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1.5人称と在宅医療・家庭医療

今日は授業で家庭医療に関わる二人の先生と、チームで働く看護師・薬剤師・ケアマネの人の話を聞いた。これまでの授業の中で正直一番心に響いた。

最後の動画で、これまでの患者さんとの写真が出てきたのだが、不覚にも授業中泣いてしまった。マスクしてたから誰にも見つからなかったけど。

家庭医、在宅医療は患者の「人生」に正面から向き合う仕事なのだと思った。
素敵だ。
それに正面から向き合える先生の人間力にも感動した。
試験が終わったら先生の診療所とお隣にあるというお話のカフェを友達と訪れようと思う。

ということで、感じたことをメモ。

・在宅医療に対してこれまでは終末期医療というイメージを抱いていたが…

これまでは、家に帰ってくる=うつ手が無い・死を待つため、という印象を持っていた。しかし、家に帰ってくるのは生きるためという言葉に何かを気付かされた。

患者さんが死ぬ直前に桜が咲くとか、自然と人間はやっぱり一体なのかも、人も自然の中の一部なのかも、と思った

・家庭医は人間力が求められると感じた

家庭医は患者さんと患者の家族が住む「家」に踏み入ることに加えて、その人たちの心にも踏み入ることになるだろう。終末期のがん患者さんとは死についての会話をすることもあるかもしれないので、特にそうであろう。

一人一人の患者さんが持つナラティブを一緒に確認し、新たに作っていることを通して、家庭医と患者は心の対話をする必要があるのだろう。その際に必要とされるのは医学の知識ではない。

また、医学が全てを明確にすることを目指し二項対立になりがちな世界であるのとは対照的に、在宅の場で医師が患者と対話をする中では二項対立では扱いきれない「曖昧さ」も時には必要とされるのだろう。家庭医が扱うのはまさに患者の人生なのだと感じた。

一方で、患者の心情に深入りしすぎて医師の心が辛くなることもあるのではないか、という質問に対して先生は1.5人称の重要性を伝えてくださった。人を救うためにはまず自分を整える必要がある。いろいろな本を読んだり人に会ったりして、自分の考え方の引き出しを増やしたい。

一方で、「プラスティックワード」という言葉も印象深い。何事も綺麗な言葉でまとめることはできるが、何事も自分でしっかり考えて解釈した上で言葉を発したい(これ自体もプラスティック文章なのだろうか)。


本当の意味での他職種連携とは


院内では、医療ソーシャルワーカーの声が医師に届かないなどの話を聞くことがある。しかし、在宅医療の現場では、それぞれの職種が尊敬の念を持って互いに協力する姿勢を持たないとそもそも患者の支援が成り立たない。


・Careとcure

病院でなされるのはcure、在宅医療ではcareという話が印象的だった。

ひたすらに命の長さを伸ばすことだけが人を「救う」ということではない。

そのためには普段から人生について、生死についてカジュアルに話すことが必要だと感じ、みんくるカフェのような場は今後さらに必要とされると思った。より多くの医師が「病院の外での健康活動」にさらに着目したら良い未来が待っているのではないだろうか。

また、人の一生の印象は人生の最後の印象でほぼ決まる、という話も聞いたことがある。その点で、終末期の医療というのは人生の縮図になり得るのだろう。

家族のケア

やはりここに関心がある、特に気になったのは、家族が亡くなった後の残された家族のこと。気持ち的にも、これまで在宅で頑張って介護してきて、患者が亡くなった後にすぐに切り替えられる人は少ないのではないだろうか。そこをサポートする人がいるのか気になった。

本を読もう!

教養が必要だ。医学だけではなく幅広い教養が。
これまで人類学やってきてよかったと思った。ナラティブとかの重要性、よくわかっているし。
今日は先生からおすすめの本を薦めてもらったので、早速読みます。


インターンとかベンチャーなど医療の外に関心が向いていて、医学そのものから心が離れていた最近だけど、やはり私は人を救いたいという思いを再確認して感動したという面もあったかもしれないな。深い人間性を磨きたい!


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