は2節に分かれていて、この2つは――内容は変わらないのですが――風合いがかなり異なっています。前半はどちらかというと、つらつらとひとり語りのように進みますが、後半は突然トーンダウン、とつとつと終わります。
やはり気になるのは後半で。これ、前半のように書ける……というか、前半のまま進むのが多くの詩だと思います。けれど、この急ブレーキ。後半は<今日>のことです。前半で思い起こし、後半で振り返っています。僕がこの詩に惹かれたのは、嘘を吐いていないところで。この後半の急な失速にリアルを感じました。そこにとっても親近感が湧いて――そして稀有なことなのですが――畏敬の念を抱きました。詩人はかくあるべき、みたいなことは言いたくないのですが、こんな詩人が僕は好きです。


『砂漠の傘屋』メンデルソン三保
わあ、これはすっごく好きです。僕は『ぼのぼの』が大好きなのですが、ここに『ぼのぼの』を感じました。

いきなり最後。<売れ残りの日傘の下で/じっくり考え中でございます>この詩は前半と後半に分かれていて、前半もすごく魅力的なのですが、こういった記事の特性上、語ることが出来るのは後半になってしまいます。
前半の大いなる振り(と簡単にまとめてしまいがちなのですが、ここ、本当に素晴らしいというか。ここがなければこんなに読後感が良くならないし、太く、栄養の満ち満ちた根です)から、終着点をどうするのか?上げられたハードルをじっとり丁寧に越えています。この読後感。とても好きです。


『AI秘書・トモエの場合』木崎善夫
この作者さんも、過去取り上げさせて頂いたのは1度だけだったと記憶しています。それからもずっと載り続けていて、もちろん毎度読んでいるのだけれど、思考の詩化が特徴の方だと(勝手に)思っていて。僕はあまりに門外漢なので触れられないでいたのです……他にも理由はたくさんありますが、全部に感想を書こうと思ったとき、真っ先に思い浮かんだ方です。つまり、僕はずっと書きたかったのだろうな、と。

<「ソレデモ人間ハ生キルノ!問ワレテイルノ!アナタノ無力サデ 人間全体ヲ語ラナイデ ソウイウトコロ 卑怯デスヨ」>これをさぁ。これを詩で言えるのが本当にすごいです。作者さんの魅力は多々あれど、そのうちのひとつだと思います。詩は、ポエムなんて呼ばれて、痛いもの恥ずかしいものと思われがちなんです。実際、フォーマットとして仕方のない部分はあるような気もしています。なにしろ許される文字数にかぎりがあるから。でも、作者さんは下敷きがしっかりしていて、世界観がまずとっても魅力的だから、何だって言えちゃうんですよ。これ、あらゆる詩人が欲しがるものなんじゃないか。そしてしっかり熱がこもっていて、臭くない。そしてこの詩の魅力は最後、最後の1行で、こもった熱をふっと解放しているところです。冷めさせすぎず、じっくりと味わうことが出来る。オリジナルだと思います。偉大です。

傑作集Ⅱ

『じごくの空気』伽戸ミナ
わあ。これはちょっと、個人的に断トツでいいです。ものすごくいいです。とてつもなくいいです。困った。好きすぎてダメだ。熱くなって何も書けません。

思考の移ろい。<さびしさとは、はらわれることなんだ。/って気付いたとき、ぼくは語彙力に取り憑かれていて、猫背だ。/はらわれるのなんて一瞬。二月が終わるくらい一瞬。/二月尽って言うものね。顔の窪みに溜まるきみの吐息が/熱すぎる。熱すぎるのを、そういうものだからゆるせ、って言うのがキスという儀式だ。>これは途中を切り抜かせて頂いたのですが、ああもう、すっごくいいです。すっごく良くないですか。横書きで記事を書いておいて何なのですが、この詩は縦書きが似合います。言葉を、日本語をとても大切に丁寧に扱っているからでしょうか。熟成された言葉たち、不安定に揺らぎ移ろう思考、旋律となって重なり、絶妙なバランスで調和し、胸に重く鋭く刺さりました。ちょっと好きすぎて、曖昧な言葉でしかあらわせません……また読みたい。また読みたい。またお名前を見て取り上げさせて頂くことを心から楽しみにしています。それまでに何回も作者さんの詩を読んで、熱を冷めさせておきます。ああ。とんでもないなぁ。すごすぎる。まだドキドキしています。


