ココア共和国2022年3月号雑記

傑作集Ⅰ

『みすい』 隅野R
みすい、はひらがなです。未遂を安易に想像してしまうのですが、美水ともiPhoneの予測変換に出てきました。そうか。これは海の詩です。

ことば少なに、ごく簡単に読者に光景を想像させます。広い海、小さな舟、主人公。どんどんフェードインしてゆきます。ここで読者は、完全に主人公に移入してしまう。広い海、と書きましたが、「海みたいな ただ広いところに」なので海とは限定していません。これはどうしてなのだろう、夢だからですかね。「遠くまで流れてきてしまったみたいでした」ここ、すごく響きました。主人公は自らの意思でなく、「流れて」きてしまったんです。ミレイのオフィーリア、検索してみました。みなさんも検索してみてください。吹き出してしまいます。そして最後。当分この夢を主人公は見ることが出来ません。私はこの社会において、何者でもない瞬間、を暗示しているのかなと思いました。職にも学業にも就いていない状態。それはーー私も経験がありますがーーひどく怖いものです。その状態を、「海みたいな ただ広いところ」としているのでは。その恐怖に、惨めさに泣いてしまう。自ら選んだ道であるのにも関わらず。もちろんほかの読み方も出来るかもしれません。優れた作品は、読者によって、また、読み直すことによって捉え方が変わるものですから。


『無菌室』 渋谷縷々子
難しい詩です。全体的に纏っている雰囲気が感じられやすく、分かったつもりになってしまいますが、気をつけて読みたいです。

この記事を書いていて気づいたのですが、引用していて辛くなる詩があります。それはどうしてなのか分かりませんが……私に何か、辛いものを感じさせる詩が(内容に関係なく)あるんです。この詩もそうでした。それは、隙がないからかもしれません。切迫した感情を詩から汲み取り、共感してしまうのかもしれません。この詩は評者2名の方から評価されています。それは、最後の1文がかなり大きいのではないでしょうか。事象と感情。大方の詩は、感情に寄っていますが(詩の性質的に仕方のないことなのですが)、この詩では事象が多く含まれています。感情を爆発させるような内容の詩なのに、作者さんはところどころに散りばめるに留めています。「あぁ」や「?」等がその分、読者の心に刺さります。リストカットや睡眠薬という言葉を直に使わない点も、リアリティを強めています。私が気になったのは、「誰かが書いた言葉をかすめとって成長する。/わたしの身体に言葉が染みついて離れない。」この部分です。ここだけ浮いている。主人公がこのような行為に及んだのは、誰かの書いた言葉によるものなのでしょうか。『無菌室』とありますが、「菌」は言葉でしょうか。言葉が染みついている主人公は、無菌室で殺さずに生かされ続ける。言葉を重きに置いている作者さんの姿勢がうかがえます。


『刺青』 藤野日向子
かっこいい詩を書くことは、わりに誰でもできることです。かっこいい文章をどこかから引っ張ってくれば良いのですから。この詩は、しびれるほどかっこいいですが、それだけでは終わりません。深さがあります。

もう語感が気持ちいい。頭の中で見事に作者さんの描きたいイメージが展開してゆきます。刺青はついぞ出てきませんでした。この詩にずっと続いているのは孤独です。この主人公は孤独のまま、むしろより強めて、詩は終わってしまいます。しかし心向きは変わっています。詩の中で起きた変化。それが深みであり、この詩をかっこいい、だけで終わらせません。キーワードとしては耳、消毒。そして気になったのは、写真店店主です。「私の脳の悪しき記憶を消毒しよう」ここ、すごくいいです。主人公は過去に何かがあって、それを引きずって孤独である。この1行だけで詩に出来てしまえそうです。誰かに気にかけられたいけれど、誰も声をかけてくれない。だから自分で消毒する。過去を未来を現在をすべて包んでくれる詩です。自給自足万歳。


