会計士による放送大学修士課程の覚書
放送大学大学院の修士課程を事実上終えたので(学位授与を待つのみ)、簡単に総括します。社会人で修士号取得に興味ある方の参考になれば幸いです。
背景と動機
筆者は現在、公認会計士・税理士として事務所を運営して生計を立てている。2015年に独立してそれなりの年数が過ぎ、年齢も重ね、キャリアアップとスキルアップのために大学院進学を考えた。
……というストーリーであればわかりやすいのだが、実態としては「とにかく大学院に行ってみたいから」という身も蓋もない理由で進学した。遡れば大学生の時、筆者は文学部哲学科という会計とはまったく無関係の場所に身をおいており、そのまま大学院に進学して哲学の研究職になることを志していた。
諸般の事情で断念して紆余曲折を経て会計士になったものの、どこかのタイミングで大学院に通いたいという気持ちは持ち続けていた。しかしながら監査法人の仕事は激務であり、結婚、育児、独立とライフイベントが続いて大学院どころではなかった。第二子が小学生になり、やや育児も落ち着いたところで、「このチャンスを逃すと次はないかもしれない」と進学を決断したのだった。
なお妻には「キャリアアップとスキルアップのため、仕事にも役立つかもしれないし」と言って説得したのはここだけの話である。
進学先の選定と入学準備
結果として、基本的にオンラインで完結する放送大学大学院を選んだわけだが、他にも候補はいくつかあった。具体的な校名は述べないが、いわゆる社会人向けのカリキュラムを設けている複数の大学院を検討した。しかしながら平日の夜や週末の講義出席が前提となり、家庭との両立が難しいということで断念した。以下は入学準備として行った主だったことを記載する。
単位の事前取得
放送大学の大学院への入学準備として筆者が推奨するのは、修士選科生や修士科目生として先に単位を取得しておくことである。これらは入学試験なしで単位を取得でき、修士全科生(学位取得の正規課程)に入学した場合、修了に必要な単位に充当できる。指導教員による研究指導8単位、その他講義で取得する22単位の合計30単位が必要なのだが、講義で取得する22単位を先に取得できるわけである。
入学後はできるだけ修士論文の執筆にリソースを集中するために、取れる単位は前もって取っておくと楽である。また、放送大学の仕組みに慣れておくためにも有益である。筆者は必要単位の半分ほど取った状態で修士全科生として入学したが、同窓生の中には入学時点ですべての単位(研究指導を除く)を取り終えている猛者もいた。
研究計画調書の作成
研究計画調書は指南書が世の中にたくさんあり、数冊読めばお作法はわかると思われるので書き方等は特にここでは触れない。
研究テーマの「手触り感」というと抽象的になってしまうが、どれほど具体的に絞れているか、論文としてのゴールが見えているかは非常に大事だと思われる。特に社会人で自身の仕事の関連領域をテーマにする場合は、「それが学術的にどんな価値があるのか」をしっかり言語化しておく必要がある。
学術的な価値というと大げさだが、修士課程では、「先行研究を踏まえて自分の研究の立ち位置を明確にし、些細でいいので新規性を打ち出す」くらいの温度感ではないだろうか。よく言われていることだが「巨人の肩に立つ」のが大切で、先行研究は早めに読み込んでおくのが有益である。Google Scholarで気になる単語をどんどん検索して、読んだ文献を早めにデータベース化していく。これは論文執筆で参考文献を記載するときに役立つので、マメに整理しておくのが良い。
なお筆者は「上場準備会社における内部監査の最適化」という趣旨の研究計画調書を提出したが、入試の面接の際に割とフルボッコにされて、入学後に研究計画調書をすべて書き直してまったく違うテーマで修士論文を書くことになった。
入試対策
