ベイビードライバー
あらすじ
「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!」などで知られるエドガー・ライト監督が、音楽にのりながら驚異の運転テクニックを発揮する若きドライバーの活躍を描いたオリジナル作品。
カーチェイス版ララランドという惹句はゲンナリしたけど、みたら実際そうだったし、楽しかったから、困る。
音楽にガンアクション、カーアクションをクオンタイズさせるってのは、何周回ったから分からないけど、トムとジェリーとか、テックス・エイブリーものを思い出す。
一番好きなcartoon animation
テックス・エイブリーのドルーピーシリーズ「Northwest Hounded Police」
映画のコマからはみ出るのはズートピアなどでもオマージュされてましたね。
閑話休題
ベイビードライバーの内容については、思った通り、面白いとしか言いようがない。エドガー・ライト監督の自己更新継続中で良いと思う。
が、昨月の「廣瀬純×菊地成孔」イベントで触れられていた”届かない”という概念やObsessionのことを思い出す。ジャンル映画にそれを求めすぎるのもどうかと思う。という前提はありつつ、今の映画は一から十まで面白すぎるし、”届いて”しまう。
イベント中にその話題がでた時には、服飾におけるモードとリアルクロースのあれこれを勝手に思い出していた。
そのイベントの菊地さんのパンチラインのひとつがシン・ゴジラに関する言及で、著作や連載でも触れられているので羅列は避けるが、「石原さとみがシン・ゴジラの神格化をちょっと引き止めた。」という話はとても好きだ。
閑話休題2
で、エドガー・ライト監督も完全に”届かせてしまう”監督の一人で、そのこだりに観客が大満足で帰る。過去にも、このタイプの大家がいてタランティーノ監督その人なのだが、彼はジャッキーブラウン以降、”届かない”映画も撮れる映画人にもなった。
このベイビードライバーや、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーなど、完璧に観客に”届く”映画こそが現代映画の目指される方向性だけれども、それは果たして?というキズキを反芻するきっかけになりましとさ。
おしまい。
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