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競技かるたがメジャースポーツになるために

三連投、すみません。ここ最近、書きたいことが溜まってました。おそらくこの記事でしばらくネタ切れです。

競技かるたを多くの人に知ってもらいたい

昨日の記事もたくさんの人に読んでいただき、またTwitter等にシェアしていただき、嬉しく思っている。昨日の記事では「見るスポーツ」としての競技かるたについて考えてみたが、今日は「やるスポーツ」と「見るスポーツ」の両面からメジャーになっていくにはどうすればいいのか、について考えてみたいと思う。

そもそも、私は競技かるたが好きだ。中学生のときに競技かるたの存在を知り、その魅力に取り憑かれ、高校生から競技を始めた。大学ではかるた会を一から創り、大学を卒業した今も競技を続けている。まさに、「かるた沼」の住人である。今までの競技生活の中で、競技かるた界の「外側」にいる人から「競技かるたって面白そう!/面白いよね!」と言われたことは、残念ながらほとんどない。大抵は「何をしているかよくわからない競技」として認識されており、時には「競技かるたってスポーツなの?w」などと半分馬鹿にされる。そのたびに私は悔しい思いをしてきたし、何とかして競技かるたの面白さを理解してもらいたいと思ってきた。昨日の記事も、今日の記事も、根底にあるのは「競技かるたって面白いんだぜ!!!」という思いだ。

幸いなことに、競技かるたはここ数年、『ちはやふる』の効果もあって世間での認知度を高めつつある。以前は床屋で「部活何やってるの?」「競技かるたです」「え、何?」といった会話を繰り返していたのだが、最近は「ああ、『ちはやふる』のやつね!」と言ってもらえるようになった。ありがたいことである。競技人口も着実に増え、メジャー競技への道も明るい――と言いたいのだが、実際のところ、メジャー競技と言われるまでにはまだ多くの課題が残されている。せっかくのブームを、うまく生かし切れていないというのが現実だ。そこで今回は、競技かるたをよりメジャーなスポーツにするためにはどうすればいいのか、について私なりに考えてみたい。

課題① セルフジャッジと競技規程

まず、競技かるたのルールについて。競技かるたのルールは、(一社)全日本かるた協会の定める「競技規程」と、それを補足・解説した「競技規程細則」からなっている。世界各地で「競技かるたのルール」といった場合、「(一社)全日本かるた協会 競技規程」がこれにあたる。

競技規程の中で、今回特に注目してみたい条文がある。

第二条(判定) 取りやお手つきなどの判定は、原則として競技者間で決定する。

競技かるたにおけるセルフジャッジの原則を示した条文である。この条文には、「競技規程細則」において補足が加えられている。

競技かるたでは、競技者同士が互いの動きを良く見極めると共に、信義誠実の精神に則って冷静に主張しあい、迅速に問題解決することを旨とする。

よく「かるた道の精神」「互譲の精神」などと呼ばれる条文である。全国各地ほとんどのかるた会では、「互いに譲り合って試合をしなさい」と指導されていると思うが、それはこの条文によって規定されているわけだ。条文を読む限り、競技者にスポーツマンシップに基づいた人格を求めるものであり、理想的な規定にも思える。しかし、私にはこの規定が十分なものであるとは思えない。競技者が常に正確な判断を下せるとは考えられないからだ。

こんなことを言うと、「セルフジャッジのスポーツは他にたくさんあるではないか」という声が聞こえてきそうだが、セルフジャッジのスポーツを挙げてみると、そのほとんどがプレーの結果が揺るぎない事実として物理的に残存する競技であることがわかる。たとえばゴルフ。ゴルフボールの位置によってプレーの結果が物理的に残存する。あるいはカーリング。ストーンの位置によってプレーの結果が物理的に残存する。しかも、これらのスポーツは相手との接触を伴わない競技である。各個人(またはチーム)が個別にプレーを行う競技形式だからこそ、セルフジャッジは成り立っていると考えられる。

競技かるたは、プレーの結果が残存しない。押さえ手した手の重なり方によって先に触れた方が決まる……という「お座敷かるた」の常識は、残念ながら競技かるたでは通用しない。大抵の場合、読まれた札は払い飛ばされ、競技者の手もその場に残ることはない。しかも、競技かるたは相手との接触を伴う競技である。実際の競技において「揉め」が発生するタイミングを考えてみると、ほとんどが対戦相手と手の接触があった場合であろう。「プレー結果の残存」「相手との接触なし」というセルフジャッジの原則から外れた競技かるたにおいて、100分の1秒を競いながらセルフジャッジで競技を進めるというのはかなり難しいことなのではないかと思う。