入試は一次試験(英語と小論文)と二次試験(面接)で構成されている。過去問が公開されているので、目を通しておくとよい。英語は辞書持ち込み可だが、それなりの分量の英文和訳をするので、腕が痛くなる。筆者を含め、日頃ペンで文章を書くという作業から遠ざかっている人が多いと思われる。大学入試の英文和訳の問題集を適当に選んで、手書きの練習をしておくのは対策として有益だろう。小論文は各領域における基礎的なトピックや時事問題が出る。日頃からコンパクトに文章をまとめることを意識していれば特別な対策は不要と思われる。
ちなみに筆者が回答したのは
という問題であった(800字以内)。
面接試験はオンラインで実施した。入学の動機や研究計画について質疑が行われる。主査(指導教員)と副査の2名との面接である。事前準備としては、自分の研究計画について淀みなく説明できるようにすることと想定QAを作成して誰かとロールプレイングすることくらいだろうか。なお自分ではしっかりした研究計画を作ったつもりだったが、上で触れたとおり、研究計画の甘さについてかなりツッコミが入り、「これはだめかもしれんね…」と焦った。最後に「入学までに練り直すように」とのコメントがあって安堵したことを覚えている。
講義とゼミ
入学後は、各自のペースで講義を消化し、ゼミで研究指導を受けるというのがルーティンになる。
講義
講義は基本的にオンライン(動画配信やラジオ)で完結する。オーソドックスな形式としては毎回の講義+小テスト+最終テストというかたちである。テストのかわりにレポートが課される場合もある。また、基本的には一方向の講義だが、テキストでディスカッションする形式のものも一部ある。このあたりは一定期間で微調整されて内容をアップグレードしている模様。
単位を取得するためには学費がかかるのだが、単位取得が不要であれば学部・大学院のすべての講義を視聴できるのは大きな利点と言える。普通の大学でいえばいわゆる「モグリ」がやり放題ということだ。
筆者の場合は、研究手法として統制解析が必要だったので数学や統計に関する学部レベルの講義を受講したり、趣味の延長で哲学や文学、コンピュータサイエンスなど幅広くつまみ食いしたりした。
講義は受講期限が決められているだけで、進めるペースは自由である。筆者の場合は平日1コマ~2コマ、週末2コマ~3コマ受講することを基本としていたが、仕事の繁忙期で長期間空いてしまうこともあった。あとになって穴埋めが大変になるので、当たり前だが、できる限りペースを守ったほうがいい。
自由であることは利点である反面、後回しにしやすいという欠点もある。カレンダーにあらかじめ講義時間を登録しておくなど、ペースが目に見えるようにしておくのが良い。
ゼミ
ゼミはおおむね月一回、週末に開催された。オンラインでゼミ生が修士論文の進捗を発表し、ゼミ生同士でディスカッションし、指導教員からレビューを受けるというスタイルだった。
筆者以外のゼミ生は偶然にも国家公務員をされている方ばかりだったが、一様に調査能力や文章作成能力が高く、非常に刺激的であった。
ゼミは最初の頃はみんな心穏やかで、ほかのゼミ生の論文に対して意見を述べるゆとりもあったが、だんだん自分のことで手一杯になり、相互の議論が減ってしまったのは反省点である。
月に一回とはいえ、週末の数時間を費やすので、家族の協力がなければ継続できなかった。その間子供を見てくれていた妻には本当に感謝である。
修士論文執筆
言うまでもないことであるが、修士論文を完成させて審査に通り、口頭試問に合格することで修士号を得られる。修士課程の二年目はほとんどが修士論文を書くことに費やされた。
筆者の場合、定量的な研究テーマだったこともあり、論文の分量はそれほど長くはなかった。A4で50枚ちょっとで完成した。
分量そのものは多くないものの、難産ではあった。すでに述べた通り、入試段階で考えていたテーマとまったく違うテーマに変更したので、テーマを決めきるまでにかなりの時間を要した。適切なリサーチ・クエスチョンを設定できれば研究の半分は終わったようなものなのだが、それだけに、設定が難しかった。
またデータの収集と整形、統計技術の習得など、分析を実施するための下準備にも相当の時間と労力を要した。