『卒業(三月十五日)』染谷青吾
切実です。僕も不登校だった時期があり、これを笑ったり皮肉ったり批判したりできない。

これはきっと、実体験ですよね。不登校の子が、ついぞ登校することなく、卒業してしまった。ひとは、葛藤を描きたいし読みたいと思うんですよ。つまり、不登校である最中、行くべきか、行かないべきか、そこから至った結論と成長。しかしここにそれはありません。もう終わってしまっています。もう葛藤もなにもありません。ここにある通り、<サラバ!>なのです。そしてこの、<サラバ!>を書けるのは、詩だけなのかな、と思います。小説になると、もっとこと細かに書かないと成立しなくなるから。なぜこの子は不登校になったのか。親とはどんな会話をしたのか、兄弟はいるのか、スクールカウンセラーからの手紙は……そういうことを一切描いていません。ただ、<サラバ!>の解放感。清涼感(と僕は受け取った)。とってもよく分かるんです。一切描いていないからこそ、こんなに共鳴できるのだと思います。同じ不登校の経験があって、僕とまったく違う捉え方をしたとしてもその人もまた、同じく共感出来ると思う。描かないかっこよさ。見習いたいです。またカタカナもくどすぎなくてとっても好きです。太宰を読みたくなりました。


『ライオン』くれこうへい
この詩、びっくりしませんでしたか!実際、声を出して驚いてしまいました。

この記事でも以前、取り上げたことがあるのですが、ココア共和国には時々、10歳前後の子の詩が載るんです。本当に時々ですが。で、僕も毎度自分なりに真剣に詩と対峙しているなかで、すこしずつ分かるようになってきたんです。リアルな高校生を描いた詩も、「これは高校生じゃないだろうな」とか「これは実際に高校生が書いたのだろうな」とか。そして十中八九当たってきて、自信もあった(高校生じゃない人の高校生の詩にも、素晴らしいものはたくさんあるのですが、そういう論点ではなく)。でも、この詩は最後の1行でひっくり返されました。そして作者さんの生年を見てまた驚いた。何度読んでも幼い子の詩に見えてしまいます(失礼ですかね。すみません)。オノマトペの発想、改行、文字明けのリズム。憑依されているのではないかと思ってしまうくらいすごいです。
ああ、内容に触れられなかった……すみません。悔しかったです。もっと他の詩も読んでみたいです。どうやって書いたんだろう。驚きです。


『毎日のコツ』井上璃乃
とても短い詩です。短い詩を書ける方は何人かいて、僕はどうしても長くなってしまうので、それだけで興味深いです。

短いので引用箇所が難しいのですが……<想像力で生まれたきょうだいたち/姉は流浪の旅に出て/弟は飛び級で今はアメリカ>ここ、特にお気に入りです。この主人公とはすこし違うかもしれないのだけれど、僕もむかし、孤独のあまり嘘ばかり吐いていたときがあって。やはり嘘を吐くには想像力が必要で、本当、これくらい突飛なことも言えてしまう、叶ってしまうんですよ。それが想像力で。だからひとりでも、多少嫌われても寂しくない、想像の自分が誰かといるから、というのはとってもよく分かるんです。この気持ち、僕だけだと思っていたし忘れかけていました。こんなに短くて少ない文字でたくさんの感情が溢れてきた。これが優れた詩のすごさなんですね。軽やかな言葉のなかに暗い共感があり、救われた気分になりました。


『コトノハの世話』近澤由茉
これもまた短い詩です。このタイプでこんなに短い詩って、あまり無かった気がします。

なんでカタカナなのかなあと思って簡単に調べてみました。コトノハは古今和歌集に出てくる「言の葉」ということばからきていて、『人の心が種となり、万の「言の葉」となったものが和歌である』らしいです。
この世界ではコトノハは枯れていて、ということはーー上記の語源からこの詩が書かれているとしてーー和歌も、種になる心もないんですよね。<これは水やり、水やりなんです、コトノハをまた咲かせるための。/慈しんで使ってあげることがね、この子には何より大切なんです。>この主人公は手紙を売っています。「これ」とは手紙を売ることです。ということはきっと、種は言葉、手紙を書くことなんですよね。
言葉や文章が大好きなので、とても面白かった。もっともっと読みたかったです。もっとこの世界を覗きたかった。