この問題は、競技人口が増加している現在だからこそ、より重要になってくる。競技人口が増加するということは初心者が増加するということでもある。A級選手くらいのレベルになればある程度自分と相手のプレーを正確に把握することも可能かもしれないが、初心者同士の試合においてそれを求めるのはかなり厳しい。競技の裾野が広がれば広がるほど、セルフジャッジという競技の在り方は問い直される必要性が増していくはずだ。

とはいうものの、すべての大会に個別の審判を導入することは現実的ではない。A級の大会でも1回戦は64組程度が想定され、B級以下の大会ではそれ以上になる。役員の人数を考えても、すべての試合に審判をつけることはできない。したがって、全員が一斉に競技を行う大会形式である限り、名人戦・クイーン戦などの大きな大会を除いてセルフジャッジで競技を行うしかないだろう。

とすると、改めるべきはセルフジャッジではなく、競技規程の方ではないかと思う。私個人の感覚では、競技かるたの競技規程は曖昧な箇所が多すぎる。中でも私が取り上げておきたいのが、共お手つきに関する規定である。

第二十四条 1 相手との接触によりお手つきをさせられた場合は、双方共にお手つきをしたものとする。
[補足]相手との接触によって物理的に手の軌道が変わったことによりお手つきをさせられた場合をいう。

「相手との接触によりお手つきをさせられた」かどうかという判断には、どうしても競技者の主観が入り込む。お手つきをさせられた側は相手の手の影響があったと思うだろうし、お手つきをさせた側は自分の手は当たったけれども影響はなかったと思うだろう。この規定をもとに共お手つきか否かを判断するというのはかなり難しい。実際、今年の名人戦でも共お手つきかどうかをめぐって双方が主張し合い、審判が判定を下す場面があった。トップ選手でも主張が食い違うことがあるのだから、初心者であればなおさらであろう。

必要なのは、こうした曖昧な規定をできるだけ具体的にし、競技者同士で共有できる情報をもとにセルフジャッジできる規定にすることだ。たとえば、「手が当たった」という事実があった時点で共お手つきにする、といったように(これはかなり極端な例だと思うが)。私の友人に高校野球出身の競技かるた選手がいるが、彼は競技かるたを始めた当初、「競技規程」の量の少なさに驚いていた。野球のルールが非常に細かく規定されていることは有名だが、野球ほどではないにしても、メジャーなスポーツのほとんどは1冊の本になるくらいの分量のルールを持っている。競技かるたのルールは「競技規程」「競技規程細則」を合わせてA4版で9ページ程度であり、かなり少ない部類に入る。実際の試合で想定されるケースに基づいて競技規程を具体的に記述することで、初心者でもセルフジャッジできる可能性は高くなるといえるのではないか。

また、「かるた道の精神」も競技規程に付随する形で明文化するべきではないかと思う。「かるた道の精神」は大会の選手宣誓などでよく使われる言葉だが、その意味する内容は各競技者によって少しずつ違っているのではないか。競技かるたという競技の根本にある重要な理念であるだけに、不文律ではなく明文化した形で示すことが必要ではないだろうか。

参考までに、カーリングの競技規則に前文として掲載されている「カーリング精神」の規定を引用しておく。カーリングの話ばかりになってしまい恐縮だが、それだけカーリングと競技かるたは共通点があり、参考にするべき点も多いということだ(私がカーリングにハマった理由の一つでもある)。

カーリング精神
 カーリングは技術と伝統のゲームです。技を尽くして決められたショットは見る喜びです。また、ゲームの神髄に通じるカーリングの古くからの伝統を見守るのはすばらしいことです。カーラーは勝つためにプレーしますが、決して相手を見くだしたりしません。真のカーラーは相手の気を散らしたり、相手がベストを尽くそうとするのを決して妨げたりしません。不当に勝つのであればむしろ負けを選びます。
 カーラーは、ゲームの規則を破ったり、その伝統を決して軽視したりしません。不注意にもこれが行われていると気がついた場合、その違反を真っ先に申し出ます。
 カーリングの主な目的が、プレーヤーの技術の粋を競うことである一方、ゲームの精神は立派なスポーツマンシップ、思いやりの気持ち、そして尊敬すべき行為を求めています。
 この精神は、アイスに乗っているいないに関わらず、ゲームの規則の解釈や適用に生かされるだけでなく、全ての参加者の振舞いにも生かされるべきものです。

