さきくませ かんながら さき は え ませ


南アメリカのインカ帝国にもスペイン人が鉄砲を持ってやってきました。
そして、スペイン人にやられ、数年足らずのうちにインカ帝国は滅亡し、
文明の痕跡しか残っていません。

ちなみにインカは、黄金文明だったといわれています。
ものすごく金が豊富だった。いわば金ピカ文明です。

人類が誕生してから現在にいたるまで、人類が採掘した金は
25Mプールに換算すると、ちょうど3杯分になるのだそうです。

ところが、そのうちの2杯分は、実は日本で産出している。
いまの日本は「金」がありませんが、これは明治のはじめに
日本の金が銀と交換されて海外に大量に流出したせいです。

ですから言い換えると、インカ以上に金の豊富な日本は
16世紀、まさに黄金の国ジパングだった。
ところが、インカは滅亡し、日本は生き残っています。
インカはたった150人のスペイン人の銃によって
滅ぼされました。

日本は、たった2丁の鉄砲から
翌年には国産第1号の鉄砲を完成させ、
翌年の後には、世界有数の
改良型高性能鉄砲保有国に
なってしまっていたのです。

こんなことが起こったのは、当時の世界で、日本だけです。

なぜ、そんなことができたのか。
実はそれは、日本は古くから、日本刀を製造する高度な
鉄の加工技術があったからです。
当時の刀鍛冶たちは、刀を大量生産するシステムを
すでに作り上げていました。
その技術集団が、こんどは鉄砲作りに取り組んだのです。

鉄砲伝来から32年後に、長篠の合戦(1575年)が
行われます。
武田軍と織田軍が相対した。
このとき、武田軍、織田軍とも、それぞれ
武田の旗、織田の旗のほかに、
両軍とも日の丸を掲げています。
我こそは日本を代表する武家である、という印です

米国のダートマス大学教授ノエル・ペリンの「
鉄砲を捨てた日本人」(中公文庫)という本にはこう書いてある。

「…アラビア人、インド人、中国人いずれも鉄砲の使用では
日本人よりずっと先んじたのであるが、日本人だけが
鉄砲の大量生産に成功した。そればかりか、みごと自家薬籠中のもの
武器としたのである。」(p35)

「…今日もそうだが、日本は当時も優れた工業国であった。
…日本で、もっとも大量に製造されていた物がなにかというと、
それは武器であって、二百年ぐらいは世界有数の武器輸出国であった。
日本製の武器は東アジア一帯で使われていた。」(p38-39)

「少なくとも鉄砲の絶対数では、十六世紀末の日本は、
まちがいなく世界のどの国よりも大量にもっていた。」(p63)
「たとえばイギリス軍全体をとってみても、その鉄砲所有数は、
日本のトップの大名六名のうちどの大名の軍隊と比べても少なかった。
…1569年イギリス枢密院がフランス侵攻の際動員できるイギリス全体の
兵と武器の数を決定すべく総点検を行った時のことだ、
…フランス大使はスパイを通じてその情報をつかみ、「
機密にされている兵隊の集計値」は二万四千、
そのうち約六千の者が銃を所持している、とパリに報告した。」(p160-161)
「1584年、…戦国大名の竜造寺隆信が島原方面で
有馬晴信・島津家久と対戦したが、率いていた軍勢は
二万五千、そのうち九千が鉄砲隊であった。…」(p162)

すなわちイギリス国全体の軍隊の銃の数よりも
肥前国の竜造寺氏の銃の数の方が五割も多かった。
しかも日本は独自の工夫により銃の性能を高め、
「螺旋状の主動バネと引金調整装置を発達させ」
「雨中でも火縄銃を撃てる雨よけ付属装置を考案し」、
当時のヨーロッパにおける戦闘と比較して、
「武器においては日本人の方が実質的に
先行していたのではなかろうか」
とまで書いてある。
剣などは日本刀で簡単に真っ二つに切り裂かれるということが
正しいかどうかを実験した人がいるそうだ。
「今世紀(20世紀)の武器収集家ジョージ・キャメロン・ストーンが、
16世紀の日本刀によって近代ヨーロッパの剣を真二つに切る実験に
立ち会ったのがそれだし、また15世紀の名工兼元(2代目)の作になる
日本刀によって機関銃の銃身が真二つに切り裂かれるのを映した
フィルムが日本にある。」(p41)

この本を読むと、日本が西洋の植民地にならなかった
理由が見えてくる。

http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-5.html
間違いなく、植民地など
征服されないためには
力が必要だ
ということ。
憲法があるから平和なのではなく 平和には
力の裏付けが必要であり
その背後があるから平和になり
だから憲法が生きる。
憲法を生かそうとすれば力が必要だ
というジレンマに陥るのだが
相変わらず
その基本がわからない人が多いようだ

やまとことば 古語」
幸(さき)くませ真幸(まゆき)くませと 人びとの 声渡りゆく 御幸の町に
平成16年宮中歌会始 皇后陛下御製
さきくませ 古語のひとつ
※万葉集 巻十三
葦原の水穂の国は 惟神 かむながら 言挙げせぬ国
然れども 言挙ぞ 吾する 言幸 さき く
真幸まさき くませ と 包みなく
幸(さき)くいまさば 
荒磯に波 ありても見むと
百重=ももえ波 千重=ちえ波にしき
言挙げす 吾は 言挙す 吾は。
反歌
しきしまの日本=ヤマトの国は言霊の さきはふ国ぞ
真幸=まさき  く ありこそ ・・・ 柿本人麻呂
日本書紀では 行矣=さきくませと読ませてます
さきく【幸く】(副詞)無事に。つつがなく。
それに助動詞の「ませ」がつく形
謹んで ( > 艸<) 惟神 幸くませ 幸はえませ。

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