『駄菓子屋のキイさん』吉岡幸一
いやあ、すごいです。こういうものを描けるようになるために僕はこんなことをしています。どうしても描けないから。描きたいのに。

やはり最後の8行ですよね。<子供がひとりコンビニで買ったお菓子をキイさんに手渡す。>ここからの展開。このかがやきを放つために詩は在るのだな、と。ここから一分の隙もありません。そして特に好きなのが口調。終始穏やかにこの詩は語られます。残酷な瞬間も平和な瞬間も、かがやきを放つ瞬間も口調は変わりません。熱をこめてしまいがちなところでも抑揚をつけない。だからより、読んでいてこちらの感情が引っ張られる感覚が強くなるのかもしれません。語り手の分、キイさんに感情が向けられてしまう。そして最後の1行。最後まで静かに詩は語られます。これは物語ではないです(物語という側面もあるかもしれませんが)。詩です。本物だと思います。憧れます。


『花粉症の偉人たち』小高功太
この作者さん。前回も取り上げさせて頂きました。ファンです。ファンなのですが、語りにくい……(それも含めて好き)。笑

<僕は最近困っていることがある/それはね/財布の中のことなんだ>これ、誰に語りかけているのでしょうね?いや、そんなことはどんな詩にも言えることなのだけれど、でも、明らかに誰かに語っていますよね。
これ、自分だと思うんです。いやそれもみんななのかもしれないけれど。もっと内に向かっている気がする。自分で自分に語りかけています。そしてーー言うまでもないことなのだけれどーーこの詩のようなことはありえないんですよね。だから、じゃあ、完全な作り話ということになって、自分で作って自分に語り、楽しんでいるんです。だからこの作者さんのことを好きなのかもしれない。だからこの作者さんの詩は可愛いのかもしれない。そして自論なのですが、可愛いは面白いんです。この作者さんは根っから可愛くて、だから根っから面白い。才能ですよね。僕にも欲しいです。可愛らしさ。面白さ。お名前を見かけるたびににやにやしながら読んでしまいます。


『明照満徳の物語』こえちた
わあ。これはすごい。驚きました。

一般的な詩、というか一般的な物語と進行が異なっています。というのも、最後に彩りとして飾られる節を冒頭、1節目に置いています。そのことによって、読者が救われる未来を知っていることによって、このタカハシミツエの物語を安心して読むことが出来ました。彼女の残酷な過去はたった一部、7行だけです。が、その残酷さは存分なもので、読後も強く強く印象に残り続けます。そして僕が最も驚いたのは、明照満徳が実在しないということなんです。ココア共和国では何かをモチーフにしていたり、オマージュ作品が時々あって、それもとても素敵だと思うのですが、物語だけでなく言葉まで造ってしまっていることは僕の記憶では無かったと思います。しかもーー僕は宗教に疎いのですがーー名前に違和感がない。これって結構すごいことだと思います。もしかしたら本当にあるのかもしれませんが……そして、タカハシミツエさんにぴったりです。僧侶さん(作者さん)、素敵です。


『かなしい肉』和本果子
これは僕だけなのかもしれませんが、詩を書いていると、あるいは読んでいると、どうしても臭いがきつく感じてしまうことがあります。この詩はそれを解消する道のひとつを示してくれている気がします。

これは冒頭ですよね。<培養液の中で育った肉に塩コショウをかける/肉はパクパクと苦しみだす/浸透圧に耐えきれず水分が流出する/まるで泣いているみたいに>ここ。すっごいです。生肉の存在、食べ物としての肉、肉を食べるということ。そういう文化に異を唱えるひとがいて、僕も改めて考えると不気味な気持ちになるのですが(それでもたくさん食べるのだけれど)、それを生にすることで、とことん不気味にさせています。この冒頭と最後を描きたくてこの詩は書かれたのではないか。生を与えたのではないか。そしてその与え方も、与える対象もとても気持ち悪いです。あえてグロテスクに、読者を気持ち悪くさせようとしているひともいますがこの詩は違っていて、どうしてもこれくらい生々しくないと、気持ち悪くないと描けないものだったんですよね。迫力に息を呑みました。ちょっとまだ完全に捉えきれていない気がする。また読みます。


『アナログ地図描き師』水原月
すっごく美しいです。描かれた景色がありありと浮かびました。

浮かぶのだけれど、この浮かんだ景色が作者さんの描きたかったものなのか、間違いはないのか。断片的なので自信はないのですが、僕の感じたことを書かせて頂きます。
<描きかけの地図を掴んで飛び出す/草木と風と光と小川/人だけ不在の不自然>ここ、すごく印象的だし、すごく好きです。このアナログ地図描き師の心情は明確に描かれません。でもここにヒントがあると思います。作者さんはここで想像の幅をもたせてくれています。どうとは書きません。とにかくここのシーンが好きなので、邪魔したくない。
アナログとデジタルの対立は多く語られていて、でも綺麗事を言うわけでもなく、ただただ美しくこの詩は終わります。うまく言えないのだけれど、作者さん独特のにおいが濃厚に感じられた気がしました。好きです。