『空洞移植』 泊木空
これは恋愛の詩です。私の読みたかった恋愛の詩です。なので、はじまりから胸がときめいてしまいました。

「違いはあったけれど」から、「誰しも」に繋げられるところに驚きます。ふたつの理由の並列。空っぽと空っぽの持ち寄り。これは、恋愛に対して一定数存在する説です。何もかも満たされている人は恋などしないのではないか。それを嫌味なく、ことばあそびしながら解釈しています。明日の君にも、ということは、今日の君はそれを肯定してくれたんですね。カレーの匂い付き消しゴムへの変身願望。この言葉選びもすごいです。当たり前に出てこない。「君は肯定してくれた」ではなく、「明日の君にも」。簡単な言葉より、ふたりの関係性や「君」の態度感情が伝わります。作者さん独特の運び方、言葉が端々に光ります。

傑作集Ⅱ

『アフターダーク』 菅沼きゅうり
ごく短い詩です。視点がおもしろい。これは、何なのでしょう、作者さんが直接こちらに話しかけてきてくれます。

詩ってすごい。こんなことも出来てしまいます。これは……詩でしか出来ないことではないでしょうか。
そして、『アフターダーク』。「もはや語られるべきことばは無い」を簡潔にタイトルにしています。文学が映像に勝つことのひとつに想像の幅広さがありますが、これほど想像の余地を残しているものはそう多くありません。何かを伝えたい。作り手は身勝手にもそう考えてしまいますが、作者さんは景色を、世界を人間をたのしんでいます。


『誰も聞いていない』 白萩アキラ
自と他について。すごく興味のあるテーマです。私は哲学に精通しているわけではありませんが、多くの偉人たちが論じているのを知っています。右がなければ左がないのと同じく、自がなければ他もありません。その不可思議について触れている詩です。

「俺」と「私」の区別が印象的です。「俺」は独りのときの自分、「私」は外向けの自分でしょう。作者さんは、マスクからこの詩の発想に至ったんでしょうか。マスクを外すときの「俺」になる感じ、すこし分かります。「俺は独りで鼻唄歌う/私に必要はないのだけれど」が印象的で。「私」に必要ないんです。でも「俺」には必要なこと。マスクと鼻唄は正反対のものと受け取れます。


『空白』みなもと秋聖
自分のなかの哲学を詩にすることは、かなり困難です。硬すぎると読みにくいし、やわだと矛盾が生じる。どうはじめるのか、どう締めるのか。様々なかたちがあります。

一分の隙も無い詩で、抜粋する箇所にかなり悩みました。この詩に空白という言葉は出てきません。タイトルにするなら、無関心が妥当な気がしてしまいますが、作者は絶対です。理由は何なのでしょう。
すごく広い視点の詩です。死、世界、宇宙、神様。なのに軽くなっていない。これらに共通点を見出しています。それは「僕」。僕にとって僕はすべてです。これは全員に共通していることでしょう。「僕が死んだらもう世界を感じることはないのだから、僕にとって、世界が終わることと自分の死は平等だ。」この思考にたどり着くのは、なんだか、かなり追い詰めてしまっている感じがします。すべて終わらせたい、という感情が無ければ思いつきませんから。「自己防衛と救済措置」。それが無関心です。宇宙から、「無」を感じます。『空白』は無関心であり、宇宙なのではないでしょうか。いちいち傷ついていられない、その自分の小ささ。そんなことにも諦めてしまっています。「人間が宇宙の端を見つける方法はきっと、地球から溢れる感情と不幸が宇宙の壁にぶつかってUターンしてくるのを観測すること。」溢れる感情と不幸に苛まれた作者さんは、無関心を決めつけ、空白にたどり着き、神様になってしまいました。