『日本カーリング協会 競技規則』前文

課題② 指導者

二つ目の課題として、指導者不足の問題を取り上げたい。競技人口の増加に伴い、初心者の受け入れ先が不足しているという現状は前回の記事でも触れた。これは言い換えれば、指導者の不足でもある。特に近年は中学校・高校の部活で競技かるたを始める人も多く(私もその一人だ)、競技かるたの技術やルール、マナーについて適切な指導を受けないまま大会に出場してしまうといったケースも多く見受けられる。こうしたケースは、選手本人の問題というよりも、適切な指導を受ける機会を設けることができていない競技かるた界全体の問題だ。初めて大会に出る前に受講しなくてはならない講習会などを開催するなどの取り組みが必要となるが、同時に各かるた会、各部活動に指導者が行き渡るよう、指導者を育成する活動もしていかなくてはならない。

時折見かけるのが、競技規程に基づかないルールを覚えてしまっているケースだ。おそらく所属するかるた会や部活動でそのように教わったのだろう。ルールを間違えて理解したまま大会に出場してしまうと、対戦相手との間で判定について合意形成が得られず、試合進行の障害となってしまう可能性がある。こうしたケースをなくすためには、まず指導者が正しいルールを理解している必要がある。ルールや技術、マナーなどの知識に加えてコーチング技術などの研修も視野に入れ、全日本かるた協会や各都道府県かるた協会で指導者資格制度を設立すれば、より適切な指導が各かるた会、各部活動に普及するのではないだろうか。また、指導者資格を取得した人材をデータベース化し、全日本かるた協会や都道府県かるた協会が間に立って指導者を求めている団体に紹介する制度を作れば、競技かるたの普及そのものにも貢献できるのではないかと思う。場合によっては都道府県高文連などとの連携も考えられるだろう。

課題③ 団体戦

団体戦については各地域によって少しずつ認識や価値観の差があるようだが、私は団体戦の魅力は競技かるたのメジャー化に大きく貢献する可能性があると思っている。

団体戦は、個人戦とは少し感覚の違う競技だと思う。普通、競技かるたの試合では誰かとコミュニケーションを取ったり、応援したりすることはできない。しかし、それが可能になるのが団体戦である。チームメイトとのコミュニケーションが必要になる分、必要とされるスキルも個人戦より多い。作戦面でも個人戦より幅が広がり、チーム全体の状況を把握しながら瞬時に判断を下さなくてはならない。また、1人が強くてもチームとして勝てないという側面もあり、下剋上のような意外性もあるのが団体戦だ。観戦する側としても、「地元のチームだから」「母校だから」といった動機があることによって応援しやすくなり、「見るスポーツ」としての競技かるたを広めるきっかけにもなり得るのではないだろうか。特に日本は、プロ野球、Jリーグ、駅伝など、贔屓のチームを応援する文化がしっかりとあるため、うまくアピールすれば競技かるたの可能性を広げるきっかけになるかもしれない。

現在、団体戦の大会は、
 ①中学生選手権・高校選手権・大学選手権などの学校種別の大会
 ②職域学生かるた大会などの職場・学校別の大会
 ③国民文化祭などの混合の大会
 ④各会対抗団体戦などのかるた会ごとの大会
 ⑤静岡オープン・おおつ光ルくん杯などのオープン大会
があるが、①~④がほとんどを占めており、誰とでもチームを組んで出場できる大会(⑤)というのはあまり比重が置かれていない。しかし、自由にチームを組めるということはドリームチームのようなメンバーの団体戦を見ることができるということでもあり、職場や学校ではメンバーが足りずチームを組めないという人も団体戦に参入できるということでもある。プロ競技ではない現状ではメンバーを固定したチームを結成するというのはハードルが高いかもしれないが、ある程度長期のシーズンを通して数チームで争う団体戦リーグなどがあっても面白いのではないだろうか。チームメンバーを固定化しやすい大学や高校のリーグ戦などからやってみるのもありだろう。

まとめ

ここまで、「セルフジャッジと競技規程」「指導者」「団体戦」という3つの視点から、競技かるたのメジャー化・発展に関するあれこれを考えてみた。もちろん実現するには多くのハードルを越えなければならないものも多いが、競技人口が増加し、競技かるた界全体の状況が大きく変わりつつある今こそ変えていかなくてはならないことも多い。今回取り上げた話題以外にも、各競技者が持っているアイデアがたくさんあるはずなので、そうしたアイデアを持ち寄って、柔軟に改革していくことが有効なのではないかと思う。この記事がさまざまな意見やアイデアが現れるきっかけになれば幸いである。

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