『伝言メッセージ』齋藤こもれび
本当に詩は、無限の振り幅があるのだなあと、改めて思いました。

僕は大阪出身なのですが、このおばあちゃんは関西のひとでしょうか。違うところの方言なのかな。関西弁のような気がしました。
僕はそこに生まれ育っているのであまり俯瞰でみられないのだけど、「大阪のおばちゃん」って、図々しくて可愛らしくてあたたかいイメージだと思うんです。だからこそ、このあまりにも冷たいメッセージがより響くのだと思います。
<せめてテープみたいに/たくさん再生したせいで擦り切れてくれたらと思うけど>ココア共和国ではこういうタイプの詩、採用されにくいのではないかと(勝手に)思っているのですが、この詩はことば選びが秀逸で、全体の纏っている雰囲気を損なっていません。こういう詩は情景としていいものなので、語れば語るほどくどくなってしまったりするのですが、まったくそうなっていません。勉強になります。


『生き物をうっかり殺してしまう夢』七草すずめ
とても不思議で、理解されにくいはずなのにすんなりと理解できてしまった。そしてきっと、そういう感覚のひとは少なくないと思います。

タイトル通りというか、それ以上でも以下でもありません。でも、だからこそ、すごく恐ろしいです。「生き物をうっかり殺してしまう」ことからこの詩は逃げていません。
僕はとても生き物が怖くて、実家にトイプードルがいたこともあって、とても仲良くしてもらっていたのだけれど、それでも、ふと恐ろしくなっていました。何が、かは分からなかった。あいつのことは、いまも時々夢で遊んでしまうくらい好きなのだけれど。<絶命していても怖いし、生命力が強くても怖い/死に怯え、生にも怯えて夢から覚めるたびに/わたしはペットを飼ってはいけない人間だ、と思います>これ、すっごく共感できるし、驚かされました。足下の光を指されたような感覚。死が怖いから、同じく生も怖いんですね。生き物たちの溢れんばかりの生。それは冷たい死と並んでいて。そしてこの詩のもっとすごいのは、自分で殺してしまっているところです。<最後にエサをやったのはいつ?>独立したこの1行が鋭い刃でした。とても丁寧なのに、すっと物を切ってしまう。何か考える時座右に残っていてくれそうな詩です。


『わたしの詩』フリハタイト
わあ、すごく短いです。こういう詩、感想を書きにくい……といつもなら言ってしまいがちなのですが、この詩は書けそうな気がします。

「わたしの詩」についての詩って、あまり書かれないですよね。エッセイにもみられない。それは色々要因があるのでしょうが、むつかしいんですよ。やはり。
この詩は3節に分かれていて、2節目が1番膨らんでいて、メインだと思うのだけれど、ここ、すごく好きなんです。<文化住宅の予期せぬ解体>これ、詩の死に場所、「わたしの詩」の死に場所としてはうってつけじゃないですか(というと誤解を招いてしまいそうだけれど)。すくなくとも僕も、僕の詩は、それによって死んでほしい。
この、2節目の息継ぎしない語りがすごく魅力的です。この詩に句点は最後のひとつしかついていなくて。だからある種台詞というか、一連の文章として捉えることもきっとできるのだけれど、この落ちの付け方といい、とても静かで、でも迫力があります。


『揺れている』飛魚
わあ!これは、僕のむかしからの理想です……お願いだから教えてほしい……なぜこれが書けるのか……。

もう初めからとてもいいです。「ように」で羅列、それが重くなく、気取っていなくて、爽やかです。ああ、もう全部がいい。すっごくいいです。この短さもとても良くて。この「僕」、別に揺れる気がないんですよね。それもとってもいい。だからいいのかもしれない。誰かに見せたいわけでもなくて。揺れたくないなら揺すぶられているとも言えそうで、きっと「銃を持ったあの子」と同じで。けれど、「揺れている」のだと引きません。ああ。すごいなあ。変な邪推を介入したくない。こんな詩を書けて、評価してもらえたらいいなあ。すっごくいいです。好きです。