『人形の城』現代詩お嬢様
強く根深い怒りを感じます。これは、芸術についての詩です。人間についての詩です。

客観性がないので、あまりこういうことは言いたくないのですが、現代詩お嬢様にいつも驚かされるのは、この文章力です。作者さんは(現代詩お嬢様は)ひと息に書いてらっしゃるんでしょうか、練りに練られてるんでしょうか。私がこう言ってしまうのは、誰が読んでも分かるだろうと判断できるほど、その文章力は群を抜いているからです。努力だけではたどり着けない領域。憑依も相まって、圧倒されます。
本題に戻ります。私が怒りを感じたのは、この内容もありますが、敬語がやたらに使われている点にもあります。現代詩お嬢様は丁寧な言葉遣いですが、ここまでいちいち丁寧にしていなかった気がします。私はここ、すごく違和感を抱きました。「お命をお振り落としに」なんて書く人ではなかった……というか、現代詩お嬢様にかぎらず、この構文がおかしいのは明白で、もちろん作者さんも分かっていてのことでしょう。ここには皮肉が込められているように感じます。高尚ぶる芸術への。この詩は、冒頭と最後が共通の文章になっています。最後は少し足されていますが。「あらゆる芸術は黙って、ただ黙って、貴方さまに寄り添いますわ。」ここが同じです。そして、芸術のあやふやさを一気にまくし立てます。ここでは省いていますが。芸術は役に立つのか?というテーマは語り尽くされて結論が出ていませんが、作者さんはそれに答えようとしているように感じました。
そしてここ。「それは携帯性を高めようとされます欲望の究極の形でございます人形の城。人類とポリ塩化ビニルがご共存できますことをお信じにならない方々が肌身離さず持ち歩かれようとするエゴの姿。お城の住人たちは微笑みを日々のお務めとされておりますわ。」「人形の城」という言葉はこの節でのみ出現します。ここが暗喩に満ちていて、そして肝であると思います。かなり難しい。ここで人類はふたつに分けられています。「人類とポリ塩化ビニルが共存できることを信じられない人」「信じられる人」そして前者は、肌身離さず「携帯性という欲望の究極の形」である人形の城を持ち歩いています。そして、その城の住人たちは微笑みを日々の務めとしている……。芸術論に必ず結びつくはずなのですが、どう結んだら良いのでしょう。ここに続くのは最後しかありません。「あらゆる芸術は黙って、ただ黙って、貴方さまに寄り添いますわ。貴方さまに、涙を隠して。」涙を隠して。が冒頭から加わりました。貴方さまに涙を隠して寄り添う芸術。微笑みを日々の務めとしている城の住人。ここが結びつくのではないでしょうか。ということは、「人類とポリ塩化ビニルがご共存できますことをお信じにならない方々」は、芸術肯定派、ということになるでしょうか。ポリ塩化ビニルは、プラスチックや樹脂に近いようなものであり、私たちの生活の必需品です。人形の城という、携帯性の究極の形であるものを肌身離さず持っていながら、それを否定している人たち。言うまでもなく、彼らが否定しているのはポリ塩化ビニルのみではありません。ポリ塩化ビニルは文明の象徴ではないでしょうか。文明社会を生きづらい人々。そんな人々に人形の城は、常に寄り添います。涙を隠しながら。
どうでしょう。無理やりに結びつけてしまいましたが、無理やりながらも繋がったとき、そのメッセージに、浮かび上がった光景に、ひどく心を打たれました。作者さんの意図とはちがう光景だったかもしれませんが……私にはこう見えました。人形の城が何の暗喩なのかは、あえて書かないでおきます。


傑作集Ⅲ

『行列と海辺のイタリアンレストラン』吉岡幸一
驚きましたが、これは詩です。余韻が詩です。光景が詩です。とても美しい。何度も読みたくなります。

秋吉久美子さんが「ショートショート風の詩が増えすぎている」と書かれていました。この真意や、区別を明確に語ることが出来るほどの知識が私にはありませんが、これはショートショートではないことは分かります。
それは、ただ風景を描写しているだけだからかもしれません。ココア共和国の指定数の文字量をぎりぎりまで使っているこの詩ですが、極端にいえば、5行で描写できてしまえる話です。それに、何のメッセージ性もない。そこがたまらなく好きです。どうしてこれを描きたかったのか。
ただひとつ、ここには謎があります。なぜ人々はそんなに並び続けるのか。そして食べている人の描写もありますが、それほど感動している様子もありません。それでも一日中並び続ける人々。この不可思議が無ければ、ここまで心に響くことはなかったのではないかな、と思います。それから「雲ひとつない空も赤らんできて黒い夜の幕が徐々に下りてくる」「闇に眠る海辺のイタリアンレストラン前の列が途切れることはない」「並ぶ客の想いは星になって夜空に浮かび波音となって夜空に響く」「海辺のイタリアンレストランには潮の薫りがよく似合う」この文字群。ため息が出るほど美しいです。なのに、描かれていることはどこかおかしい。読めば読むほど不気味になります。怖い。この不気味さは映像ではあざとくなり、なかなか出せないのではないでしょうか。


