子供が保育園に通えなくて独立して、だいたい10年がたったというお話

タイトル通り、ただの個人的なメモワールであり、特に役立つ教訓や有益な示唆といったものはありません。お暇な方はお付き合いください。

約10年前の201X年7月某日、わたしと妻は当時勤務していた監査法人を退職して、独立開業というかたちをとった。この日は結婚記念日でもある。別に結婚記念日に開業しようと深い考えがあったわけではない。監査法人の繁忙期が終わったタイミングで退職することにして、たまたま結婚記念日も近いからその日に開業届を出したというだけだ。

ポジティブな理由で独立開業する会計士も世の中にはたくさんいる(はずだ)。しかしわたしたち夫婦の独立理由はどちらかというと後ろ向きなものだった。息子が病弱で、保育園にまともに通えなかったのだ。

熱が出たり、はやりの病気をもらったりで、いわゆる「お迎えコール」がくることは入りたての保育園児”あるある”だろう。子供を心配する気持ちと、仕事どうしようという気持ちがせめぎ合う、あの複雑な心境は今でも鮮明に脳裏に浮かんでくる。息子の場合、尋常ならざる頻度でお迎えコールが鳴った。また、いちど休むと一週間、ときには二週間ちかく体調が戻らないこともあった。病気の合間を縫って保育園に通う、そんな感じであった。

様々な周囲のサポートを受けながらなんとか仕事と育児の両立を模索していたが、長い話を短くすれば、限界がおとずれた。病気がちの子供を抱えて、責任を持って会計士としての仕事を全うするのは絶望的に困難であった。すくなくとも当時のわたしはそう感じていた。ありがたいことに、仕事における周囲のメンバーはわたしたち夫婦の状況を理解し、協力的に接してくれた。しかし周りがサポートしてくれればしてくれるほど、周りに負担をかけることにつながり、罪悪感が膨らんでいった。心に巣食うその黒い魔物を飼いならすことができなかった。物理的なキツさ以上に、精神的に耐えられなくなっていたのだ。

そんなわけで夫婦のあいだで話し合いを持ち、ふたりで退職することを決断した。

これが正しい判断だったのか、今でもよくわからない。どちらかがいったん休職して様子を見るとか、両立しやすそうな職場に転職するとか、もうちょっとまともなオトナの選択肢だってあったはずだった。実際、そのようなオプションも話し合った。

しかしながら最終的にふたりで退職するという、もっともリスキーなカードを引いた理由を言語化すれば、夫婦関係におけるフェアネスを重視したからだった。ふたりともその職場をやめたかったわけではない。そこで仕事を続けていきたいという想いは夫婦の共通項だった。だからどちらか一方が残り、一方が辞めたり休職したりという選択は、中長期的に夫婦関係を損なってしまうように思えた。

仕事のことはなんとかなる(たぶん)。お金のことも、まぁ、なんとかなるだろう(たぶん)。でも夫婦の信頼関係を損なうのは、致命的なことだという確信があった。わたしたち夫婦はずっとフェアにやってきたのだ。お互いのキャリアがフェアになるように家事は分担してきた。息子が生まれてからの育休も分担してとった。保育園のお迎えコールもフェアに対応してきた。だからこれからもフェアにいこうじゃないか、と。

そんなわけで、わたしたちは独立開業した。独立開業したといっても、そんな立派なものではない。マンションの一室の片隅に仕事机を置いて、ラップトップ(たしかThinkPadだったと記憶している)を買った。それだけだ。時間と不安は余るほどあり、仕事とお金はなかった。

皮肉なことにというべきか、幸運なことにというべきか、退職した途端に息子の虚弱体質は改善し、元気いっぱいの男の子に育った。今では走ればリレーの選手になり(親バカその1)、サッカー部ではエースを務め(親バカその2)、おまけに将棋も強い(親バカその3)。

あの病弱さはいったいなんだったのだろうと今でも不思議に思うが、もし息子が最初から元気に保育園に通っていたら、独立開業することもなかったかもしれないし、今のメンバーと出会うこともなかったかもしれない。独立した理由が後ろ向きだったと述べたが、今、後ろ向きに仕事をしているわけではない。ラップトップ1台で始めた仕事は、紆余曲折を経ながらすこしずつかたちを変え、すこしずつメンバーも増えながら、今に至っている。自分自身のことで自慢できるようなことは何ひとつないが、うちの事務所のメンバーは最高に自慢である。よきメンバーと一緒に仕事をできることが今のわたしを支えてくれている。急に胡散臭いことを書いているようだが、これは偽らざる実感である。

先のことなど何も考えられず、常に今だけを見ながら走ってきた約10年であった。では現在、先のことを考えているのか?

答えは否である。良くも悪くも、わたしは計画的な人生を歩めないらしい。次の10年どころか、来年、半年後、1ヶ月後、来週、明日、なにを思い何をしているのか、わからない。

結婚するときに妻が言った。

「あなたは何考えているかわからないし、一緒に安定的な人生を歩めそうにない。でも、だから一生飽きないと思う」

妻の期待を裏切らないように、これからも不安定な人生を歩んでいきたい。


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