『羨み、望み。』楸 眞弥
詩にはいろんなかたちがありますが、この詩は一風変わっていて、言葉を紐解いている詩です。

これ、すっごく共感するし、何度も何度も、何年も考えてきたことです。「君」になぜこんなに憧れてしまうのだろう、と。それは花鳥風月と似た感覚で、絶対に敵わないからなんですよね。絶対になれないから。
すごいと思うのは、この終わり方です。僕はこんな終わり方できない。落ちを付けようとしたり、裏切りたくなってしまう。けれどこの詩は、すとんと風向きを変えないまま、消え去るように終わってしまいます。それがとてもいい。言葉を感情を紐解くことで、「君」というあらゆる芸術が対峙してきたものも開いてしまう。書けるようになりたい。

傑作集Ⅲ

『無口な九官鳥』茉莉亜・ショートパス
うわあ、めちゃくちゃ好きだ。ずっと好きだあって思える詩です。

<指先ひとつで彩度を操ってお天道様になるつもりか>もうこの1行目からすごいです。たまんないです。
この詩は3つに分かれています。2節目、3節目の1行目も引用させてください。<おしゃべりなA子より池を見つめるベンチが語ることは多い><ひらがなの詩が読めない私をサルトルと呼んだ彼女と交換ノート>これ、彼女はA子なんでしょうか。最後。<彼女の飼っていた九官鳥の名前がまだ思い出せない>で終わります。「A子」と呼ばれるのはここだけなのですが、「彼女」は2回使われます。おそらくこれ、同じ人ですよね。おしゃべりでベンチより語ることの浅いA子と交換ノートする主人公。で、その彼女さえ主人公は手放してしまった。<友だち 学級通信 洋服 なにもかも手放すから桜吹雪は爛々迫る>このさっぱりして美しい表現。
そして最後。九官鳥は人の真似をする鳥ですよね。その九官鳥は名前さえ思い出してもらえないほど無口だった。A子はひとりでは、家では話さなかったのでしょうか。くっきりしすぎていない陰がたまらなく気持ちいいです。


『宇宙人はどちら様』河上蒼
これもすごく好きです!中編小説で読みたい。

SFだと思ってしまいがちなのですが、メタファーではなく、実際にあるのだと思います。というか、あります。すごく共感しました。要するに気に食わない、どうでもいいことのはずなのに、一挙手一投足に苛ついてしまう。
これのすごいのは、彼を宇宙人だとするのでなく、彼からすれば、自分も宇宙人なのだというところまで含めているんです。そうすると話の幅が広くなりすぎてしまって、結末がとっ散らかってしまう……のですが、この最後。宇宙人から派生して、自分ごと宇宙に行ってしまうんですね。その規模で丸めこまれてしまうと、こんなに後味良く終わるものなのか。
安部公房の小説を思い出しました。僕はこういうのすごく好きで、書こうとしてみるのですが全然うまくいかないんです。勉強になります。


『スイッチを押すとき』ふじよしけい
感嘆しました。すごいです。めちゃくちゃいい。

言い方がとても難しいのだけれど、ココア共和国を読んできて、何となく詩のタイプが分類できると思うんです。情景・文章の美しさ先行の詩、内容・哲学先行の詩。なんとなくだし、はっきり分けられるものでもないのだけれど。
で、この詩は両方を兼ねていると思います。両方の良いところを丁寧に掬っている。読者に伝わるし、でも1文1文の美しさも損なっていない。
例えばここ。<昔は1192だったのよ/教科書を見てため息をついた叔母はもう白い壺のなか>この美しさ!これは、豊潤に哲学を含んでいる詩には不向きというか、浮いちゃいがちなんです。でもこの詩にはすんなりと馴染んでいる。そしてまた、内容もとても面白い。文章先行のものが面白くないわけじゃないんです、けど、内容先行のものと比べても頭ひとつ抜けて面白く、尖っています。芥川賞と直木賞両方取れちゃうような詩だと思います。これは僕たけじゃなく、多くのひとの憧れでしょう。


『ネコノミイカクメイノユメ』英田はるか
でた!この作者さん、「ネコのみい」シリーズでずっと書いてくださっているんですが、本当に大好きです。僕より40歳上の語るみたいですがそんなこと関係なく、もう作者さんと、ネコのみいと友だちになりたい!