『ここに留まる』杉村好彦
ここに留まることの詩です。短い詩なので難しいですが、抜粋します。

主人公は、「ここに留まるべきだ」と思っています。そして、「待ち人は来ない」こともわかっている。なのに留まり続けています。この詩のアクセントは地球です。「地球は回っている/私がここに居続けようとしても/ゆっくりと自転している」カフェ(?)に居続けている主人公を無視して回り続ける地球。身近なこの詩を、3行でふっと現実離れさせます。人間の小ささ。自由の難しさ。人生の不条理。それがこの詩のテーマでしょうか。カフェに留まり続けることも出来ない主人公。待ち人が来ないことを知っている主人公。小難しい言葉を使わず、詩に落としこんでいます。「ほら/また/給仕がやってきた」この終わり方もすごくいい。この作者さんが好きな話が、好きです。


佳作集Ⅰ

『やさしい類義語辞典』金森さかな
すごく難しい詩です。多様なメッセージが受け取れます。そして、リズムが詩です。心地いい。

何度も咀嚼しないと、このリズムの心地よさに酔ってしまって飲みこめません。「やさしい人っていわれると/どうしたらいいかわからない なぜか」主人公はやさしい人といわれています。人にものを分けてあげるから。自分の損得を考えないから。でも、そう言われると、どうしたらいいかわからない。それは主人公自身が、やさしいことをしている自覚がないからです。やさしいの基準が分からないのか、あるいは、やらずにいられないことが、たまたまやさしいとされることだったのか。
そんな主人公は、小指が欠けていておへそがありません。「みんな知ってたくせに」これは重い言葉です。小指もおへそも、無くたって構わないものではないでしょうか(医学的には分かりませんが)。日常的に、無くても不便がないもの。でも、無いと異常だとされるものです。それが主人公には無い。そしてそのことをみんな知ってる。これは、主人公がどこか抜けていることをあらわしているでしょう。日常に支障はないけれども、他人と決定的に違う何かが。そして、そんな主人公はやさしいのです。
「実はペンギンから生まれてきたんだ/そんな嘘をついて/おもちゃの飛び出しナイフ/あなたを刺したい/血は出ない/私たちみんな/やさしさに似てるんだったね」ペンギンは宇宙からやってきたのではないか、みたいな記事を最近見かけました。そこからの着想なのでしょうか。少なくとも、ペンギンと人間は似ても似つかない生物です。「私たちみんな/やさしさに似てるんだったね」おもちゃのナイフであなたを刺したい主人公は、そうして詩を締めてしまいます。自分と他人との、決定的なちがい、やさしさの定義。如何様にも受け取れる詩ですが、断言できるのは、この主人公は孤独だということです。ヒリヒリしたその感覚に胸が熱くなりました。


『谷へ降りてゆく』 滝本政博
性の詩です。セックスの詩です。セックスという行為と、美は離れた位置にあるのではないか、と思います。美しくセックスを描くことは不可能ではないか、というのが私の自論です。どこか嘘っぽくなり、軽薄になるのではないか。どうしても淫靡になりますから。書き手の欲が現れますから。しかし作者さんはこの詩で、セックスに女性を含ませることで(あるいは女性にセックスを含ませることで)、美しくそれを描いています。

この生々しさ。書き写しているだけで手に感触が伝わってきます。「彼女は持つ」からが最後の節ですが、ここからがすばらしく綺麗にまとめられています。作者さんはセックスを、「秘密が散り散りとなる」ものだと捉えています。秘密とは女性の身体です。それを谷へ降りてゆくことで明らかにしている。それだけでは美しくなりません。この詩は「曲線に沿ってこんもりと茂った森に隠れている小鳥や獣を」「鳥籠に閉じ込めた黒猫を/首輪をつけて飼い慣らした不機嫌を/彼女はオレンジのように青ざめて/腐ってゆくマンゴーのようによい香り」「温かい自嘲を 揺れるブランコを/隠している本当の名前を」など作者さん独特の言葉を随所に挿入することで、セックスを神秘的にしています。ひとめみてセックスの詩だと読者は感じられますが、これらが入っていることで嫌悪感を抱きません。幻想的な空間。女性の難しさ、分からなさを存分に伝え、最後にすべてを散り散りにしてしまう。技術構成が凄まじく、また、言葉に対する愛も伝わってきます。使われがちなテーマで、どこかまったく違う世界に連れて行ってしまう。感服しました。


