自分の選択の基準にビビった話

2022年2月14日 20:51

「今は、どこにいるの?」と言われるような人生が送りたいというのが私の根っこを作っている気がする。

海外にふらふら行って居着くのが好きだ。


でも、それを根本で形作る欲求がありそうだ、ということで最近の発見を一つ。

選択の基準は「人がびっくりするかどうか」だったのかも

いつも、意識しないうちに周りの人が驚きそうな選択肢を選んできたと感じた出来事があった。
医学部に編入するという進路を決めたのも、人を直接救いたいからというのが1番の理由だ。
しかし、それの人への伝え方などいろいろ考えていくと、どこかで「人とあっと言わせる」のが好きなだけでは?とも思ったりする。
学部時代にはインドで1ヶ月滞在したり、マチュピチュに歩いて行ったり、奇抜なことをしてきた。
その話を人にする時の、友達の驚く顔を見るのが本当に楽しいのなんの。
もはや、ネタを探しに行動しているのではないか??と思ってしまう始末(ちなみに次は東南アジアバックパックで1周する予定だ)。
そう考えると、中高大での部活も「面白いかどうか」で選んできた節がある。武道、武道、応援団。
どれにも共通しているのは、コスプレ要素があること。
それから、人に伝えると「楽しそう!」よりも、「なにそれ?」、「かっこいい!」、「すごい!」と言われる部活であるということだ。
一方で、ここまで無意識のうちに人がびっくりすることを求める結果、変な部活とか変な組織に属してしまうことも多々ある。個性が強すぎる集団。
なので、次の大学では、普通の大学生って感じの生活をしようと思う。と言っても無理かもしれないけど、気持ちだけは強く。

将来の進路についても同じ

なので、どこかで変な進路を選択するのではないかとヒヤヒヤしている私がいる。将来の自分、怖い。
もちろん、近くにいる家族に還元してあげたいという気持ちが一番だ。
でも、である。
僻地とか、あるいは海外の発展途上国とかに謎の愛着を持って移住計画などを立てかねない。
または、留学しちゃうとか。
それはいいのだが、将来の私には、ある程度地に足をつけて、家族に恩を返せるようにしてほしい。

何よりも…

人がびっくりするのを見るのが楽しい。しかも、自分についてのことで。
それはつまり、私は他の人に、「私」に注目してほしいんだろう!
でも、いつか、他人基準じゃなくきちんと「私はこれがしたいから!」というの「だけ」でも選択ができるようになると良いと思う。
その先で、人がびっくりして嬉しいなら尚良い。
それが、嬉しい驚きであってほしい。


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