いやあもう、ファンなので何も言えないです……情けないですが。すみません。僕がみいちゃん(って勝手に呼んでます。すみません)を好きなのは、この語り口なんですよね。読者に息継ぎさせない。けれど飽きさせない、すらすらと読めてしまいます。
<<閉塞感に覆われたコロナ禍の世界に颯爽と現れた風雲児のようなネコ。お堅い詩の世界に笑いのカクメイをもたらしたコンゲンテキなネコ。>ってあたしは世間では言われてるの?知らなかったわ。つまりあたしの出現そのものがカクメイってことなのね。へへへ。いいね。こりゃいいね。なんだかいいね。カクメイジ・みい。うひゃあ〜。おしっこちびりそう。>分かりますか!もうすっごくいい。すっごく可愛い。この調子で、規定いっぱい文字で、思考でページを埋めつくします。これ、並大抵のことじゃないと思う。才能も胆力もめちゃくちゃ必要です。ああ、好きだ。また傑作に出てきちゃったらどうしよう。好きしか言えないよ。みいちゃん。大好きです。大ファンです。


『夜明け前と小さな箱』酒部 朔
安っぽく聞こえたらすみません。すっごくいい短編映画を読んだ気になりました。

あーもう。何から手をつけたらいいのか。中身が分かりやすすぎるものも感想書きにくいのだけれど、ここまでパンパンに詰めこまれても困ってしまう。とりあえず、もう圧倒されました。いま7回読んだのですが、まだ掴みきれません。もう1回読みます。
これ、語り手がずっと受け身なんですよ。彼はただ観測している。咎めたり、叫んだり暴れたりしません。その目の前で、世界は騒々しく動いている。4節に分かれているので勝手に起承転結にさせてもらいますね。結の部分で、語り手はようやく動きます。動くと言っても、手のひらを眺めているだけ。<ただ小学生の頃に刺さった釣り針の跡がないんだ。くっきり白くあったはずなのに。/ないものを見てるの?/そう、ないものを見ている。カーテンの外に光の気配がした。>ああ。もう。すっごくいいです。こんなに中身が濃密なのに、締めがすごく爽やかです。ここで、語り手に劇的なことをさせても良かったんです。というか、絶対そうさせたくなる。僕なら。うずうずする。けれど、最後までじっと見ています。語り手の感情は読者に委ねられます。世界にはたくさん問題があって、それを肯定も否定もしません。それがいいです。何度も読んでいると、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を想像してしまうんですが、あれは小説という形を保っている以上、動的でないといけなかったのかもしれませんね。そういう意味では、詩ならではなのかもしれない。曖昧な部分も含め、作品としてすごいです。感服する他ありませんでした。


『孤独』戸田和樹
これはまた難しい詩です。何度も何度も読みました。

詩で描かれがちですよね。孤独。短い分儚さのあるので、相性がいいのかもしれない。小説で長々孤独を語るわけにもいかないから。
それにしてもちょっとすごい孤独です。僕は社会人になったばかりなので分からないのですが、実際こんなものなのか。これじゃまるで犯罪者です。
この詩は3つに分かれていて、2節目でふんだんに過去を振り返るのですが、現在である1、3節目がとても短い。ちょっとアンバランスなくらい短い。でも、それが余計に語り手の孤独を際立たせます。現在の語り手は、あらゆる扉を閉められ、全く別の世界にいます。そして横に座っているのは孤独だけ。
これは……あらゆる人に起こっていることなのか、「信頼できない語り手」を機能させているのか。でも家族もいるのに……分かりません。とにかく怖いです。僕も孤独は気にしませんが。それでも。


『換骨奪胎』木倉蓮
換骨奪胎という言葉があるんですね。知らなかった。<他人の詩文、また表現や着想などをうまく取り入れて自分のものを作り出すこと。 骨を取り換え胎盤を奪い取って、自分のものとする意から。>らしいです。
あ、それから!27歳で死ぬロックスターというとすぐカート・コバーンを思ったのですが、ほかにもたくさん亡くなっているんですね。なんだか不思議だ。

僕がこの詩、この作者さんをすごいなと思ったのは、とても丁寧に書いているのが伝わったからです。文頭。<ろくじゅう、ななじゅう、八十、万、円、貯まった>こういう書き方をする方なのかな?と思ったら、これは最初だけでした(独特な読点はこの後もすこしだけ出てくるけれど、ここまでではない)。とてもおそるおそる書いているような印象を受けて(あえて狙っているのかもしれないけれど)、なのにそこからとてもすらすらと読みやすい文章を書かれていて、すごく惹かれました。
あと惹かれたのはここ!<私はわたしの骨を見たことがない/ほんとに白いのかな/ショッキングピンクだったら面白いのに>これ、ここだけ<わたし>になっているんですが、何か意図があるのか……色々可能性があるのでここでは断定しませんが、それではなくて。全体的に死が蔓延していて重く暗い詩なのに、ここだけ一節、3行だけなのに独立していて、すこしユーモラスというか、明るいですよね。この後に行開けて続くのは<大丈夫だよ、あの世なんてないしお迎えもないよ/ただ燃えるだけ>ですよ。暗い。じっと続く低音に、狭間、休みが介入された感覚になりました。べつに無くたっていい3行。でもそれが、とても好きです。でもこれ、無理やりバランスを保とうとしているわけじゃなくて、どちらも語り手の本当なんですよね。最初はおどおどしていたのに、最終的には芯まで隠さず見せられる。詩に載せられる。言葉に真摯に向き合ってらっしゃるんだと思います。文脈が味方している。なんだか根の部分で惹かれる、信頼してしまいました。