『忘却の鳥』 嘉村詩穂
ファンタジーと呼んでしまうのはあまりにも軽々しいでしょうか。短い詩ですが、鮮烈なイメージが脳に刻まれて離れません。

行数を変えることなく、ひと息に語られる詩です。いやあ、圧巻です。付け加えることも削るべきことも何も無い。やはり最後でしょう。「あなたがコーヒーを淹れながら淡々と話す白い雲に覆われた朝。」句読点を挟ませない、無駄のない美しい文章。目線はあくまで人間です。忘却の鳥はただ語られるのみであり、より想像力を掻き立てます。カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』という小説がありますが、ノーベル文学賞受賞者が長編で伝える荘厳さを、記憶というものの曖昧さを、ごく短くあらわしてしまっています。ここでは省いていますが、鳥の姿の描写も見事で、細部まで滞りなく描きながら、如何様にも想像できてしまいます。


『内側』 腹巻さしみ
?が頭に浮かぶ詩があります。大抵の場合、何度か読み返せば理解できる(辻褄を合わせられる)のですが、読めば読むほどわからなくなる詩。雑記を始めてから、そういうものにいくつか出会い、そのたびにワクワクしてしまいます。この詩もその類です。

うううん、難しいです。まず、この詩は前半と後半に分けられると思います。妻が腐り、ほくろが弾け、そしてへたり込んでしまう前半と、酒を飲みかわし、思い出に浸る後半。そして気になるのは、息子の存在。息子はこれに乗り気です。引いたり非難したりしていない。そして成人している。父と息子、酒を飲んで話を交わす。そこに母はいない。「わかるが実際の話/してやれることはなにもない」ここ、現実味を帯びているというか、置いて行かれている読者に少し寄ってくれている感じがします。別に主人公は、妻を忌み嫌っているわけではないんです。してやれることはなにもないから、妻の内側を息子と食べる。「ああ これが見たくて結婚したのだと思い出す」とまで言い切ってしまいます。すごい。
思うに、この妻(母)は死んでしまったのではないでしょうか。長年添い遂げた妻が、内側から腐り死んでしまった。夫は、異臭が漂い始める妻に出来ることなどありません。もちろん。だからせめて、息子と一緒に妻を食べることで弔ったのではないか。カニバリズム。死者への冒涜とされていますが、実際に食していなかったとしても、もう何も話せない彼女の思い出を語ってしまうことは、それとどう違うのか。死への態度を考えさせられました。が……ほかにも様々読めますね。また読みたくなります。

佳作集Ⅱ

『卵子の降る虹色の空』 木葉 揺
どんなことからも何かを受け取ることはできます。その前提からなのですが、この詩は何かを伝えようとしていない気がします。様々な場面場面が描写され、展開され、繋がる。それを作者さんは書きたかったのではないかな、と思います。

難しい……。ここで大切な言葉は、産業、電化製品、人間、鳥、そして卵子です。「明かりを消し忘れた窓に/鳥は舞い降りるのに/硬い体をぶつけ合い/キズばかり作って/形を同じにしようとする/内蔵しているものは/ほとんど同じなのに」「今夜、産まれた/人間の衝突の数だけ/よく似た形の小さな製品」ここ、どうでしょうか。体をぶつけ合い、形を同じにしようとする。そして、人間の衝突の数だけ産まれる、よく似た形の小さな製品。繋がっています。そしてこの製品は、冒頭から人間だということが分かります。なので、硬い体をぶつけ合っているのは人間です。
そして、卵子の舞うところに鳥はやって来ます。鳥がやって来たから卵子が舞うのか、卵子が舞うから鳥が来るのか。無関係なのか。そのあたりは分かりませんが、この詩の中で鳥の役割は、人間との対比ではないでしょうか。電化製品であり、無断欠勤を繰り返し乱交に明け暮れる、内蔵しているものはほとんど同じである人間。虹色の空を舞い、季節が変われば暖を求めて集団でやって来る鳥。生と死の対比。有と無の、人工と自然の対比。人間は、鳥が舞い降りてきてもお構い無しに体をぶつけ合い、そして、よく似た小さな製品を作ります。ついには卵子さえ降ってしまう。荒廃しきった世界に、鳥の、虹の優しさが印象的です。


