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かるた会での四年間を振り返って思うこと

 先日、四年間通った大学を卒業した。私にとって大学での四年間は、今までやったことのないことに挑戦し続けた四年間だったのではないかと思う。特に、かるたの競技人生という意味では、たくさんのことに挑戦した四年間だった。四年間を終えた今、一度自分が歩いてきた道を振り返ってみたいと思うのだ。

 以前の記事でも書いたことだが、私の四年間は、かるた会を作るところから始まった。高校から競技かるたを始めた私にとって、大学進学は初めて競技に取り組む環境が変わるタイミングだった。私が進学した大学にはかるた会がなかったので、一般のかるた会に移籍するか、大学で新たにかるた会を作るかという二つの選択肢から選ばなくてはいけなかった。私は、後者を選んだ。

 大学でかるた会を作るという道が、険しいものであろうことは重々承知していた。それでもこの道を選んだのは、団体戦に未練があったからだ。私は高校三年生のとき、東京都代表チームの一人として全国高等学校総合文化祭(総文祭)に出場した。しかし、代表メンバーの練習会で未だかつてない大不調に陥った私は、総文祭での出場機会をほとんど得ることができず、畳の上に立てたのはわずか一試合だけだった。私にとって、これはとても悔しい経験だった。高校最後の団体戦が不完全燃焼で終わり、私の中には団体戦への未練があった。どうしてももう一度団体戦がしたい。そのためには、大学の中でメンバーを見つけ、チームを組まなくてはならない。そのためには、かるた会を新たに作って、メンバーを募った方が良いと考えたのだ。

 私が幸運だったのは、私が進学した大学に有段者の先輩がおり、しかも同期にも二人の有段者がいたことだ。初めから四人の有段者を集めることができた。しかし、四人では職域を戦うことができない。最低でも五人、できれば選手登録の八人を埋めたい。そのためには、初心者でかるたに興味がある人を募って、一から育てる必要があった。

 また、当然のことではあるが、練習場所も、札も、ありあけも、何もなかった。初めてかるた会として集まったのは、大学構内にある広場のような場所だった。あの日、どんな活動(?)をしたのか記憶が定かではないが、おそらくメンバーの自己紹介と、これからの活動について話し合ったのだと思う。それからしばらくは大学の空き教室を使って初心者に札を一枚ずつ教えたり、定位置を作ったり、札流しをしたりといった日々が続いた。畳の上で練習する日がくるのかどうか、そもそもこのかるた会はいつまで続くのか、先のことなど何もわからない状態だった。

 こんな状態だった我がかるた会も、一年半後、職域D級への出場を果たすことになる。結果は一回戦負けだったが、もう一度団体戦がしたいという私の思いが叶った瞬間だった。この職域出場を境に、私の中にはある一つの思いが生まれた。このかるた会を未来に残したい。私が大学を卒業しても、ずっと先までこのかるた会を残したい。大学に進学してかるたを続けたいと思っている高校生たちにとっての、一つの選択肢でありたい。そんなふうに思うようになった。

 それからは、できるだけ後輩を育てること、そしてかるた会として長く運営していくことのできるシステム作りに励んだ。自分一人で運営をするのではなく、できるだけ同期や後輩に仕事を分散し、毎年下級生に仕事を引き継いでいけるようにした。

 職域出場からさらに二年半が経ち、我がかるた会は今、私が仕事をやらなくても運営できるかるた会になった。初めてのことだらけの運営に根気よく向き合ってくれた同期と後輩のおかげだ。かるたの実力はまだまだの会だが、一つの組織としてきちんと機能するようになった。これで私が卒業したあとも、長く残っていってくれることだろう。

 私は、「縁」という言葉が割に好きだ。思えば、この四年間はたくさんの「縁」に恵まれていた。入学してすぐに出会った有段者のメンバー、そこに集まってくれた初心者のメンバー、毎年入会してくれた後輩たち、運営を支えてくださった関係者の方々。たくさんの「縁」に支えられて、かるた会は一つのチームとして成長することができた。感謝が尽きない。

 しかし――身の程知らずかもしれないが――私はこうも思う。私が四年前にした「かるた会を作る」という一つの決断が、人とかるたの「縁」を結ぶことにもなっていたのではないか? もし私が大学でかるた会を作っていなかったら、競技かるたに出会わなかった人もいたかもしれない。大学進学を機に競技かるたを辞めていた人もいたかもしれない。私は、知らないうちに人の人生を少しだけ動かしていたのではないか? かるた会を作るという選択をせず、一般のかるた会に所属していたら、もしかすると私はもっと競技者として成長できていたかもしれない。そんなふうに思うこともある。しかし、それと引き換えに人とかるたの「縁」を結ぶことができたのだとしたら、私が四年間突き進んできた道も、決して間違っていたとは思わない。もし、そんなふうに考えることが許されるなら、これはとても幸せなことだと思うのだ。

 そして今、もう一つの夢がある。私が四年間通った大学は教育系の大学で、毎年多くの卒業生が全国各地で教員や教育関係の仕事に就職する。このかるた会でかるたの楽しさを覚えた人たちが、全国各地の子どもたちにかるたの魅力を伝えてくれたら。あるいは、部活動の顧問として、選手育成の力となってくれたら。全国的に部活動における競技かるたが盛んになる中で、競技かるたの指導ができる教員はまだまだ少ない。我がかるた会の出身者たちが、そんな今の状況を打開する力となってくれたら、ここまで私とかるた会を育ててくれたかるた界に少しでも恩返しできるのではないかと思っている。いつかそんな日が来たら、私は嬉しい。

 振り返る過去があるというのは幸せなことだ。私の大学での四年間は、振り返るに値する思い出となった。しかし、この思い出にしがみついていても何も生まれない。これからをどう過ごすか。それを考えていかなくてはならない。私は選手としても読手としてもまだまだ未熟な人間だ。もっと高いところからの景色を見てみたい。まだ見えていないものを見てみたい。そんな意欲を大切にして、これからも過ごしていきたいと思う。

 最後に、四年間お世話になった方々に御礼を申し上げたい。他大学のかるた関係者の皆さん、全日本かるた協会、東京都かるた協会の方々、母校の同期・先生方・先輩方・後輩たち、読手界隈の皆様、師匠、出会ってくださったその他大勢の皆様に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。そしてこれからもどうぞよろしくお願い致します。

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