『きみの文学』夕空しづく
ひとつひとつの言葉のインパクトがとにかく強いです。

いやあ、これは何だろうか。もう1行1行が強すぎて、言えることがありません。「これがすべてだ!」と胸を張りたくなります。僕はただの読者でしかないのに。
感情で殴られている感覚。その場合往々にして、詩全体のまとまりが無くなってしまいがちなのですが、とてもうまくまとまっている。これは奇跡的なものではなく、作者さんの意のまま、うまくまとめているのではないかと思いました。これができれば怖いものなんてないですよね……完成されている。すごすぎて何も言えないです。


『白昼夢』藍下はる
目前の景色から詩を書く、というのは漫画なんかで長髭の老人によってこなされますが、作者さんはそれができる人なのかな、と思いました。

理想と現実、がこの詩のテーマであるように思います。最初に理想を並べ、<ぼくの目は何を視ているの>からは残酷な現実。美しい景色をありのまま見せておいて、どうしようもない生を感じさせます。人間であるということ。
そして最後。だからこそ、最後のこの1行が活きます。そんな語り手だからこそ、ここに真実味があるというか。文章だけでは伝わらないはずの映像が鮮明に浮かびます。そしてタイトルは作中に出てこない『白昼夢』。何もかも素晴らしいです。


『いない』長谷川仁音
恋には喪失がつきもので、長い歴史の中、詩はそれにたくさんの角度をつけて向き合ってきました。

「いない」ということ。タイトル通り、それを全面に押しだし、強調します。出会いや別れをテーマにしたものは多々あれど、喪失、別れのその後こんなにフィーチャーしたものってちょっとなかったのではないか。
<君に忘れ去られた私が/いないといて/いたときよりも/いないといる/もうそれでよかった><私はいつか/いないと透けて/誰かのいないに>ここで終わりです。もうめちゃくちゃいい。じっとりと「いない」について語ってくれます。僕は勝手にここまで、恋愛として扱っていたけれど、よく読むと恋愛に特定していませんね。「喪失」全体をあらわしています。そう思うと、読者によって想像の幅が無限に広がる詩です。だからこの詩は文学です。大好きな文学です。


『バビロン』佐倉 潮
調べるとはっきりしました。「バビロン」。現在のイラクあたりの地域を指し、旧約聖書の『バベル』はここらしいです。

言葉について語ろうとしたとき、バベルの塔がまず出てくるのはそれほど特異なことではありません。しかしグランマ。このグランマの登場が詩全体を活気だてる。現代版バベルの塔なんて言うと安っぽく聞こえてしまいますが、似た緊迫感がありました。
例えば「バベルの塔をモチーフに詩を書いてください」と100人集めて言ったとき、少なくない人たちの詩は内容が被ると思うんです。しかしこの詩は絶対に被らない。作者さんの色が全面に出ています。そしてその色が完成されていて、オリジナリティに溢れている。すごい場数を踏んできたのだろうな、と思いました。こうなれたら楽しいだろうな。