『溝の中』 杉本 順
わあ、いいなあ。こういうもの、すごく好きです。改行が少なく、文字も多いのですが一気に読ませる迫力と怖さがあります。こういう怖い話、じゃあこれを書いてるお前は誰なんだ、と言いたくなってしまうのですが、そこはそこ、深いことを考えるのは不粋です。ただこの描写の、世界観の美しさを味わいたいです。

鈴木さんの箇所はカットしましたが、側溝に嵌め込まれた男性が助けを求めたが、鈴木さんは見向きもせず、知り合いと楽しそうに話し、掃除を続けていました。この詩のタイトルは『溝の中』です。側溝って雨水で道を溢れさせないためにあるんですかね。それ以外に使い道がないし、普段気に留めることもないものです。私、幼いころから怖い話が苦手で。すごく印象に残っているのが、道を歩いていたらマンホールから手が出てきて、吸いこまれる、みたいな本を読んだことがあって。時々思い出すのですが、この詩を読んでまた思い出してしまいました。普段気に留めていないところ、存在の意味もよく分かっていないところに吸い込まれる閉じ込められるという恐怖。いがらしみきおさんの、しまっちゃうおじさんもそういう意味で強烈なインパクトを残したのでしょうか。
この詩の謎はーーたくさんあるのですがーー主人公だけが折り目を開かれたのかということ。この謎の手は、なぜ主人公を折りたたまず、鈴木さんに箒で掃かせることを選んだのか。白い手は主人公を突いたり、口を出現させたり、1人目と違って明らかに意識しています。それは、主人公がずっと自分を見ていたことを知っているからでしょうか。主人公に無数の折り線がついていることを見透かしたのでしょうか。白い手は、誰でも嵌め込んでしまうわけではありません。鈴木さんと主人公は、初めの女性はどう違ったのか。謎が多く、惹かれる詩です。ホラー、オカルトものを分析することなど不粋なのですが、この1つではない、散りばめられる不条理と謎が人を怖がらせるポイントなのかもしれません。

「吸い込まていった」は誤字だと思いますが、そのまま引用させて頂きました。


『アイラン・アイラン』 妻咲邦香
歌と詩のちがいは、すごく難しいのですが、この詩は見事に融合しています。古い海外の楽しくも切ない歌を想起しました。古いといっても、カリブの海賊みたいな、1000年単位で時代が違うような。どの時代にも通じてしまう力を感じます。

この詩は5つの節に分かれていて、4節目を省いていますが、1、3、5節目が歌、2、4節目が詩になっています。歌には「Island」が入っています。詩も歌も、島の話であることに変わりないのですが、歌の箇所がところどころ不気味です。「最後の兎が見つかって、最初の小屋が朽ち果てた」「彼女は今頃大海原で、眩しい眩しい夢を見ている/漂う間に間に、いつかは誰かと/ひとつになるかもしれなくて」このあたり。最後の兎は最後の食料、最初の小屋は仮に作っていた家が朽ちてしまったことをあらわしているのではないでしょうか。「漂う間に間に、いつかは誰かと/ひとつになるかもしれなくて」は、1節目にも出てきましたが、「彼女は今頃大海原で、眩しい眩しい夢を見ている」が加わることで意味あいが変わってきます。彼女は大海原で、夢を見ながら漂っている……。私の色眼鏡なのかもしれませんが、ともすると、これはひどく不気味な詩なのでは、無人島での絶望に力が枯れ果て、小さな声で歌われている詩だ、と捉えることも出来るのではないでしょうか。だから故郷さえ忘れ、双眼鏡で船影を探している。
現実逃避し、幸せな島に遊びに来た詩、のように捉えることも可能です。多様な解釈を許す詩です。「風はそよぎ、友は呼ばれ/仕事を休んで彼女は来てる」これは気の置けない人間と遊びに来ていることをあらわしているのか、はたまた、孤独ゆえの妄想なのか。魅力的で心惹かれる詩です。私には逆立ちしても書けそうにありません。書きたい。


『わたしの春』 らみちか
すごくいいです。ふわふわしていてきらきらしていて、うまく掴めませんが輝いているのは分かります。ただ文字を並べただけではなくて、リズムや構成をとても意識しているのではないかと思いました。