これは大きな反省点であるのだが、途中で統計ソフトで解析することそのものが面白くなって目的化してしまい、指導教員に「数字遊びをしても意味がない、なんのためにその分析をするのか、目的を見失わないように」とたしなめられた。
たくさんのデータを使って多様な解析を実施したのだが、最終的に論文に取り入れたのはほんの一部だった。大江健三郎も村上春樹も、小説のファースト・ドラフトを書いてから完成原稿までに大量の文章を削るとなにかの本で読んだが、論文執筆も同じようなものだなと思った。
文献リストは途中まではこまめに整理していたのだが、だんだん佳境に入ってくると管理が雑になり、論文の最終局面で涙目になって整理する羽目になったので、とにかくサボらないことが重要である。
提出前に表記ゆれや誤字脱字チェック、引用方法の適切性などチェックしていくわけだが、これはPCの画面上で見ていてもどうしても見落としが出てしまう。筆者だけかもしれないが、面倒でも印刷して物理的にチェックするのがマストであった。
提出直前まで修正に次ぐ修正で本当に発狂しそうであった。
何を得たのか
職業訓練の意味合いが強いMBAと異なり、基本的にはアカデミックな修士課程のため、目に見えるスキルや資格を得たり、キャリアパスに有利になったりということはない(と思う)。冒頭に記載した通り、最初からそういう目的ではないので筆者個人としては問題ないのだが、その手のものが欲しい場合は別の選択肢を選ぶのがよいだろう。
では何を得たのかということだが、一言でいえば、「深く粘り強く考え続ける力」ということになるだろうか。
もちろん筆者は公認会計士・税理士として専門的な領域の仕事をしており、日々、考えることで生活の糧を得ている。しかしながらそこで求められるのは、個別具体的な課題の解決であり、その課題が個別具体的に解決されれば良い。それが実務というものである。実務とは「今、ここ」の世界である。
一方で修士課程とはいえ研究といえるためにはインスタントな解決では駄目であり、僅かであっても「いつか、どこか」という普遍性に通じている必要がある。普遍性を獲得するための試行錯誤を通じて、考え続けることの足腰はずいぶん鍛えられたと思う。
実務がその場の瞬発的な解決能力を求められる短距離走であるとすると、研究は長距離走である。修士論文くらいだと長距離走というのはおこがましいので、10kmランくらいだろうか。いずれにしても実務とは呼吸方法も使う筋肉も違う。ひとつのテーマにじっくり取り組み、それを論文という形でアウトプットする経験は大きな価値があったと考えている。
これではやや抽象的すぎると言われそうなので、具体的・スキル的なこともいちおう記しておくが、これはどちらかというと副産物といったイメージであることは付言しておく。
文献のリサーチ能力:先行研究や参考資料にたどり着くためには様々な方法で文献を探す必要がある。
英語のリーディング能力:分野によっては英語文献を読まないケースもあるかもしれないが、筆者の分野(会計関係)では避けて通れない。もちろん内容をざっと掴むために翻訳ソフトにかけて読むこともできるわけだが、誤訳もあるため原文を読むのは必須。
データの収集と整形の能力:一次情報を探すのは分野によっては大変である。また、分析に適するかたちに整形するのも地味に骨が折れる。
基礎的な数学力と統計ソフトのスキル:文学部出身ということもあり数学から遠ざかっていたので、高校の教科書からやり直したのち、大学学部レベルの経済数学までやった。統計は最初Pythonでやっていたが途中でRに切り替えた。余談だが今あらためてPythonに戻って勉強中。このへんは趣味としても楽しい。
クリティカル・ライティングのスキル:それなりの長さの論理的な文章を書くので、これは必然的に。
プレゼンテーションのスキル:ゼミでは研究の進捗状況を手短に発表するし、口頭試問では研究全体をスライド10枚程度にまとめてプレゼンテーションする。こういう過程を経てプレゼンテーションのスキルが上がった。
以上、筆者の放送大学大学院修士課程について簡単に総括した。興味ある方、検討している方に、すこしでも役立てば幸いである。