『渡り鳥、王国へ』あさとよしや
一風どころではありません。すごく変わった詩です。物語です。でもとても好きです。

詩を全部読むという試みに際し、当初から嫌だったのは、このページいっぱいに埋められた文字。勝手にやっていることなので、嫌も何もないのですが、毎度すこし息を整える必要があります。
が、この詩は1行目から驚くほどすんなりと情景が入ってきます。くどくない、さらりとした文章なのに理解が追いつかないということがありません。僕は理解力がないので、何度も何度も読み返してようやく書くのですが、この詩は(文字量に対して)少ない数で済みました。すっごく読みやすいのに、内容はとても濃いです。なんかラーメンの食レポみたいになってきたな。
内容はオスカーワイルドのような童話に近いものを感じたのですが、とても漢字が多いです。そして文章が硬く、冷たい。決して読みにくくはないけれど、幼児向けではないでしょう。そのアンバランスさ。それは濃い内容に拠るものでしょう。詩のスペースでこれだけ濃い起承転結をさせるには、文章は研ぎ澄まさざるを得ない。これだけ詰めこめるだけでもすごいです。なにしろ蜥蜴に変身するくだりまで入れている。これ、いらないと言えばいらないんです。無くても物語上成立する。ならなぜあるのかというと、作者さんが完全に自分の作りこんだ物語の中に入りこんだからではないか。多くの優れた作品は作者の意図しない方向に進むもので。分かりません、作者さんは、蜥蜴になる瞬間を描きたくてこの詩を書いたのかもしれない。でも僕はそんな印象を受けました。
そして最後。この終わり方、とても好きです。あくまで明るいまま。第三者目線になれば、悲劇的なものにもさせられるのに。説教にもできるのに。人間らしい、根拠のない希望に飛び立つところでこの詩は終わります。そしてそれが、とても好きです。


『日々』まちだちづる
分からない、何度読み返しても分かりません。はっきり掴めない。でもこの読後感はとてもいいです。

こう言ってしまうと身も蓋もないのですが、語り手の行動としては、3行で終えられてしまいそうな、とても些細なものです。そこをぱっと開いてぐんと広げている。と言えば簡単に聞こえますが、これ、めちゃくちゃ難しいです。それで退屈させないようにしなきゃいけない。僕は1番苦手で、1番欲しい能力です。場面展開。
詩を勘違いしているひとの多くは(僕もよく分かってないので偉そうに言えないのだけれど)、ただ感情を書けばいいと思っているんですよね。でもそうじゃない。圧倒的な情景描写、繊細な心理描写があってやっと、砂金のように詩は宿る。この詩の砂金は最後の2行だと思う。独立して読むとなんてことのない2行ですが、この、ここまでの心理描写があったから、この美しさを放っているんですよね。沁みる、という漢字がとても合います。この記事を書いていて時々「においがする」と書くのですが、この詩にも独特のにおいを感じました。それはとても優れた詩なのだと思います。


『ライムイエロー』佐藤咲生
わあ。とってもいいです。傑作集最後にして、最高の詩だと言っていいのではないか。

とっても丁寧に、思考をゆっくりゆっくりなぞっていく感覚。これ、とても好きです。初め。<こんなにも晴れている。光が、窓の高いところから差している。土曜日と日曜日は浮かんでいる。浮かんでいて、まるで、あの窓の高さ。毎日会う人がいる。>窓、土曜日と日曜日、人。進行としてはとっかかりがない。けれど、読者は語り手の目線になって、<毎日会う人>を容易に想像することができます。これはなぜなのでしょう?こういうことを解き明かすためにこんな記事を書いているのですが……分からない。思考というものは往々にしてまとまりのないものですが、あまりにまとまりがないと読者は置いてけぼりになりますよね。でもこの詩ではそうなりません。連想させます。このあたたかさが、丁寧さがそうさせるのか。
そのようにしてどんどん連想させ、やがて明確に繋げて広げます。出会い、思い出、寂しさ……そしてこの最後。これ、めちゃくちゃに好きです。僕もやってみたことがあるんですが、駄目でした。なんだかこうさせたいという欲望が垣間見えてしまい、繋がりが不自然なんですね。この詩ではごく自然で、読みながら語り手に憑依してしまい、文字を読むより先にこの風景を見た気がしました(たぶん気のせいなのだけれど)。まさに水中の奥深くで、作者さんと、語り手と繋がれた詩でした。これをはっきと自信を持って言えてしまうのは、この詩の素晴らしさ故だと思います。

おわりに

あーーー。終わった。疲れた。Twitterで関わりのある方はご存知かもしれませんが(僕のスマホではまだアップデートされていない白い鳥は、Xに擬態させられずに済んでいる)、「はじめに」で危惧していた通りぶっ倒れてしまいました。ご心配おかけして申し訳ないです。
あんまり理由は分かっていなくて。いつもの雑記より少ししんどかったものの、ほとんど変わらない感覚だったんですけどね。まあ、この記事だけが原因ではないのですが、この記事を(同居人が)お医者さんに見せたところ、ただちにやめるように、と言われてしまいました。もう快復したのでやめないし、精神的なものなんて原因を決めつけられるものでもないので。一因になっているのかなあ。あんまり自覚はありません。
うーーん。書いたように、雑記のころから全部の詩を何度も読んではいたので、何なんでしょうね。全記。これからも続けたいな。そもそも反応を期待して始めたことでもないので。たのしかったです。読んでくださった方ありがとうございました。

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