この記事が横書きであることをこれほど憎んだこともありません。ココア共和国掲載のものと、言葉の重みが違います。とても美しい詩です。縦書きでなければ、改行がなければこれは伝わらない。ひとつひとつに煌めきがあります。
「わたし」の多用がこの詩の特徴です。タイトルも『わたしの春』ですし。ワンピースや夜空や指輪など、たくさんのアイテムが出てきますが、軸にあるのは、あくまで「わたし」。春を彩る詩にしては、そこがすこし変わっているでしょうか。「きみ」が出てくるのは1箇所だけ、「明日がきみのものであれば良いのに」そしてその後に「明日が嫌いでも、生きていけるわたし」ですから、その突き放しは強いです。「わたしは、きっとずっと、この時を待っていたのかもしれない」ここからの「春がくる。」の格好よさ。胸が痺れます。どこまでも幻想的で、美しく、格好いい。春をテーマにした詩は数あれど、ひとつの到達点ではないでしょうか。ものすごいです。

佳作集Ⅲ

『夜の向こう側』 寂井 絲
絶望を詩にすると、どこかで限界が来るのではないかと思っています。それは、死の出現。死があまりにも身近になりすぎて、それゆえ、その絶望を徹底的にすればするほど、読者に死がちらついてしまい、作者も書かざるを得ず、期待を下回ってしまいます。だから多くの場合、複雑なメタファーを絡めて死から逃れようとするのですが、この作者さんは死に真っ向から立ち向かいます。

「そりゃあ、死にたくはないさ」これを言い切ってしまえる主人公。首吊りもしたくありません。すごいです。なかなか言えることじゃない。「夜ですらない」場所にいるからなのでしょうか。「西も東もない」場所にいるからでしょうか。
たましいという言葉が重要です。この主人公は、たましいだけの存在になっています。置いていかれた、というより、気づいたらそうなっていた、に近いのでしょうか。月に横切られてしまった主人公。悪魔の囁きも無視して月を追いかけます。ずっと真っ暗なのに、行動的で生を求めるその姿が、私にはとても衝撃的でした。なんとなく、慣れている感じがするのは、よくあることだからでしょうか。ふと気が落ちこみ、からだとたましいが分離してしまう。どうせ死ねないことさえ知っているから、迷わず追いかけます。励まされる詩です。夜ですらない場所に行ってしまったとき、また読みます。


『ひらいていく。つんでいく。ならべていく。』 太田尾あい
自然の美しさを、生命の美しさに結んでいます。このタイトルの秀逸さ。すべてを語ってしまっているのではないか。

まず気になるのは、このひらがな。「しずかな心」「ひろい空」など、作者さんのこだわりを感じます。感覚的になんですが、ひらがなを使うとやわらかくなり、自分が小さく、他のものが大きく感じられる印象を私は抱いています。この詩にそれはぴったりとはまっていて、自然のなかで幼く自由になる自分を連想できます。この始まり方もいい。のっけから木々のにおいがたちこめます。ひらいていく。つんでいく。ならべていく。この繰り返し。単純作業、小さな動物たち。読んでいるだけで心がしずかになり、癒されます。

おわりに

 先月は投稿を休んでいます(誰も気づいていないかもしれませんが)。身内に色々なことがあり、どうしても時間が作れませんでした。仕事じゃないし、誰かに頼まれてやっているわけでもないのに、書きたくてたまらなかった。詩を読みたくてたまらなかった。雑記のない日々は、わりに辛かったです。始めたら始めたでもちろん辛いし、自分が空っぽになってしまう感覚を毎回味わうのですが、していないと辛い。まだ辞めることは出来なさそうです。
すべての詩を読み、何度も何度も咀嚼しています。そのことで私の作風が変わったかというと、結構変わってきた気がしています。ドラゴンボールに出てくるセルみたいに、皆さんのエキスを吸って生きています。初めて雑記を投稿してからかなり時間が経ちますが、感謝の言葉こそあれ、非難は一度もされていません。それくらい多くの人に届いていないという面もあるのかもしれませんが、とりあえず胸を撫で下ろしています。いつもありがとうございます。また気が向いたらお話してください。

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